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恋の賭け、成立条件緩和中【第1章】


あらすじ

23歳、小宮山ひまりは沖縄出身。東京で丸2年バイトしていると、強烈に沖縄の海が恋しくなり宮古島ツアーに参加。そこで、余命3ヶ月と医師に宣告された田辺の「余命3ヶ月と考え生きる」という言葉がキッカケとなり、以後、ひまりは仕事に没頭するようになった。周りからは「仕事中毒」と心配され、事実、倒れて入院もするが、仕事はドンドン楽しくなる。
29歳、祖父江を好きになったひまりは、自分が作った掟に縛られながらも賭けに出る。しかし、その恋は実らず。
32歳、沖縄に帰ることを決めたひまりは、友人たちの本音に触れ、長年囚われていたコンプレックスを解消する。
秘かにひまりを想う小松は、祖父江に会いに行く。

第1章 平成15年(2003年)

1.小宮山ひまり 23歳

・4月6日

小さな公園の桜は満開だった。
私は、昨日と同じベンチに座り、青い空を見上げた。

青空を背負ったソメイヨシノに、私は心を鷲掴みされた。心臓がギュ~っと収縮したのだ。
美しかった。それも最上級の美しさだ。

私は、幼馴染の仲間恵を連想した。女優、アイドル、モデルなどに、何度もスカウトされたその美しさは、故郷の嘉手納市内の同世代で、知らない人はいないほどなのだ。

私は、元気に咲く、ハイビスカスや向日葵ひまわりが好きだった。向日葵ひまわりが好きなのは、私の名前に似ているからという理由も加わっている。
東京の桜は「白い」と聞いていて、一昨年も、昨年も、そう思っていたが、もう誤魔化せない。

私は、ハイビスカスや向日葵ひまわりより、ソメイヨシノが好きなのだ。見惚みとれてしまう。たくさんの花びらを一気に咲かせて、明るく元気なのに、美しいなんて。なんて素敵なのだろう。

私は、この公園のすぐ近くにあるローソンで、ランチパックと缶コーヒー買ってあった。コンビニ袋から、それらを出してベンチに置いた。今日の朝食を、ここでと思いついた自分を褒めてあげたい気分になった。

そのとき、私の携帯電話が鳴った。
相手は予想通り、恵からだった。携帯電話の小さなディスプレイに『メーグー』と表示さたのだ。

「おはよう」と、私は言った。
「ひまり、誕生日おめでとう」と恵は言った。

「ありがとう。メーグーは、私の誕生日に必ず電話してくれるから、そろそろかなって思ってたさ~」
「ひまりに彼氏ができたら、1番を獲っちゃ悪いからさ~、午後になってから電話するつもりさ~」と、メーグーは沖縄のイントネーションで言った。

「まったく~、恋愛運の乏しい私に対して、そんなヒドイことを言う? しかも誕生日に?」
「またそんなこと言ってぇ~。恋愛運が乏しい? ひまりモテてたでしょ。何回も言ったけど、ひまりのこと好きな男子、いっぱいいたんだから」

「そんな慰めやお世辞は、聞きあきたさ~。あ、メーグー。話変わるけど、私、6月に帰省するって決まったの~」
「シンケン~! 嬉しい! やっとひまりと会えるさ~。丸2年会ってないんだからね~」

「あの~、そ、それがね。宮古島へのツアーでさぁ~。嘉手納には寄れないんだってぇ~」
「は? 宮古島⁉ ひまり、どういうこと!」

私は思わず、携帯電話を耳から離した。10センチ以上も耳から離したのに、それでも興奮したメーグーの声がビンビン響いた。
満開のソメイヨシノが、まるでその声に呼応したみたいに、ザザ~ッと揺れて、けっこうな量の花びらが舞った。

「どういうこと~⁉ 沖縄に帰ってくるのに、嘉手納に寄らず、私にも会わずに東京に戻るってワケぇ~! そんなの帰省って言わないさ~!」

私は、メーグーの怒りを鎮めるために事情を説明した。

「だからさ~。メーグーにはデ~ジ会いたいさ~。旅行会社にもお願いしたんだけどね、私だけ那覇空港からは別便にって、それは出来ないって言うのさ~」

「あんた、実家にも寄らないワケ⁉ オカアにも会わないの?」

メーグーが、私のことを「あんた」と呼ぶときは、かなり怒っている。
私は、火に油を注ぐことのないように、かなりの注意を払って言葉を選んだ。

「私、沖縄の海が、恋しくて恋しくて、もう~、我慢ならなくなったさ~。そしたら、たまたま、チラシで格安ツアーを見つけたの」

「そりゃあ、6月は梅雨だから、安いに決まってるさぁ~」

「それがね、6月24、25日の2泊だから、たぶん、梅雨明けしてるはずさ~。あとね、私、今まで離島って1度も行ったことがなかったのよ~。だからね、メーグー。沖縄の海が見れて、格安で、初めての離島で、って、これって一石三鳥なのよ~。メーグー、分る~?」

「ぜんぜん分からんさ~。ひまり、引越ししたばっかりなんでしょ?」

「そうなの、今度はバストイレが別で床もフローリングの、デ~ジ素敵なアパートなの! メーグー、いつでも泊まりに来てイイからね~。東京も、どこでも案内するからさ~」

「引越しもして、さらに宮古島に旅行だなんて、アンタ、よく、そんなにお金があったわね?」

いつものことではあるのだが、メーグーは、だんだんお姉さん口調になってきた。私の方が、数ヶ月誕生日が早いのに、シッカリ者のメーグーは、ごく自然にお姉さんのポジションを取ってしまう。実際、メーグーには妹がいるので、ネエネエ口調は無意識に出てしまうのだと思う。ひとりっ子の私は、たぶん、無意識に甘えているし。

私は、「2年間バイトで貯めた貯金がスッカラカンさ~。だから今回は嘉手納には寄れないの。那覇から別便にすると、追加で、メッチャお金がかかっちゃうの~。メーグー、あんまり怒らないで~。今日は私の誕生日なんだしさ~」と、少し甘えた声で言ってみた。

「ふ~っ。東京に『ちょっと勉強してくる』が、もう丸2年だよ。ひまり、私と一緒に仕事をするって約束、まさか、忘れてないよね?」

「大丈夫! 忘れてないよ。ただいまアルバイトを頑張って、接客業というものを猛勉強中さ~。バイトリーダーだし!」と、私は力説した。

「ああっ、ヤバイ! 私、リクとデートなの。準備しなきゃ。電話切るね」と、メーグーは言った。

「誕生日に、叱られて、彼氏がいます自慢までされて、私って可愛そうじゃない?」と、私は、会話を一方的に終わらされる流れにイラっとして、少し絡んでみた。

「ハイハイ、もう時間がないから。またね」と言って、メーグーは、あっさり電話を切った。

私は、ツーと言った携帯電話に向かって、「ハイは1回でイイさ!」とボヤいた。

缶コーヒーを軽く振って、プルトップを引いた。そして、私は缶コーヒーをひと口飲んだ。

「まーさん!」と、言葉にして言ってみた。
少しスッキリした。美味しいコーヒーの味って、凄かったりするのだ。ソメイヨシノの花を眺めながら、ランチパックも食べた。

やさしい美味しさが口に沁み、ピーナッツの濃厚な香りが鼻腔に広がった。

私は、メーグーに憧れながら育った。メーグーになりたいと、子どもの頃は本気で思っていた。目が覚めたら、私とメーグーの心が入れ替わっていたならと、妄想したこともあったのだ。

メーグーは、身長が165センチで、モデルのように美しいスタイル。身長は私よりも10センチも高くて、何度も羨ましく思った。しかも、成績まで学年トップだった。どの教科も、3位を下回ったことがないのだ。

要するに、私とメーグーは対照的なのだ。

私は、自分の天然パーマの前髪を引っ張ってみた。こんなクルクルのくせ毛では、天使の輪ができることは絶対にないのだ。しかも、染めていないのに、私の髪は少し茶色っぽい。
思わず、ため息が出てしまった。

また風が吹き、白い花びらが舞った。
いや。
上品な、淡いピンク色の花びらたちが舞っていた。


2.佐々木龍彦 35歳

・6月24日

羽田を飛び立って、もう30分は経ったハズだ。

僕の座るエコノミー席は、隣が空席だった。那覇空港を経由して宮古島まで飛ぶ。僕は、民宿に泊まる宮古島ツアーに参加したのだ。

ウトウトしかけては、後ろの席の若い娘の声で、ハッと目覚めてしまう。それを僕は、何度も繰り返していた。20歳はたちとチョットと思われる若い娘は、となりの老女と楽しそうに会話をしていた。そして、その声はとにかく大きかった。甲高く、良く響いた。

「あきさみよ〜! オバアは読谷村よみたんそんの人なの~⁈ 私は嘉手納さ~!」

当人には、大声という自覚がない。
機内は、君の家ではなく公共の場なのだと、説教の1つでもしたいところだが、今、の僕には、その気力がなかった。
本来なら、僕の隣の席には美しい女性が座っていたハズなのだ。

母親が倒れたって、本当かなあ? ウソかなぁ。……たぶん、ウソだな。この前の誕生日プレゼント。あれをケチったのが失敗だったのかなぁと、僕は、考えても仕方ないと知りながらも、その考えても仕方のないことばかりを考えていた。

杏奈は、僕が今年になってから、月に2~3度行くようになったスナックのチーママで、ウイスキーのCMの2代目の井川遥さんに良く似ていた。杏奈は、僕に何度も積極的なモーションを仕掛けてきて、3月に男女の仲になったのだった。

今では、そのスナックのママとマスターの、公認の仲となっていた。その杏奈が、今朝になって、母が倒れたから行けない、と電話してきたのだった。

このドタキャンは、ひょっとしたら、神様からの警告かもしれない。
ふと、そんな思考が浮かんだ。
浮かれていると、また、あの地獄へ落ちるかもしれない。

僕は瞼を閉じた。

急成長する販売会社で、僕は、ダントツのスピード出世を果たした。他人の2倍以上働いた自負があるし、結果は5倍以上出した。
僕の鼻は、天狗並みに高くなってしまい、部下2人を率いて独立起業したのだ。

そこからが地獄だった。
売上げが無くても、部下2人に20万円ずつ、計40万円が消えてなくなり、部下は「これでは生活できない」と不満を訴えた。部下2人はアッサリ辞めてしまい、3人で取り組もうとしていた事業を、2人で始めていた。

貯金は、まるで湯水のように減り、妻とは顔を合わせるたびに言い争いになった。そして、妻に離婚を宣言された。財産分与が無くならないうちに離婚しなければ、という計算が、透けて見えた気がした。

子供はいなかったので、離婚は拍子抜けするほど簡単だった。

久しぶりに喰らう、泣きっ面に蜂だなと苦笑いを浮かべ、霞のかかった脳で考えた結果、僕は、法務局へ向かった。営業コンサルタントとしての、開業届を出しに行ったのだ。ハローワークへ足を運ばなかったのは、100%、見栄だった。
僕は、一国一城の主、というポジションを捨てることができなかった。

現実は、実績もないコンサルタント業で食っていけるワケもなく、深夜警備のアルバイトも行なった。知人に、警備員姿の自分を見られたくなく、怯えながら生きた。

生活費を極限まで下げ、アルバイト以外の時間は、睡眠か、飛び込み営業か、営業コンサルを行なったのだ。
コンサルのウエイトが、ほんの少しずつ、蝸牛の前進速度のように、徐々に増した。
アルバイトは晴れて、昨年末、やっと完全に不要になったのだ。

成果報酬という契約でのコンサルタントが、爆発的な売上げアップを成した。その報酬も大きかったが、それ以上に、その実績が広告となりクロージングとなったのが大きかった。次の契約を呼んでくれたし、決めてくれた。
ありがたいことに数社が顧問契約に応じてくれて、僕は、独立して初めて、休日を取ることができた。

そして僕は、10日に1度、駅前のスナックで飲むようになり。杏奈と出会った。

杏奈も、別れた妻と同じなのだろうか。僕のことを好いているのではなく、僕が稼ぐお金が好きなだけなのか。そして僕には、一般的な経営者ほど、自由になるお金はない。
10日に1度のスナックでの支出でさえ、本来は、貯金すべきだと思う自分がいる。

そのケチ臭さが、伝わってしまい、幻滅されたのだろうか。宮古島まで直行便ではないツアーだし、ホテルではなく民宿だ。
しかし、今の僕には、これでも大盤振る舞いなのだ。

そして今、神様から、罰を与えられているのではないか。

運転資金で苦労をした経験も、喉元過ぎれば熱さを忘れるで、さっそく浪費をするとは言語道断。ビジネスの神様は、そのようにお怒りなのかもしれない。

「アキサミヨー!」という大きな声で、僕の思考は中断された。

那覇までは、快眠はムリだなと、僕は思った。
元気な若い娘は、隣の老女に、身の上話を語り出していた。

「ホテルじゃないのよ~、民宿なのさ~。あえての民宿。そこがイイのさ~。農業体験や漁業体験があるんだよ~。
 東京に行ってもう丸2年さ~。うん、1度も帰ってないの~。はじめての帰省なんだよ~。実家じゃなく、宮古島に行くのだから『帰省』って言わないかぁ~! 帰省じゃないって、幼馴染に叱られたのよ~。アハハハ~!」

この若い娘も、同じツアーに参加しているのかもと、僕は思った。


* * *


那覇空港で飛行機を乗り換え、僕は宮古空港に着いた。初めての宮古島だ。

那覇からの機内ではシッカリと熟睡できて、僕は、杏奈がいない淋しさに慣れつつあった。

宮古空港の到着ゲートでは、スケッチブックを頭上に掲げている青年がいた。
『民宿島袋』と、かなり下手な文字が太いマジックで書かれている。

青年は背が高かった。おそらく190センチ前後だろう。長身で手足も長かった。スラッとした青年が、長い腕を伸ばしてスケッチブックを頭上に掲げているのだから、真っ先に目についた。

眉と目が近く、その眼はクッキリパッチリの二重瞼で、顔は濃く、いわゆるソース顔だ。ハンサムな彼は、終始、満面の笑みを浮かべていて、これには、若い女性は参ってしまうだろうと、僕は思った。

青年の横には、身長170センチ弱くらいの、痩せた老人がいた。顔がシワシワで、目は、その皺の中に埋もれている。1番濃く深いシワが、おそらくは目だ。老人もニコニコと笑顔を浮かべて、温厚さを醸し出していた。

あの2人に声をかければ良いと、僕は、いとも簡単に理解できた。

僕の横を、若い娘がスキップで抜いて行った。ボブパーマの髪の上に、白い麦わら帽子が乗っていた。ボブパーマの髪は、楽しそうに跳ねている。
やや小柄で、身長は155センチ前後か。スレンダーなのに胸は小さくなかった。ブルーのシャツは腰に巻き、Tシャツ姿になっていた。デニムのホットパンツからは健康的な長い脚が伸びていて、腰の位置が高かった。白い厚底のアンクルストラップサンダルは、この南国にピッタリだった。

イイ女だなと思ったが、僕には若すぎた。僕は、年下にはまったく興味がない。
僕は、甘えたい人間なのだろう。

「私~、小宮山で~~~す! 下の名前はひまりで~す!」
「小宮山ひまりさん、いらっしゃいませ~」と、島袋民宿の青年が応じた。

声を聞いて僕は、やはりと思った。
那覇までの機内で、老女と大声で会話していた娘だ。

「ササキさ~ん、いませんか~!」と、青年が大きな声を出した。

僕は、あわてて名乗り出た。

「佐々木です」
「ササキさん、いらっしゃいませ~。長旅、お疲れ様で~す」

愛想良く、ニコニコと青年は喋りまくる。隣の老人は、ニコニコしているが言葉は発していない。

「ササキさん、もう1人の方は?」と、青年に問われた。
「あれ? 羽田から旅行会社に電話しましたよ。連れは、今朝、母親が倒れてしまって、キャンセルなんです」と、僕は答えた。

老人がニコニコ肯いている。
旅行会社からの電話を、きっと、老人が受けたのだろう。この民宿は、簡単な情報共有さえできないのか。僕は、この後が少し心配になった。

「あと、田辺さ~ん!」
「はい。田辺です」

「わっ! びっくりしたー! 田辺さん、いつの間に? 全然気づきませんでしたよ~」
「こんにちは。少し前から、ここにいましたよ」

「こんにちは~」と青年は、気を取り直し挨拶をしていた。

田辺さんという老人は、民宿の老人より少し若く、少し背が低かった。そして、同じように痩せていた。品の良いシルバーフレームの眼鏡が顔になじんでいて、レンズの奥の目は、とても穏やかだった。

「オジイ、皆さんそろったよ」と青年が言った。
「んん」とオジイは言った。

「みなさ~ん! 僕について来てくださ~い! 海が良く見えるルートを通って、まずは民宿に向かいま~す! レッツゴーで~す!」

「レッツゴーで~す!」と、小宮山さんという娘が応じた。


* * *


僕たちは、外に出た。

空気が、東京とは違ってカラッとしている。太陽は、ほぼ真上にいた。
青い空は、ウソのように雲1つない。美しい青だった。濃い青に感じるが、それは紺色に近いという意味は全くない。青のままで青く濃かった。

僕は、サングラスをかけた。
シャツを脱ぎ、Tシャツ1枚になった。昔、水泳で鍛えた肉体には自信もある。Gパンが暑苦しかったが我慢した。

青年が、小宮山さんに声をかけた。
「小宮山さんは可愛いだけじゃなく、元気なんですねー」と。

「そんな、可愛いだなんて、お世辞を言っちゃダメさ~! 元気ってのは、本当に元気だからイイけどね! 私には、それくらいしか取り柄がないのさ~。あと、名字じゃなくて『ひまり』って呼んで欲しいなぁ。私、自分の名前が好きなの。ちゃんでも、さんでも、どっちでもイイからさ~」と、ひまりさんは言った。

僕にとって、ひまりさんは少々鬱陶しかった。明るく素直で、屈託も飾りもない。良い性格なのは分かる。機内でうたた寝を邪魔されたことと、若さと、明るすぎることが、僕の神経を逆なでしている感じなのだ。

田辺さんは、花を見かけては立ち止まり、鳥を見かけては立ち止まった。
時々、深呼吸も行なった。
僕には、少々、芝居がかった動きに見えた。もしかしたら俳優かもしれない。

青年の案内で辿り着いた車は、ワーゲンバスだった。白とスカイブルーのツートンカラーで、南国にピッタリだ。僕は、思わず見惚みとれてしまった。

ひまりさんは、そのワーゲンバスを見て飛び跳ねた。

「な~に~い! めっちゃカワイイ~んだけど~~~!」

こういうブリッ子も、僕はあまり好みではない。


3.ひまり 一生懸命って楽しい

バスの運転席には、オジイが座って、私は少し驚いた。
背の高い青年は、後ろのドアを上げて、私たちの荷物を積んでくれた。

サイドにある後部座席用のドアは、なんと観音開きだった。
「カワイイ~!」と私は言って、テンションが上がった。観音開きのドアの車って、初めて見たし、それがメッチャ可愛いし。

このバスは自分で直して自分で塗装したのだと、青年は、はにかみながら言った。自慢したい気持ちを抑えているのが分かって、私は、可愛いなぁと思った。宮古島に来てから、可愛いの連発だ。

後部座席は、2列目が2人掛けのシートで、3列目は3人掛けのシートだった。私は、なんとなく2列目に座った。佐々木さんと田辺さんは、3列目に離れて座っていた。それぞれが窓側に座った、という感じだった。

青年は、助手席から身体を浮かせてひねり、私たちに顔を向け、笑顔で語り出した。

「みなさん、今回は僕たちの宿、『民宿島袋』を選んでくださって、ありがとうございま~す。僕は、エイショーと言います。よろしくお願いしま~す」

私は、「よろしくね~、エイショーくん」と言った。

「ひまりさん、ありがとうございます~。ええ~っと、まずは、運転しているのが、僕のオジイです。宮古島では、『オジイ』って、愛を込めて呼んでますので、みなさんも『オジイ』と呼んでくださ~い」

「はーい!」と、また、私は言った。

このリアクションは、半分自然に行なっていて、もう半分は計算でもあった。
私は、場が暗くなるのが何よりも嫌いなのだ。このメンバーと分かった瞬間から、盛り上げ役は私しかいない。

エイショー君は明らかに、私のリアクションをありがたがっている。田辺さんも、言葉には出さないが、口元には笑顔が浮かんでいた。

不機嫌そうな佐々木さんも、ときどき笑みを浮かべていて、きっと根は良い人なんだろうと思った。恋人がキャンセルになって、淋しいのだろう。

「さて、皆さん! 民宿までのこの車の中で、自己紹介を済ましちゃいましょう~!」とエイショー君が提案した。
私は、すかさず「イエ~イ! イイぞ~、エイショーく~ん!」と反応した。

「ひと回り目は、名前と年齢だけにしてくださいね~。それ以外の話題は、ふた回り目の自己紹介用にとって置いてくださ~い。まず、僕は、島袋エイショーです。高校を卒業したばかりで18歳です。オジイは75歳で、民宿には、オジイとラブラブのオバアが待っています。お昼ご飯は、オバア特製の宮古そばで~す」

「わ~い! 宮古そば、嬉しい! お腹空いた~!」と、私は本音を語った。沖縄そばが食べたかったから、少し違うらしい宮古そばが、デ~ジ楽しみなのだ。

「じゃあ次は、ひまりさん、どうぞ~」

「どうぞって、私から~? 聞いてないさ~。ったく~。ええっと、私、ひまりです。小宮山ひまりです。年齢は、レディーに聞いちゃダメなんですよ~。エイショー君より、チョピっとだけお姉さんで~す。よろしくお願いしま~す」

「では、次は私が……。私は、田辺憲一朗です。生粋の江戸っ子で、歳は55歳です。あ、江戸っ子って言っちゃった、ごめんなさい」

「あきさみよ〜! ゴメンね、田辺さん。私、もっと年上って思ってたさ~」

「ひまりさん、私は年齢を気にするレディーではないので、安心してください。それに、このシワの多い顔ですから、よく年上に見られます。慣れっこですから、大丈夫ですよ~」

「わは~! 田辺さんって、紳士~い! やさし~い!」

「ええっと、最後は私ですね。佐々木龍彦です。歳は35です」

「佐々木さん、めっちゃハンサムですよねぇ~。俳優さんかと思ったさ~」と、これまた本音で言った。身長は、たぶん175くらいで、肩幅が広かった。ハンサムだからサングラスも良く似合っていた。

私は、思わず叫んだ。

「海だ~~~!!!」

叫ばずにはいられなかった。
みんなも海を見た。

これが、宮古島ブルーかと思った。確かに、嘉手納の海とは少し違うかもしれない。宮古島の海の色は、空のパステルブルーと、ほぼ同じブルーだった。

海の青は、空のパステルブルーを映しているのだろうか。

「ああ~~~、最高~~~!
 沖縄に帰ってきたんだ……。
 みなさ~~~ん! 海で~~~す!」

私は、涙が溢れて、涙声になっていた。

田辺さんは号泣していた。
涙をガマンするとか、ぬぐうとか、そういう事を忘れているみたいだった。

佐々木さんも、声を発することなく海を見つめている。サングラスを外して、真剣な眼差しになっていた。

自己紹介は、ふた回り目には入らず、ごく自然に雑談となった。
エイショー君と私がしゃべりまくって、ほかの3人は、それをニコニコと聞いてくれた。主に、エイショー君がこのバスを、どんな風に修理して、どんな苦労があったのかを聞いた。

時おり佐々木さんが、ツアーのことについての質問をした。

その結果、私も気になっていた部屋割りが分かった。当たり前だが、ちゃんと各自に個室が用意されていると聞いて、安心した。

オジイは、相変わらず何も喋らないけど、ず~っと笑顔だった。私は、オジイの真顔は笑顔なのだと思う。私も、真顔が笑顔のオバアを目指そうと思った。

バスが、舗装された道を曲がり、畑の中へと入って行った。
そして停車した。宿に着いたのだ。


 * * *


これから、オバアの宮古そばをいただく。
オバアは、背が私と同じで低かった。髪は1つにまとめて、おでこが全開で、まんが日本昔話のオバアに似てて、とても可愛かった。

食事は基本、庭で食べると聞いて、私はテンションが上がった。宮古島に来たのに、家の中にいたのでは「勿体ない」と、エイショー君は言った。

でも、宮古島の日差しは危険だ。

鯉のぼり用のような太い柱が、庭に4本あって、大きなシェードが渡してあった。
庭の隅には、大きなパラソルが数本あるのが見えた。日差し対策は万全だった。

シェードの下は、想像以上に快適だった。シェードが高い位置にあるから、圧迫感は全くなく、それでいてチャント日差しを遮ってくれていた。
その下に、屋外用のテーブルとイスがあり、オジイとオバアが仲良く宮古そばを運んできてくれた。

「オバアの蕎麦は、美味しいですよ~」と、エイショー君が言った。心底、そう思っているのが伝わってくる真顔だった。

宮古そばは、沖縄そばと違って、具が麺の下に隠れていた。
私は、スープを確かめてから、勢いよく麺をすすった。

「まーさん!」

大きな声で本音を叫んだ。本音を叫ぶ快感がクセになってきていた。

麺は平麺で、スープは懐かしい味だった。沖縄そばと完全に同じではないものの、基本は同じなのだろう。

デザートの、島バナナのソフトクリームも美味しかった。南国の味だ。

「さっそく、農業体験に行きましょう~!」とエイショーが言った。

「やったー! これ、楽しみだったのさー!」と、私は言った。

オジイがエイショー君に、何かを伝えた。オジイの言葉は、小さかったし、たぶん、年季の入った宮古島の言葉で、聞こえたとしても分からなかったと思う。

エイショー君は、オジイの発言に驚き、そして、少し抵抗を示していた。
渋々いう感じになり、こちらに向き直った。

「え~、実はおととい、台風が宮古島の近くを通過しまして、うちの畑のビニールハウスが、ホンの少し傾いちゃいました~」

「あきさみよ〜! じゃあ、農業体験はできないの~?」と、私は聞いた。

「大丈夫です。こういうのはショッチュウーですから、僕やオジイは慣れっこです。そういうわけで、リアル農業体験です。これからみんなで力を合わせて、ビニールハウスを立て直しましょ~!」

「わ~っ! メッチャ面白そう!」

「ええっと、本気で言っているの?」と、佐々木さんが発言した。

私は、佐々木さんに、ず~っと抱いていた違和感にハッキリと気づいた。会ったことなど無いはずなのに、どこかで会った気がするのだ。誰かに似ているのだろう。

その佐々木さんの、本気かという問いに、「はい! 本気の本気です! これぞ、本物の農業体験! 滅多にできる体験じゃありません」と、エイショーが笑顔で答えた。

「まあ、確かに『リアル農業体験』だろうけどね。でも、都合よくタダ働きさせられているようにも感じるんだけど」と、佐々木さんは言った。

エイショー君はすかさず、「そーなんですよ~。さっき僕、オジイに同じことを言ったんです。それじゃあタダ働きさせるみたいじゃないかって。でもオジイは、『バーベキューだって自分で肉を焼くだろ』とか『陶芸体験も自分で茶碗とか作るだろ?』とか言うんですよ~」と、困った顔で説明した。

私は、どちらの言い分にも一理あると思った。

「私は、ぜひ、体験させてほしい。ビニールハウスの修繕なんて、なかなか出来ないですからね」と、田辺さんが言った。

私も、「直してみたーい!」と、あえて無邪気に言ってみた。

私は、佐々木さんに少し近づいて、「佐々木さん、ぜひ一緒にやりましょう。ね? 私は力が無いし、田辺さんも力持ちには見えないし。佐々木さんがいるといないとでは、きっと大違いだと思うんです」と、お願いしてみた。

「分かったよ。多数決には従いましょう」と、佐々木さんは腰を上げてくれた。

「やったー! エイショー君、全員参加で~す!」

「では、レッツゴーですね~。みなさん、僕について来てくださ~い」

「ちょっと、これを被って行きなさい」と、オバアが言った。
人数分の、濡れタオルと麦わら帽子だった。

濡れタオルを頭に乗せてウナジの方にたらす。それが落ちないように麦わら帽子を被るのだ。うなじが日焼けするのを防いでくれる。

「日差しがスゴイからさー」とオバアが、やさしい笑顔で言った。

「タオルだけお借りしますね~」と、私は言った。
「ひまりちゃんは、自分の麦わら帽子があるのね~」と、オバアは言った。

「今度こそ、レッツゴーで~す!」とエイショー君が言う。
「レッツゴー!」と、私も応えた。

100メートルも歩かないうちに、「ここで~す!」と、エイショー君が言った。
ビニールハウスが2棟あり、確かに、どちらも微妙に傾いていた。

オジイが指示を、エイショー君に出す。
エイショー君が、それを、みんなに役割分担した上で伝えた。

骨組みを確認し、少し曲がった程度のモノは、エイショー君や佐々木さんが、腕力で直した。折れた骨が1本あって、それは皆で力を合わせて交換した。

作業のほとんどは、エイショー君と佐々木さんが行なった。
私と田辺さんは、そのサポートだった。支えることが仕事なのだ。オジイは、全体を見渡す監督のような役割だった。

見ると佐々木さんは、汗だくになりながらも、笑顔を浮かべていた。
田辺さんも笑顔だったが、少し辛そうで、実は、私も辛かった。直射日光の下で動くことは、想像以上に過酷だった。

オジイが休憩の指示を出してくれた。
パラソルの下で、水分補給をして、休憩を取り、もう1棟に取り掛かった。タオルをもう1度水道水で濡らした。

佐々木さんが、1棟目で要領を得たことと、こちらは傾きが小さかったこともあって、作業はドンドンと進んだ。

エイショーが大声で叫んだ。

「みなさ~ん! 終わりました~! ありがとうございました! オジィが、『水飲んで~』って言ってます~!」

母屋の庭に戻るまえに、今一度、パラソルで休憩となった。
プラスチック製のイスに、みんなが腰を下ろした。

田辺さんが、「日影ってありがたいですね~」と言った。

「ホント! 同じことを思ったさ~」と、私は同意した。直射日光の下での作業は、たった5分でも、かなり辛いことを体験できたのだ。

「佐々木さん、ありがとう」と田辺さんが、佐々木さんに身体を向けて言った。
「確かに! 佐々木さんが、力仕事をいっぱいしてくれて、メッチャ助かったね~」と、私も続いた。

エイショー君が、「佐々木さんがいなかったなら、まだ、半分も終わってないね~」と付け足した。

オジイが、佐々木さんに、ヤカンを手渡した。左手の親指を突き出しGood!のポーズを加えている。オジイは無言だったけど、「グッジョブ!」と、私の脳は翻訳していた。

佐々木さんは、少し照れながらもヤカンを受け取り、自分の紙コップに注ぎ、それを飲んだ。

「ブ~~~ッ! ペッ、ペッ! なにこれ~ッ⁉ コレ、水じゃないよ~!」

同じヤカンの水を、私は恐る恐る飲んでみた。

「オジイ~! これ、泡盛でしょー! なに飲ましてんのよ~!」と、私は、私のオジイに言う口調で怒鳴った。

エイショー君が笑いながら、「ごめんなさい! それはオジイのヤカンでした!」と言った。
「たぶんオジイは、佐々木さんに特別サービスをしたつもりなんですよ~」と付け加えた。

私はなんとなく意味が分かったけど、佐々木さんと田辺さんはキョトンとしている。

エイショー君は、続けてこう言った。

「オジィは、普段の農作業中も、泡盛の水割りを飲みます。薄いので、『これは水だ』と言い張ります。そして、この泡盛は、かなり高級なヤツなんですよ~」

田辺さんが、「佐々木さんの働きが良かったから、水では申し訳ない、みたいな?」と聞いた。

オジイがすかさず、そうだと言わんばかりに、両手でGood!のポーズをした。

田辺さんと私は、お腹を抱えて笑った。オジイのダブルGood!が可愛かったのだ。
佐々木さんも笑っていた。

私は今なら、お箸が転がっただけで爆笑しそうだった。


* * *


翌日。
宮古島は快晴だった。

私たちは、午前中を使って、島内観光を行なった。
移動は、もちろん、あの可愛いバスだ。

有名な観光地を回ってくれた。みんな満足しているように見える。
もちろん、私も大満足だった。

どこまでも広がる白い砂浜は、歩くだけでロマンティックな気分になったし、解放感も堪能できた。
360度、全方向オーシャンビューの展望台。そこからの景色は、まさに絶景だった。地球が丸いことが分かるのだ。

神秘的な通り池。真っ青な空。青い海。

1番感動したのは、海の上を走る大橋のドライブだった。あれほどのドライブコースはないと思う。最終日、空港へ送迎する前に、もう1つの大橋をドライブすると教えてもらって、3人は歓声を上げたのだ。

宮古島の景色は、どれだけ見ても厭きなかった。

海の青は、いろいろな青があった。
ときどき見かける真っ赤なハイビスカス。濃い緑色の島バナナ。

私の目に映る景色は、沖縄だった。宮古島だが、でも沖縄でもあった。内地とは違う。

自分が沖縄に飢えていたのだと、改めて思った。沖縄の海や空や風や空気に、私は飢えていたのだ。禁断症状が現れていたのだ。
思い切って、このツアーに申し込んで、本当に良かった。

だからこそ私は、全力でハシャギ、全力で楽しんだ。

アスファルトで敷き詰められた東京にはない、南国の海や空や大地にしかない、そんなエネルギーを余すことなく吸収した。全身で宮古島を味わった。

佐々木さんも、今日は朝から満面の笑みだった。
田辺さんも微笑んでいる。
エイショー君は、いつものように爽やかだった。
オジイは、いつもの笑顔の真顔だった。私の目標とする、シワクチャな笑顔だ。

幸せだな、って思った。

「午後からは、漁業体験で~~~す!」
「イエ~~~イ!」

エイショー君との掛け声に、私が合の手を入れることは、もう、定番になっていた。
もう、ほぼ無意識で合いの手を入れている。そのタイミングも何となく、そろそろかな、と分かるのだ。

「ところでエイショー君。泳ぐときは水着に着替えるの?」と、気になっていたことを質問した。
「ああ、それは皆さんの自由です。宮古島の僕らは、このまま海に入ります。皆さんも日焼けには気をつけてください。内地の人は上半身裸になりたがりますけど、ここの日差しは危険ですからね~」

私も、嘉手納の海に入るときは水着にならなかった。
でも、今日は、ちょっと上等なTシャツを着ているし、それに買ったばかりの水着を着ないのは勿体ない気もした。

そんな私の乙女心に、エイショー君は気づくこともなく、大きな声で叫んだ。

「みなさ~ん! 僕の友達で~す! 紹介しま~す! ほら、挨拶して」

「リューセーです!」
「カイトで~す!」

「追い込み漁をしますので、助っ人を頼みました~!」と、エイショー君が言った。

「あきさみよ〜! 漁業体験って、追い込み漁をやるの~!」と、私は言って、テンションがMAXまで上がった。

「そうなのです。ひまりさんは追い込み漁、やったことありますか~?」

「ないないない。で、水着に着替えるの?」

「ん? 僕たちはこのまま……。あ、着替えるところですね」と、やっとエイショー君は、私の聞きたいこと察してくれた。

「ワーゲンバスの中で着替えができます。窓は中からカーテンで目隠しできますよ」と教えてくれたので、私は水着に着替えた。
日焼け対策のラッシュガードも、私は抜かりなく持ってきてあった。

田辺さんは、「郷に入りては郷に従います」と言って、私服のまま海に入った。佐々木さんもそれに習っていた。

追い込み漁の網は、私の想像以上の何倍も長かった。
まずは、みんなで網を、大きく広げた。充分に大きく広がって、徐々に範囲を狭せばめていくのだった。

その範囲が広い時には感じなかったが、狭くなってくると、徐々に大漁だと分かるのだった。私は興奮を抑えられなかった。エイショー君たち若者3人とオジイは、機敏に泳ぎ、機敏に潜った。佐々木さんの泳ぎも素晴らしかった。

私は田辺さんと、それぞれ網の端を持っていた。ただ、それだけにすぎないのだが、そうと分かっていても、私も田辺さんもハシャギ、歓声を上げ続けた。

圧倒的に、『漁』という実感があるのだ。魚たちが網の中で暴れまくって、中にはかなり大きい魚もいた。

私達の漁。
いや、私達の大漁だった。

「スゲェ~! 大漁だ~!」
「こんなに獲れるの~⁈ すご~い!」
「ホント、凄いですね~!」
「今日は、特に大漁です~!」

みんなが興奮していた。

カイト君が「獲ったどー!」と絶叫して、笑いもとった
リューセイ君は、そのカイト君にツッコミを入れていた。


* * *


魚は、庭で、焼いて食べた。
オジイとオバアが、手際よくウロコを落とし、そして塩を振った。

リューセイ君とカイト君が、バーベキューの道具を準備し、エイショー君は炭を持ってきた。オジイが指示を出し、リューセイ君たち若者3人がキビキビ働いた。

単なる魚の塩焼きが、こんなにも美味しいとは、うちなんちゅーの私も心の底から驚いた。

「まーさん!」と、何度も叫んだ。

「焼き加減と塩加減が、絶妙なんだな」と佐々木さんが言った。
「炭火焼の旨さですね」と、田辺さんも、美味しそうに魚を突きながら語った。

魚を充分に味わったタイミングで、野菜やソーセージが追加された。
今夜の晩ごはんだった。

飲み物は、最初ビールだった人も、今は、泡盛のシークワーサー&炭酸割りに変わっていた。宮古島の食べ物には、宮古島のお酒が合うのだろう。

未成年なのに、リューセイ君とカイト君も酒を飲みたがり、エイショー君だけ飲まずに、彼らを送り届けるという条件で、オバアがOKを出した。

みんな、どんどん陽気になっていった。

デザートのマンゴーの美味しさに、佐々木さんと田辺さんが唸った。目を丸くし、2倍に見開いていた。私は、沖縄の美味しさを誇らしく思った。そのマンゴーの美味しさは、想像以上で、「でーじ、まーさん!」と、私は思わず呟いていた。

オジイが三線を持ってきた。
若者3人が歌って、そして踊った。

エイショー君がウクレレを持ってきた。
島唄、涙そうそう、島人ぬ宝、恋しくて、と、佐々木さんや田辺さんも知っている歌を、歌ってくれた。味のある歌声だった。

オジイやオバアも踊っていた。


4.佐々木 田辺の告白

僕とオジイの2人で、バーベキューセットを庭の隅に移動した。
続いて、庭の真ん中に、丸いテーブルを置く。

ひまりさんとオバアが、ローソクを持ってきた。
オバアは、そのローソクに火を灯した。

リューセイ君とカイト君は、少し前にエイショー君が送って、そのエイショー君も戻っていた。しかし、お開きにするには、まだ少し早い時間だった。

明日の午前中で終わるこのツアーを、ここにいる全員が惜しんでいる。僕はそう感じた。

オジイは、いつものシワシワの笑顔で、泡盛をロックで飲んでいる。僕も、美味しい物をいただくときは、このような表情をしたいと思った。

田辺さんは、お酒をやめて、宮古島サイダーを飲んでいた。
僕とひまりさんは、泡盛のシークワーサー&炭酸割りを飲んでいる。ひまりさんは、かなり酒が強い。酔った感じが全くないのだ。

「自己紹介の、二回り目をしましょうか」と、エイショー君が言った。
エイショー君は、当然のようにひまりさんにアイコンタクトを飛ばした。

「え~、私から? ま、イイかぁ~。でも、何を話そうかなあ~」と、ひまりさんが言った。

「私は、ひまりさんの、夢や目標が聞きたいですね~」と田辺さんが言った。

「夢~⁈ ジェントルマンの田辺さんのお願いだから、ちょっと、語っちゃうね。私は東京で、ビジネスの経験を積んで、そして、地元の嘉手納に戻るの。親友のメーグーから『一緒に起業しよう』って言われてるのね。だからたぶん、そうすると思う。それが、夢というか、将来の計画かなぁ」

僕は、つい、「起業って、どんなビジネスをするつもりなの?」と聞いてしまった。

「メーグーは、観光客をターゲットにビジネスしたいって言ってるの。中学と高校と、琉球大学に入ってからも、勉強をもの凄く頑張って、県の観光課の職員になったんだよ~。凄く頭が良くって、短大に行った私とは正反対なの」

「起業はやめた方がいい。会社を起業するって甘くないんだ」と、僕は言った。

頭の中では、誰かの夢を否定するな、若者の夢にケチをつけるなという声が聞こえていたが、僕の、言葉は止まらなかった。
自分が、起業で苦労したから、甘くないというアドバイスは建前だと、こころの底で、僕は分かっていた。

自分が苦労した起業を、若い娘にアッサリとクリアーされたくないという、歪んだ嫉妬心の方が本心なのを、もう1人の僕は、ちゃんと見抜いているのだった。

ひまりさんは、驚いた顔をした。
いきなり、夢を否定されたのだから、無理もなかった。

「僕は、1度会社を作って失敗した。甘くなかった。眠ろうとしても眠れなくなった時期があってさ。ウトウトすると、胸やお腹がザワザワしてね。無数の虫が身体中を這いずり回っている感触があるんだ。もちろん虫なんか1匹だっていやしないだけど、その感触は、どうにもリアルなんだよ。今は、あの時の僕は鬱病だったのだろうって思う。一歩間違えば、僕は迫りくる電車に吸い込まれたかもしれなかった」

ひまりさんが言った。

「ありがとー、佐々木さん」

「え?」

僕は、耳を疑った。

「心配してくれて、本当にありがとう~。佐々木さんって、優しい~。偶然、このツアーで一緒になっただけなのに。本気で心配してくれて。私、本当に嬉しい」

「え? あ、ああ……」

僕は、完敗だと思った。
悪意があるとは思わないのか? 否定されたとは取らないのか?

ひまりさんは、僕の発言には悪意がないという前提に立っていたのだろう。僕は、自分が恥ずかしくなった。

オジイが、ひまりさんに、ダブルGood!のポーズをした。
オジイは、僕にまで、ダブルGood!をくれた。

僕は、笑顔で答えたが、その笑顔は引きつっていたかもしれない。

そのとき、「私も、少し語っていいですか?」と、田辺さんが言った。

「どうぞ、どうぞ」と、僕は、田辺に手を添えて発言を促した。良い言葉が見つからず、困っていたので、ありがたかった。

田辺さんは語り出した。

「実は私は、ガンなのです。それも末期ガンで、医者からは余命3か月と言われました。それが、先月のことです。……だからもし、医者の言う通りになるとしたら、私は、あと2か月の命なのです」

田辺さんの声は、小さかった。
しかし、ちゃんと声は届いた。耳を伝い、胸にまで、シッカリと響いた。

田辺さんの声に、悲壮感は感じなかった。諦観や達観という境地に達していたのだろうか。庭には、神聖な空気が支配しつつも、決して暗い雰囲気に変わったワケではなかった。

ロウソクが、「ジジ…」と、小さな音を立てた。
海から吹く風が、木々の葉を、そ~っと揺らしていた。

誰もが、何も言わずに、田辺さんの言葉を待った。

「私の心と脳は、混乱しました。そんな宣告は受け入れられないし、しかし、医者は真面目に話しているのです。しばらくは、何も考えることができませんでした。胸の中に浮かぶ思いは、それならば、老後に備える必要もなく、やりたいことをやれば良かったという後悔ばかりでした」

風がやみ、田辺さんの小声は、より胸に響いた。
静かな語り口調に、本当の告白だという凄味があった。

「ここには、医者の勧める延命治療を断り、やってきたのです。たった3か月でも構わないから、やりたいことをやると決めたのです。私は、宮古島に来て、本当に良かった。空も海も信じられないほどに美しく、魚もマンゴーも、信じられないほどに美味しかった。体験に勝るものはありませんね。
みなさん……、どうか、やりたいことをやってください。
 3か月は短い。
 命が、あと3か月しかないなら、みなさんは何をしますか? 時には、そんなふうに、考えてみてください。私のように後悔しないために、私からの忠告です」

オジイは夜空を見上げた。

田辺さんも夜空を見上げた。
僕も空を見た。美しい星空だった。

ひまりさんだけは、田辺さんを真っすぐに見つめ続けていた。
彼女は立ち上がり、田辺の隣に移動し、ベンチに腰掛けた。

田辺さんと、視線が重なった。

ひまりさんは、田辺さんをハグした。
ぎゅっと抱きしめている。頬と頬が触れている。

ためらいのないハグだった。

僕は、美しいと思った。

その行為が美しいと感じたのか、ひまりさんの心の美しさを感じたのか、それは分からない。しかし、神々こうごうしかった。

田辺さんが言った。

「私は、東京に帰ったら、今度は妻と一緒に、北海道に飛びます」

ひまりさんの頬が、田辺の頬から離れた。
ひまりさんの両目は、濡れていた。

「ラベンダー畑を、前から一度見たかったんですよ」と、田辺さんは言った。

田辺さんは、涙を浮かべてさえいなかった。
もう既に、自分のために流す涙はれてしまったのだろうか。

残り3ヶ月の命なら、僕は、何をする?

少し考えたが、答えは、簡単には出そうになかった。


* * *


翌日。
我々のスーツケースを積んだワーゲンバスは、もう1つの大橋をドライブしてから、宮古空港へ向かった。

田辺さんは、いつも通りで、ひまりさんとエイショー君の掛け合いもまた、いつも通りだった。

宮古空港にワーゲンバスが着いてしまった。
エイショー君が、バッグドアを跳ね上げ、キャリーケースを降ろしてくれた。

「佐々木さん、楽しんでいただけましたか? 今度は是非、恋人と一緒に来てください」と言われた。

「ああ」と、私は微笑んで応えた。本当に、そうしようと思った。

エイショー君は、田辺さんに、「ありがとうございました」と言った。そして、「僕、田辺さんの言葉を忘れません」と付け加えた。

田辺さんは、「忘れない……。それは嬉しい!」と言って、エイショー君と握手した。

エイショー君は、ひまりのスーツケースを降ろして言った。

「ひまりさんの、ひたすらさ。僕、好きです。僕も真似して、ひたすらに生きます」と。

「私、ひたすらなの?」と、ひまりさんは聞き返していた。
「はい。真っすぐ、ひたすらでした。僕の目指す生き方のお手本です」とエイショー君は、熱く語ったのだ。

私は、エイショー君は、ひまりさんに惚れたのかなと、思った。

「お~い! エイショー!」
「ひまりさ~ん!」

大きな声が飛んできて、白いオープンカーが、ワーゲンバスの後ろに停車した。

カイト君とリューセイ君が、見送りに来てくれたのだ。

ひまりさんは、空を見上げていた。
涙をこらえていたのかもしれない。

「エイショー君、オジイ、ありがとう!」と、私は、大声で言った。
鼻の奥がツンとした。

「カイト君、リューセイ君も、ありがとう」と付け加えて、手を振った。

ひまりさんも、田辺さんも、手を振った。
エイショー君、オジイ、カイト君、リューセイ君は、両手を振って応えてくれた。


* * *


私たちは、無事に羽田空港に着いた。
ターンテーブルから、それぞれの荷物を見つけ出し、なんとなく集まった。

「電話番号を交換しませんか?」と、私は、2人に提案した。
ひまりさんの携帯電話番号を聞き、私はワンコールして切った。

「あ、これが佐々木さんですね。登録しておきます」と、ひまりさんが言った。

田辺さんは、「私はお断りします」と、穏やかに微笑みながら言って、「そのかわりに、私のことを忘れないでほしい」と付け加えた。

言葉を必死に探していると、田辺さんは、「私は、ここで妻と合流して、北海道に飛びます」と言って、握手を求めたのだった。

「私は、田辺さんの言葉を、真剣に考えます。もう少しで、答えが出せそうです」

そう言って、田辺さんの手を強く握った。

「私も!」と、ひまりさんが鼻声で言った。
瞳も潤んでいたが、ひまりさんは涙を落とすことはなかった。

「私、オトウに電話する! 私が小さいときに離婚して、ず~っと会っていない父に、電話します」

ひまりさんと田辺さんが握手をした。

「私、後悔しないように、ひたすらに生きます! 田辺さんのこと、絶対に忘れないからね!」

「ありがとう。私が言うのも変ですが、どうか、お2人ともお元気で」

田辺さんは、踵を返して歩き出した。

「佐々木さんは、モノレール? 京急?」と、ひまりさんが聞いてきた。

「私は大田区で、羽田から近いからタクシーで帰ります」と答えた。

「あれ? 佐々木さん『私』って、なんかヘン」と、ひまりさんが気づいてくれた。
「いつも、『僕』、…でしたよね?」

「ひまりさん。私は生まれ変わります。2度と自分にガッカリしないように、真剣に、丁寧に生きます」と、私は宣誓を行なった。
他者を肯定し切る、そのパワーを教えていただいて、私はありがたかったのだ。

「私も生まれ変わろう!」と、ひまりさんは明るく言った。

ひまりさんは、輝いていて眩しかった。

私は、準備していたセリフを、ひまりさんに言った。

「ひまりさんに、生涯無料コンサルタントをお約束します。ビジネスの悩みや疑問に、いつでも電話でお答えします。メールでもOKです」

「え、え? どうしてですか?」

「どうしてでもです。下心はないので、どうぞご安心下さい」

「そ、そ、そりゃあ私は美人じゃないから、そんな心配はしてませんけどね」

「え? なに言ってるんですか? ひまりさんは凄くカワイイじゃないですか」

「ありがとうねぇ~。お世辞でも嬉しいで~す」

「いつでも、なんでも、相談してくださいね。僕の相談で良ければ、ず~っと無料です。では、ここで」と言って、私は、タクシー乗り場に向かって歩き出した。

振り返ると、ひまりさんは、案の定、両手を大きく振ってくれていた。

私も、柄ではないのだが、1度立ち止まって、両手を振って応えた。




第2章につづく

第3章
第4章
第5章
第6章


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