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ふと思ったことを書き出したなら、神さまが「もっと深く考えろ」と言い出した

ウソか本当かは分かりませんが、

「男の子は『モノ』に興味関心を持つ」
「女の子は『ひと』に興味関心を持つ」

と、よく聞きますよね。


◆他者貢献

僕、最近気づきました。
嬉しさや喜びに、深さや上位があるということに。

自分にとって嬉しいことがあった:嬉しい(喜び)
もっと嬉しいのが、
自分にとってもの凄く嬉しいことがあった:もの凄く嬉しい(上位の喜び)
もっと嬉しいのが、
自分の大切な人が喜んでいる:もの凄く嬉しい以上に、嬉しい(深い喜び)
もっと嬉しいのが、
自分の大切な人がもの凄く喜んでいる:最高に嬉しい(深く最上位の喜び)

こういう感覚って、健全な大人にはあるハズです。

自己満足よりも
他者貢献の方が満足度が高いのです。


そして、

他者貢献こそが、
最高の自己満足になります。


僕は、この感覚を【仕事】に没頭する中で気づきました。

自分の優勝よりも部下の優勝の方が、感動が大きかったのです。
自分の成長よりも部下の成長の方が、涙が出るほど嬉しかったのです。

他者貢献の方が、より嬉しく、より深く満足できます。


◆分からない大人もいる

この、より上位の喜びというものを、分からない大人もいると思います。
男性の場合、けっこう多いのではないかな。

「は? 他者貢献? それって美味しいの?」とか、
「それって、きれい事だろ」
「誰だって自分が1番かわいいに決まっている。ウソを言うな」
などと、
他者貢献の高い満足感を否定するのは、男性が多そうです。

その人は、本気でそう思っているのでしょう。

でも、例えば「誰だって自分が1番かわいいに決まっている」は、否定するポイントがズレています。
僕は、僕が1番かわいいし僕が1番大事です。その僕が1番喜ぶのは、僕を喜ばせた時以上に、誰かが喜んでくれた時なのです。

僕は、自己中心的に他者貢献したいのです。
女性なら、理解してくれる方が多いと思います。


◆母の愛

女性は、はなっから自分が嬉しいなんてことは、小さな喜びにすぎない と、知っているのではないでしょうか。本能として。

あるいは、もっと深く上位の喜びがある と、子育てを通じて体験するのではないでしょうか。

DNAに刻まれた本能でもあり、
わが子の小さな成長を目の当たりにして、より大きな喜びを感じる。

僕は、体験以上に、本能の成せる業ような気がしますが、とにもかくにも、女性の多くは他者貢献の快感を知っていそうです。

母親が子育てで味わっている喜びって、深く最上位の喜び なのだろうと、そう思います。


◆男性は自己中

小さな男の子の「物への興味」は、「自分にしか興味がない」という言い換えが可能です。

自分の好奇心を満たすことしか、眼中に無いのですから。
男の子は、自己中と言えます。

対して、
女の子の「ひと」への興味は、「自分以外の他者への興味関心」であり、「自分と他者の人間関係への興味関心」とも言えます。

他者にも、他者と自分との関係にも興味があるのですから、決して自己中ではありません。


◆他者貢献の快感を知る男性はまれ

僕は気づいてしまいました。
男性は、自己中がデフォルト(標準の状態・初期設定)なのです。

基本、歳を重ねても、この男性の『自己中』は変わりません。
いくつになっても、子供のように、自分の好きなことしかやらないっていうワガママな大人って、圧倒的に男性が多い。

僕は、

自己満足の追求を卒業し、他者貢献を追求する

という心境や行動は、男性として、レベルが高いと思います。

ビジネスや勝負の世界でトップを目指し、相当な努力を重ねた者だけが、
その『高次のステージ』に辿り着く。他者貢献の快感に気づく。

そのように感じます。

男性の場合、自己中を卒業するのはまれです。
1割か2割か、多くても3割はいない、かな。

貴重な少数派ですので、自己中を卒業した男性は、
自分の生き方に自信を持ち、誇りを感じます。


でも、これが可笑しいのは、
多くの女性は、はなっからこのステージに立っているのです。

10代や20代からその境地に立っていて、もしかすると、小学生で自己中を卒業しているのが普通なのかもしれません。

母親ならば、なおさらです。
自分の成功以上に、わが子の成功が嬉しい。
自分の成長よりも、わが子の成長が嬉しい。
自分の幸せよりも、わが子の幸せが嬉しいと。

その体験を何度も経験しています。

僕は、そんな気がします。


◆子育てには父性

ここからが本題です。

僕は、「だから男性はダメだ」と言いたいのではありません。

「多くの男性には、そのような傾向(特徴)があるよね」という、
説明をしたまでです。

わが子を守ることは、父親は母親にかないません。惨敗です。
しかし、わが子を育てることは、父親の方が得意だと、僕はそう考えます。


◆メンコ

僕が、小学2年生でした。

僕の家から1番近い家に住んでいた同世代の男の子は、僕より1つ年上でした。
ある日僕は、その子とメンコをしたのです。
その子が、買ってもらったばかりのメンコを持ってきて、僕に見せてくれたのです。今思えば、あれは、自慢しに来たのでしょう。見せびらかしです。

どのイラストが貴重だとか、こうだからカッコイイとか。そんな説明をしていました。
でも、僕にとってのメンコはメンコです。ゲームの道具です
コレクション感覚なんて、僕にはチンプンカンプンでした。

僕にとっての貴重なメンコというのは、手になじんだ強いメンコです。
使いやすいヤツです。

僕は、その子の話を聞くよりも、メンコがあるならサッサとメンコがしたくて仕方ありませんでした。
純粋な、遊びたいという気持ちから、「メンコしようよ」と言いました。

女性は知らないかも……。
メンコって、勝負事です。戦って、負けた場合そのメンコは、相手に没収されてしまいます。所有権を賭けて戦う遊びなのです。

勝負が始まってみると、その日の僕は絶好調でした。
その子は、どうやら運動オンチだったのだと思います。めちゃくちゃ弱かったのです。

大事なメンコで負けたみたいで、勝負をやめてくれません。
僕は、もういっぱい勝ったし、これ以上メンコを奪っても何か悪いし、途中で何度も、「もう、やめよう」と言いました。

結局、メンコが全部なくなって、その子は帰っていったのです。


その日の夜か、翌日の夜でした。

その子のお母さんが、僕ん家にやってきたのです。僕のお母ちゃんが玄関で、数分間、その子のお母さんと話してました。

お母ちゃんは僕に、
「○○君が泣いて、泣きやまないんだって」
「大事な何枚かだけ、返して欲しいんだってさ」
「じょーじ、どうだい?」

と、聞いてきました。
僕は「べつにイイよ」と、応じました。

その子のお母さんは、申し訳なさそうな顔をしながら、
「これこれ、これが、どうしても大事なんだって…」と、3枚くらい手にしました。
「もう少しイイ?」と聞いてきて、僕がうなずくと思った以上にアレもコレもと手にして、持って帰ってしまいました。

メンコを持っていかれたことは、どうでも良かったのですが、幼い僕は釈然としませんでした。

(なんかズルイなぁ)と思ったのです。

その子もズルイし、その子のお母さんも、(ズルイなぁ)と思いました。


◆メンコに負けた友だちの、父と母

今の僕の、想像を語ります。

「メンコの一部だけでいいから、返してほしい」というそのセリフに、僕は父親母親の、それぞれの【愛】を感じます。

父親は、
「勝負に負けたんだ。返して欲しいなんて、みっともない行為なんだ」
「絶対にやってはイケない」
と、言ってきかせたのでしょう。

息子が、仲間から嫌われない男になって欲しい。むしろ逆に、仲間から信頼される男になってほしいと、そう願ったことでしょう。


母親は、大事なメンコを失って悲しい。悔しい。そういう息子の、心情に寄り添い、放っておけなかったのでしょう。
ご主人には内緒で、僕の家にやって来たのかもしれません。

母親の考え(愛)だけならば、「全部返して」と主張したかもしれません。

父親が、
「絶対に『返して』なんて頼んじゃダメだ」
「別なメンコを持って行き、戦って取り戻すのがルールだ」

と、キツ~く言い聞かせたので、そうは言わなかったんじゃないかなぁ。

母親が、申し訳なさそうにしていたのも、僕を、一切責めなかったのも、「少しだけ」と言ったのも、そんな背景があったから、じゃないかなぁ。

そんな気がします。


◆社会性を育むには

仲間から信頼される人間になるには、父親の教えが正解です。

でも、「僕は愛されている。僕は、愛されて当然の存在なんだ」という、安心根あんしんこんを根付かせるには、母の愛が不可欠でしょう。

今回紹介したエピソードにあてはめますと、メンコのめちゃ弱いあの子は、安心根だけは充分に根付いていたと思います。

安心根が根付いているのなら、そこからは、守ってあげる以上に大切な行為があると思います。

心の底からわが子を信じ、待ち、信じ抜く です。

「お前なら、必ずできる」
「お前は大丈夫」
「お前は、親の保護などなくても、全然大丈夫」
「お前なら、いつか必ず立ち上がる」
「お前なら、勝てる」
「お前なら、勝てなかったとしても、別な何かで勝てる」

そういうメッセージを無言で、態度で、雰囲気で、発信し続けるのです。

1人で立たされた子どもは、不安で泣きだすかもしれません。
しかし、いつかは泣きやみます。泣いていてもダメだと気づきます。
怒りのパワーでも、発想の転換でも、何かが変わります

その変化を「成長」という。
僕は、そう思います。

このような時の、母親の保護は【過保護】です。
過ぎたる保護です。
過ぎたる保護は、無言のメッセージを発信しています。

「あなたにはお母さんの助けが必要なのよ」
「この問題は、あなた1人では解決できないわ」

というメッセージです。


◆結論

この記事の結論です。

ものごとは単純じゃない。

やさしさが全て善には作用しません。
自己中も、良い自己中があったりします。
厳しさや冷たさが、真のやさしさの場合もあります。

他者貢献の快楽中毒におちいると、他者の成長を阻む場合があります。
実は、依存しているだけだったりもします。

考えがまとまらなかったので、つらつらと書き出し、4000文字を超えてしまいました。
でも、まだまとまり切っていない。

また、いつかこのテーマで記事を書いてみます。
乱文、申し訳ございません。

僕は、妻のゆかりちゃんが大好きです。








おしまい


※この記事は、エッセイ『妻に捧げる3650話』の第1223話です
※僕は、ゆかりちゃんが大好きです

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