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恋の賭け、成立条件緩和中【第5章】


第5章 2012年 平成24年

1.祖父江37歳 挑戦しなかっただけ

9月

岐阜県多治見市に転勤して、2年半が過ぎていた。

僕の実家の恵那市から、1番近いのが多治見支店だった。田舎だから、近いといっても30数キロも離れている。距離の問題もあるし、実家には兄夫婦が同居しているので、僕は多治見市内にアパートを借りて暮らしていた。


僕は、アパート建築中の現場に入って行った。

建築現場には、大工さん、電気屋さん、クロス屋さん、サッシ屋さん、水回りの設備屋さんなどで、ごった返していた。

「お疲れ様です」と挨拶し、「お疲れ様です」と挨拶が返ってくる。半分以上は、もう、顔なじみなのだ。

エントランスに、現場監督の生田さんがいた。
僕は、「3時ですよ、休憩しましょう。お茶とコーヒー、買ってきたんで、どうぞ」と、生田さんにコンビニの袋を手渡した。

生田さんは「ありがとうございます」と僕に言ったあと、現場全体に大きな声で言った。

「施主の祖父江さんから、お茶の差し入れいただきました! みんな、一服しよう!」


作業が中断され、職人さんたちがゾロゾロと集まってきた。

「いただきま~す」「うっす」「お疲れ様っす」「ありがとうございます、頂きます」と、様々な挨拶やお礼がカジュアルに行なわれた。

最年長の大工さんが、僕に声をかけてきた。

「祖父江さん、会社、辞めるんだって」

「能條さん。暑い中、いつもありがとうございます。そうなんです。今月いっぱいで退職です」


「次の仕事は?」と言いながら、能條さんは床に腰を下ろした。僕も、同じように腰を下ろす。

「このアパートの掃除と、あと、喫茶店のウエイターですね」

「はぁ。そんなんで稼げんのか?」

「おふくろの喫茶店が結構繁盛してて、ウエイターを手伝ってくれたら、月5万、くれるそうです。……あとは、ここと前のアパートの家賃で、なんとか暮らしていけます」と、僕は言った。

「ほお~。若いのに、隠居みてぇだな」と、能條さんは言った。

「確かに」と、僕は言った。
隠居だなんて、自分ではそんなことを思ったことがなかったのだ。

「会社辞めて時間があるんだったらよ、なんかに挑戦すりゃええじゃないか」

「挑戦ですか?」

「おお。俺は去年、大型2輪を取った。ハーレーに乗りたかったからな」

「凄い! それは凄いなぁ」

「せっかく時間があるんだったらよ、なんかやらんと勿体ないべ」

「うう~ん。……挑戦より、失敗しない人生の方が、僕には合ってる気がしますねぇ」

「ほう。今まで、失敗しなかったってか?」

「そうですね、たぶん失敗してないですね」

「ふっ。それよぉ~。挑戦しなかっただけチャウか?」

僕は、ドキッと、何かに心臓を刺されたような衝撃を受けた。
挑戦しなかっただけ? 僕は、1度も挑戦していないのだろうか?


「挑戦したら、まあ、たいていは失敗する。祖父江さんが失敗してないってことわよぉ、失敗するかもしんねぇときは、出しかけた手を、引っ込めてたってことだべ」

「そうかも、しれないですね」と、僕は認めるしかなかった。

「だべ。それだとよ、そこそこのモノは手に入ってもよ。とびっきりのヤツは、手に入んないべ」

僕は、とびっきりのヤツ、というセリフに胸が痛んだ。


「能條さん、凄いなぁ」

「何が?」

「鋭いところを突かれたし、あと僕は、こんなことは言えないから」

「なんで言えんの?」

「いやぁ~、それは、厳しいことを言ったら、嫌われたりしますからねぇ」

「嫌われる? はは。そんなのは、俺は気にしねぇ。大事なのは俺の、ココだからよ」

そう言って、能條さんは、自分の左胸を、右手の拳で2度叩いた。


2.佐々木44歳 殴る価値

同9月

真夏のような日差しだった。最近の9月は秋とは言えない暑さが多い。
私は、次の顧問先に向かうため、九段下駅の階段を目指し歩いていた。

私のスマホに着信があった。未登録の携帯ナンバーからだった。

「はい」と、私は名乗らずに出た。

「佐々木さん、かな」と問われたので、私は、そうですと答えた。

「小松です。スナック『縁』の常連です。1度か2度、会ってるけど、分るかな」

「あ、はい。分かります。あれ? 電話番号って」

「ああ、ママに教えてもらった。それで、教えて欲しいことがあるんだ」

「何でしょう。私が分かることなら何でもお答えします」

「ひがちゃんが3年前に行った、バリ島旅行の参加者が知りたいんだ。さっき、ひがちゃんの会社に行ったんだが、個人情報保護法ウンヌンで、教えてはもらえなかった」

「小松さん、なぜ、それを知りたいんですか?」と、私は尋ねた。

「ひがちゃんがおかしい。思えば、おかしくなったのは、バリ島から帰ってからだった」

私は、やはりと思った。

「小松さん、男、……ですよね」

「ああ、男を探している」

「それなら私に、心当たりがあります。『ゆ会』のメンバーにあたれば、おそらく特定できるはずです」

「分かったら、教えて欲しいんだ」

「承知しました。折返し電話します」

私はそう言って通話を切り、『ゆ会』幹事の瀬戸さんに電話を入れた。


* * *


私は、池袋北口にある、喫茶ルノアールのドアを開けた。

近づく店員さんに「待ち合わせなんです」と言った。店内を見回すと、小松さんが手を振ってくれた。

店員さんにコーヒーを頼んで、私は小松さんの席へ向かった。

「お待たせしました」と言って、私は、小松さんの向かい側に座った。
4人掛けの席だったが、店内はガラガラだった。

「いや、こんなに早いとは驚いたし、ありがたい」と、小松さんが言った。

「小松さんが探しているのは、この男性で間違いありません」と言って、私はメモ用紙をテーブルに置き、小松さんに差し出した。

メモ用紙には、祖父江唯信(そぶえただのぶ)と、私の文字で書かれている。住所と電話番号も記入してある。

「間違いない? なぜ?」

「そのバリ島旅行には『ゆ会』メンバーの、妹さんが参加していました。妹さんはバリ島旅行後すぐに『ゆ会』に登録しています。1時間ほど前に、私はその方と、電話で話すことができました」

このタイミングでウエイターが、私の頼んだコーヒーを持ってきた。
私は、コーヒーをひと口飲んで、話を再開した。

「その方は、バリ島でのことを詳しく記憶されていました。11人の参加者の中、4組8名はバリ島旅行の常連客で、全員顔見知りだったそうです。そして皆、中年のご夫婦です。初めての参加者は、新婚のカップルと、そのメモの祖父江唯信さんの、計3人だけだったそうです」

私はここで、数秒間の沈黙を作ったが、小松さんは口を挟まなかった。
私は説明を続けた。

「実は、バリ島旅行中のひまりさんが、日本にいる私に電話をしてきました。悩みもがいた上での電話だったと思います。相談は、『お客様のことを好きになってしまい、どうしたら良いか分からない』というものでした。
 私は、自分で答えを出すしかない問題だと、そのように説明し、ひまりさんの決断に影響を与えないよう心掛けました。その後どうなったのか気にはなっていましたが、私から尋ねることは気が引けてできませんでした」

「なるほど」と、小松さんは言った。

「その住所、電話番号は、ともに3年前のものです。祖父江さんは『ゆ会』に入りかけたのですが、気が変わり、結局は参加を見送ったそうです。幹事のエクセルに、そういった記録が残っていたのです」

「個人情報だが、このメモは貰っていいのか」

「結構ですよ。小松さんを信用していますから」

「ありがとう」

「私も、小松さんに教えて欲しいことがあるんです」

小松さんは、なんだ?という顔をした。

「小松さんは、ひまりさん、…あ、ひがちゃんの、なにがどう、オカシイと思ったんですか」

「明るさに演技がある、仕事を詰め込み過ぎている、仕事を楽しんでいる感じが乏しい。他にも、些末なことはまだある」と、小松さんは言った。

「些末なことも、ぜひ知りたいです」と、私は言った。

「分かった。列挙しよう。他には、ため息をつくことがある、マクドナルドを食べない、沖縄に帰りたいと言う、『島人ぬ宝』を聞くと涙をこぼす、などかな」と、小松さんは一気に言った。

「それらは、以前はなかったことなのですね」と、私は確認した。

「そうだ」と小松さんは言った。


「もう1つだけ聞かせて下さい。ひがちゃんがそのように変わってしまった原因や、あるいは原因のようなものがその祖父江さんにあったとして、小松さんはどうするつもりなのですか?」

小松さんは、こう言った。

「こいつは、1発殴らないと気が済まない。殴る価値があるヤツならば、だけどな」

私は、私より年上で痩せている目の前の小松さんが、高校生のとき神奈川県のボクシングチャンピオンだったことを思い出した。


3.ひまり32歳 変わらなくても、変わっても

10月

2度目の入院だった。原因も、前回と同じ過労だった。
私は、今度は最初から個室を選択した。

お見舞いに、『ゆ会』のメンバーと、スナック『縁』の常連さんが来てくれた。

小松さんが、「だから、言ったじゃないか」と眉をしかめて言った。
それをママがたしなめた。
大城さんも一緒だから、どうしたって会話は賑やかになる。大城さんの、高校時代の盲腸の手術の思い出話は、剃毛のところで大爆笑になった。

スナック『縁』の常連さんと入れ違うように、『ゆ会』幹事の瀬戸さんとむっちゃんが来てくれた。

「瀬戸さん、むっちゃん、ありがとう」と私は言った。
そして、「瀬戸さん、メンバーさんには内緒で、お願いします」と伝えた。

「大丈夫ですよ。隊長のお願いですから、ちゃんと守りますから」と瀬戸さんが言った。
「でも、みんな隊長に会いたいんですよ」と、むっちゃんが言った。

「オフ会に、全然参加できなくて、ほんと申し訳なくってぇ~」と、私は日頃の不義理を詫びた。

飲み会やお茶会が、チョクチョク行なわれているのに、私は、年に1度くらいしか参加していなかった。


それでも、『ゆ会』のメンバー数は減らなかった。

新規の参加者は、グッと減らした。私は、『ゆ会』の存在をアナウンスすることをやめたのだ。
それでも、ツアー参加者の中にメンバーさんがいると、そのメンバーさんが『ゆ会』のことを語り、そのうち何人かが新規メンバーとなるのだった。

にもかかわらず、メンバー数が横ばいということは、退会者もポロポロといるわけで、私はそれを当然だと思っていた。

このところの私は、日本の滞在日数が3日というスケジュールがほとんどだった。飛行機内やホテルでの宿泊の方が、圧倒的に多い。


私が参加することのない、飲み会やお茶会。可能なら参加したいが異国や空の上ではどうにもならない。私は、申し訳なさで胸が痛んだ。

解散も考えたが、とても言い出せなかった。


瀬戸さん夫妻が帰るタイミングで、佐々木さんが見えた。

佐々木さんには、私が電話をしたのだ。
困ったときだけ電話して、私は佐々木さんにも申し訳なさを感じていた。


* * *


私は、佐々木さんを屋上へ誘った。
個室では、見舞客が来て、真面目な話ができそうになかったから。

「ひまりさんは、そろそろ沖縄に戻り、親友の仲間恵さんと観光ビジネスを始めたいんだね。しかし、『ゆ会』のメンバーのことを思うと、とても言い出せない」と、佐々木さんが言った。

「そうなの。かといって、いつまでも帰らないワケにはいかなくて。メーグーとの約束は破れないから」

「目的の手段化だと思う」と佐々木さんは言った。

「佐々木さん、もっと簡単に言って。今のじゃ分からないさ~」

「陸上選手が次の大会で自己ベストを出したいと思っている。これが目的だ」

「うん、それなら分かる」

「そのために最高のスパイクシューズを購入するため、スポーツ用品店に行く」

「分かる。それは手段でしょ」

「その通り。そして候補のスパイクシューズを、アディダス、ナイキ、アシックスと3つのメーカーに絞った。さらに、各メーカの開発者にアポを取り、より詳しいデータや情報を求め、そして研究室まで訪ねた。それを3社共に行なうつもりになっている。自分にとってのベストなスパイクシューズを見つけるために、膨大な時間を投下する。これが目的の手段化だ」

「そうか、スパイクシューズを選ぶことが目的に変わっちゃったんだ」

「その通り。大会で自己ベストを更新するためには、シューズ選びも大切だが、トレーニングや練習の方が圧倒的に重要だよね。
 この話をひまりさんに置き換えると、まず、目的を明確にする必要があるよね」

「私の目的は、メーグーとのビジネスだった。それを成功させるために、東京で修業をしたの」

「目的は変わっても構わないんだ。むしろ、変わる方が自然だよ」

「ううん。変わってはいないわ」

「ならば、東京も、ツアーコンダクターも手段だ。そして、ひまりさんのファンが作った『ゆ会』も手段だね。もしくはツール、……道具かな。あの優しい人たちを『道具』というのは気が引けるけど、少なくともひまりさんの目的ではなさそうだ」

私は、良い言葉が見つからなかった。

「僕は、『ゆ会』を目的に変更するのも悪くないと思う。あの方々は、ひまりさんの大切な財産だと思うから」

私は、これは私が決断しなければならないことなのだ、と思った。


「佐々木さん。田辺さんのお墓参りに、私も行きたい。退院したら連れてって欲しい」

佐々木さんは「もちろん、喜んで案内するよ」と言ってくれた。

「佐々木さんは、私にメッチャ優しい。お兄さんみたいさ~」と私は言った。


* * *


4日後の午前中は、小春日和だった。
私は、佐々木さんと日暮里駅で落ち合った。

「田辺さんとは羽田空港で別れたのに、なぜ佐々木さんは、お墓とか知っているんですか」と、私は、歩きながら聞いてみた。

「ひまりさんと離れてタクシー乗り場に向かったら、また田辺さんに会ったんだ。田辺さんは奥さんと一緒でね。奥さんと挨拶をして名刺を渡した。田辺さんが亡くなって、奥さんは、僕に電話をくれたんだ。田辺さんは宮古島でのことを、奥さんに何度も語ったらしくてね」

「そういうことが」と私が言うと、佐々木さんは慌ててこう言った。

「その電話を貰ったとき、ひまりさんは空の上だったんだ。しかも、成田を発ったばかりだったんだ」

そんな会話をしていたら、霊園に着いていた。霊園は駅から近かった。

私たちは、お墓を掃除して、磨き、花を挿した。
ロウソクに火を灯し、お線香に火をつけた。

私は手を合わせて、心の中で田辺さんに話しかけた。
田辺さんのおかげで、私の生き方が変わったこと。
充実したこと。
仕事が楽しいこと。
恋は実らなかったこと。
沖縄に帰ろうと思っていること。

長々と、ご報告をさせていただいた。
3ヶ月の命だとしたなら、私の出す答えは決まっていた。

帰り道、佐々木さんが「喫茶店で話そう」と言った。
駅やその近くに、喫茶店はいくつかあるという。


* * *


2人ともコーヒーを注文した。
酸味の少ない、私好みの味だった。

「佐々木さん、今、余命3ヶ月ならどうしますか?」

「僕は決まっている。妻と過ごす。僕のやりたいことと、妻の希望と、交互に行なう。もちろん、仕事はすべてキャンセルする」

「即答ですね」

「毎月月末に、余命3ヶ月のシミュレーションを行なっているんだ」と、佐々木さんは誇らしげに言った。そして「ひまりさんは?」と聞いた。

「私も同じ。私には旦那様はいないけど、オカアとメーグーがいるから。その2人と会いまくる。お喋りをいっぱいする」

「じゃあ、この前の悩みも解決したのかな」

「うん。私、来年、沖縄に帰る。メーグーと会社を作るわ」

「OK。電話やメールで、どんどんアドバイスするよ」

「いつもありがとうね~、佐々木さん」

「1つ、気になっていることを質問してイイかな? 答えるのが嫌だったらノーコメントで構わないんだけど」

「イイですよ、何なりとどうぞ」

「バリ島での恋は、どうなったの?」

「あきさみよ~。ビジネスの質問と違ったか~。予想していなかったさ~。でもイイか、佐々木さんだからね」


私は、すべてを語った。

恋愛を飛ばしてプロポーズしてくれることに賭けたこと。
保険として、抱きしめてくれたなら、掟を捨てたこと。
抱きしめてくれなかったので、ホテルのロビーに着くまでとか、成田空港に着くまでとか、期限を延長しまくったこと。
抱きしめてくれなくても、もう一度「好きだ」と言ってくれるだけでイイと、条件もドンドン緩和したこと。

そして、その全てが叶わなかったこと。

それなのに、会社に電話があるのではないかと、しばらく気にしていたこと。

失恋のみっともなさを、私の惨めさと未練がましさとを、すべて赤裸々に語った。

佐々木さんは、「ひまりさんなら、素敵な出会いは、まだまだあります」と言って慰めてくれた。

「私、まだ条件を緩和中なんです。祖父江さんに片想い中なので、今、素敵な出会いを期待しちゃったなら、それって、二股になっちゃうんですよ」と、私は説明した。

「えっ?」と佐々木さんは言って、少し考えて「じゃあ」と言った。

私は、佐々木さんの言葉を遮って、

「生涯独身でイイんです。もしこの気持ちが変わったら、それは変わってもぜんぜんイイんですけどね。なんなら変わることを歓迎する気持ちもあって。……でもなんか、ぜんぜん変りそうがないんですよねぇ~」と、正直な気持ちを語った。

私の気持ちが変わらなくても、私は私を大事にしよう。
私の気持ちが変わっても、私は私を大切にしよう。

そう思うと、気持ちが少しだけ軽くなった。





第6章につづく


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