恋愛下手な沖縄娘が、東京で仕事に夢中になり、沖縄に新たな夢と恋人を連れて帰る話(仮)【小説の下書き その12】
下書きです。
あとで書き直します。
8.ひまり 3日目
早朝。
私は、昨日より10分早く部屋を出た。
ロビーのガムラン音楽は、まだ始まっていなかった。昨日は、散歩から戻ってくると、ガムラン音楽が流れていた。
ビーチに出て、左へ歩き始める。
「隊長~」という祖父江さんの声が、私の背中に飛んできた。
私は立ち止まり、振り返った。
昨日、私は、島田さん夫婦にも同じことをしたのだ。大丈夫。
私たちは、世間話をしながら歩いた。
祖父江さんが、「僕はこの半年、ほぼ毎朝、朝マックを食べたんです」と言った。
私も、あのマクドナルドで、何度か食事をした。朝だって行ったことがあったのに。
私の、呼吸のリズムが狂う。
祖父江から感じる好意は、私の勘違いや思い込みではなさそうで、それは、やはり嬉しい。
私たち2人に、アタッシュケースを首から下げた、現地のオジサンが近づいてきた。
「ハネムーン?」と問われた。
祖父江さんが、慌てて手を振って否定する。その動きと表情がオモシロイ。
挙動がシンバルを叩く猿のオモチャのようなのだ。
オジサンはアタッシュケースを開いた。
アタッシュケースにはストッパーがあり、90度と少し開いて止まった。
オジサンの胸の前に、腕時計の、小さなショーケースが現れたのだ。昨日、菅澤さん夫婦が、相手にもしなかった時計売りのオジサンだ。
「ロレックス、安いよ~」とオジサンは言う。
「ええ? いくら~?」と祖父江さん。
「1まんエンね~」
「ええ? ロレックスが1万円~? 安すぎる! これ、本物?」と祖父江さんが聞いた。
「ニセモノネ~」と、オジサンは言った。
「ははは~!」と、祖父江さんは笑った。
「隊長~、聞きました? 『ニセモノネ~』って、即答ですよ! 超~正直!」と、凄く楽しそうだ。「バリの人って、人を騙だまそうなんて気持ち、きっとないんですよ!」と、少し興奮さえしている。
「安いよ~」と、オジサンがまた言う。
「いや、そりゃあそうでしょうよ、だってコレ、本物?」
「ニセモノネ~。ンー、今日~、ゴセンエン、イイヨ~」
祖父江さんは買おうとしたが、財布を持ってきていなかった。
私の小銭入れにも、日本円はなかったし、5千円相当のルピアもなかった。
「ゴメンね~。今日は買えないや~」と、祖父江さんが言った。
ニセモノの時計売りのオジサンは、とても残念そうな顔をしていた。
祖父江さんが人と接しているのを見ていると、私まで幸せな気持ちになる。
祖父江さんの、誰に対しても優しく接する人柄が、周りの空気までも幸せにしている。
私は、そう思った。
祖父江さんが歩き始めた。オジサンが「ナンカ、オトシタヨ」と言った。
祖父江が振り返る。オジサンは「アシアトネェ~」と言った。そして、ニヤッと笑った。
「え? 隊長、…オジサン、今、…何って言ったんですか?」
「最初は『なんか落としたよ~』って言って、祖父江さんが振り返ったら、『足跡ね~』って、言ってましたよ」と説明した。たぶん、私の顔は少し笑っていたと思う。
「ええ? あっ、足跡? 足跡が落ちてるよって、そういうこと?」と言って、祖父江さんは少し考えて、「ああっ!『アホが見る~』的な、オチョクリかぁ~」と、全てを理解したのだった。
「スゲェ~! 最高だ。足跡だから嘘じゃないし。バリ人って、メッチャ明るいなぁ~」と、バリ人の良く使うジョークを、大絶賛していた。
満面の笑みで、本当に楽しそうだった。
* * *
ホテルに戻ると、やはり、ガムラン音楽が向かい入れてくれた。ガランゴロンと、とても癒される音色だ。
私がフロントスタッフに呼び止められ、それで、祖父江さんとは、ごく自然に解散となった。
「あなたの忘れ物が届けられています」とフロントスタッフは言って、ショルダーバッグをカウンターの上に置いた。
間違いなく、私のショルダーバッグだった。
私は、思考も動作も停止してしまった。仕事中に、忘れ物をしたことなんて、これまで1度もなかった。初めてだった。
フロントスタッフは、困ったような顔をしている。
私は、我に返って「タレマカシー」とお礼を言った。どこで見つかったのか聞いてみると、昨日のマイクロバスの中だという。
ショルダーバッグの中には、タオルとハンカチとポケットティッシュ。そして冷房対策用の薄いカーディガンだった。何も無くなっていない。
財布などの貴重品は小さなサコッシュに入れてあったし、仕事道具のバインダーは手に持って部屋まで持ち帰っていた。
私は、ショルダーバッグを忘れたこともショックだが、今の今まで、忘れていたことに気づかなかったことが、もっとショックだった。ツアーコンダクター失格ではないか。
届けてくださった方の貴重な時間を奪ってしまい、それはお詫びしてもお詫びしきれない。時間を差し上げることは不可能なのだから。
今の私は、仕事に集中できていない。その結果を突き付けられてしまった。
公私混同をしかねない。いや、既に公私混同をしている……。
私には、私が決めた掟があるのに。
9.祖父江 3日目
この日は『何もしない日』と、僕は決めていた。
これこそが、一人旅の醍醐味で、もっとも贅沢な行為だと思う。何かをすることは、いつでもできるし、いつも行なっている。だから『【何もしない】をやる』と決めたのだ。
旅行中半分は、『何もしない日』にする。それが僕の、今回の基本プランだった。
何もしないといっても寝てすごすワケではない。座禅を組んで瞑想するワケでもない。
僕は、プールサイドに行き、パラソルの下で読書を楽しむ。昼寝も楽しむつもりだ。
ボーッとしてもいいし、考え事をしてもいい。
勉強になるような本は持って来ていない。大好きな小説を存分に味わおうと思っている。
プールに入ることはないが、念のため海水パンツで行く。上はTシャツ1枚で良いだろう。タオルも不要だが、念のため1枚だけ持って行こう。文庫本は、厭きることも考慮して、テイストの異なるものを3冊用意した。ハンカチも持って行こう。
それらを、布製のトートバックに入れた。
チップ用のお札を何枚か、適当に畳んでポケットに入れた。日焼け止めを、バッチリ塗っておく。赤道付近の太陽を舐めてはいけない。サングラスをかけたなら、準備完了だ。
エレベータで、プールのある屋上へ移動した。
プールに着いて、僕は、ざ~っと見まわした。1番良さそうな位置を考える。
真ん中にプールがある。
プールの左手に、レストラン&バーの厨房があった。厨房をロの字に囲むようにカウンター席がある。あそこで飲み、食べることができるのだろう。
しかし僕は、サマーベッドの上で寝ころびたい。
そしてサマーベッドは大量にあった。プールの手前のこちら側と、プール向こう側とに、たくさんのサマーベッドとパラソルが置かれている。
左右のサイドにも、多少のサマーベッドがあった。ざっと見ると、パラソルはサマーベッドの半分以下しかない。
早く来て、正解だったと僕は思った。
好き好んで、見知らぬ人に挟まれたくはないから、通路脇を選んだ。
ここなら、プールもバーも遠いから、場所的に人気がなさそうだ。だからここにしよう。
そして、日差しを考え、今後の太陽の位置も予想した。
右にあるパラソルを、サマーベッドの左に移動した。サイドテーブルも左に置いた。
完璧なセッティングができた。
腕時計で確認すると、時刻は10時を少し過ぎていた。おそらく僕は、夕方の4時か5時まで、ここにいるだろう。
僕は、この準備だけで、もうすでに幸せな気分になっていた。
持ってきた3冊の本の中から、まずは、どの本を読もうかと迷うことすら幸せなのだ。
西村京太郎のミステリーを手にし、考え直して、僕は村上春樹を読むことにした。
僕は、『ノルウェーの森』の世界に没入していった。
異次元のような不思議な世界観を感じながら、やがてその世界観に馴染んでいく。現実がどんどん、薄れてゆく。
「お飲み物は、いかがですか?」と、ウエイトレスに声をかけられた。
控え目な笑顔のウエイトレスさんだった。声を掛けるタイミングが最高に良かった。
約1時間、小説に没頭していた。
僕は、ビールを頼んだ。ルームキーを見せて、ウエイトレスさんはナンバーをメモした。
すぐにビールが届いた。「ランチは?」と聞かれた。
僕は、12時くらいに食べるよと言った。
プールサイドで飲む昼間のビールは格別だった。日本のビールと異なり、軽く爽やかだった。オリオンビールに近い味だと思った。
また読書を再開した。
いつの間にか眠っていて、ウエイトレスさんの「ランチ、どうしますか?」という声かけで目を覚ました。
12時半になっていた。
メニューを持ってきてくれていた。
ナシゴレンとビールのお代わりを注文した。
プールで泳いでいる人は1人もいなかった。
この広い屋上に、客の数は10人くらいしかいない。
ナシゴレンとビールがサイドテーブルに置かれ、そのナシゴレンを食べ始めたタイミングで、「こんにちは」と声をかけられた。
小宮山さんが、「なにされているんですか?」と、僕に聞いた。
「こんにちは。何もしない、をしているんです」と、僕は答えた。
小宮山さんの水着はビキニだった。
白地にグリーンの葉と丸ごとレモンが描かれている。同じレモン柄のラッシュガードを羽織っていたが、ファスナーが全開で、僕は目のやり場に困ってしまった。
「何もしない …って、何ですか?」と、質問された。
説明が長くなると思い、僕は「読書とうたた寝を楽しんでいます」と言った。そして、「隊長は、ココで泳ぐのですか?」と聞いた。
「泳ぎませんよ~。お客様をお誘いする、企画を考えるのです」そう言って、小宮山さんはノートを掲げて見せた。
「企画ですか」
「参加は自由です。良かったら祖父江さんも参加してくださいね。ビーチに行ったらにぎやか過ぎて、それでこっちに移動したんです」
「こっちは午前中からず~っと、ガラガラですよ。隣、空いてます」と僕は、勢いに任せて言っていた。
「……ほかのメンバーに見られたら、誤解されそうですから」と、小宮山さんは苦笑いを浮かべて、小さく顔を左右に振った。
「あ、そうか。そう、ですよね」
「なので、アッチに行きます」
「あ、はい」
「それは、なんですか?」と、小宮山さんは僕のサイドテーブルを見て尋ねた。
「ナシゴレンです」と、僕は言った。
「美味しそうですね。私も、食事しようかな。では、お邪魔しました~。ごゆっくり~」と言って、小宮山さんは歩いて行った。
僕は、彼女がどこに座るのかが気になり、その動きをチラチラと目で追った。小宮山さんは、僕の位置から最も遠い位置まで移動するみたいだ。プールの向こう側の、さらにその奥。そこにあるサマーベッドに座るみたいだ。
僕は、ナシゴレンを食べた。ビールも飲みほした。
気の利くウエイトレスさんと目が合った。すぐに寄ってきて、「飲み物は?」と聞いた。僕はジンジャーエールを頼んだ。
ほんの少しだけ、パラソルの位置を変えた。太陽はほぼ真上だった。パラソルの位置をベストにすると、足の先も日影に収まった。僕はまた、読書を再開した。
* * *
僕は、またうたた寝をしていた。
ウエイトレスさんが「お飲み物はいかがですか?」と声をかけてくれて、それで目覚めた。
心地好い、うたた寝だった。
僕は、またビールを頼んだ。
そして僕は不思議に思った。うたた寝を邪魔されたなら、イラッとしてもおかしくないのに、なぜ僕は、心地好く目覚めるのだろうかと。
ウエイトレスさんの声かけのタイミングが絶妙なのだろうか。あるいは、僕の心が穏やかだからなのか。
僕は目で、小宮山さんを探した。
ちょうど小宮山さんが立ち上がるのが見えた。そして小宮山さんがコッチを見た。
僕は、上半身を起こし、手を振った。
小宮山さんが手を振って応えてくれた。そして、ペコリと頭を下げて歩き出した。僕は、向こうにも、エレベータがあったことを思い出した。きっと、そのエレベータを使うのだろう。
小宮山さんは、小柄なのに胸は小さくなかった。そして脚が長かった。
ウエイトレスさんがビールを持ってきた。笑いを堪えているような、そんな顔をしていた気がした。
僕は、鼻の下を伸ばしていたのかもしれない。少なくともニヤニヤしていたのだろう。
『ノルウェーの森』を読むことに抵抗を覚えたので、僕は、西村京太郎さんの推理小説を読むことにした。
10.祖父江 4日目
今日、僕は、ほぼ丸1日を使って、島内観光に出かける。
昨夜、現地ガイドのナルマールに、ドライバー兼ガイドを依頼したが、別の予定が入っていて適わなかった。
ナルマールさんは、代わりにと、20代前半の青年を紹介してくれた。
「彼は、明後日のマリンスポーツ。そのとき、ビーチまで送迎します。安全運転、ナンバーワンです」と、その青年のセールスポイントを、いつものように、丁寧に教えてくれた。
待ち合わせ時間に、僕がロビーへ行くと、ドライバー兼ガイドの青年が、すでに待ってくれていた。
青年は、「バリノ、カスガデス」と名乗った。
日本人観光客から、お笑い芸人に似ていると良く言われるので、最近では、自分から「バリのカスガ」と名乗っているのだという。
「春日、ああ、ホンの少し似ているね」と、僕は言った。
「ホントウですか? ウレシイです。トゥース!」と彼は言った。
「ああ、おお~」と、僕は少し、リアクションに困ってしまった。
バリのカスガ君は、「ボク、日本に、カノジョいます」と、聞いてもいないことを言い出した。
僕は、ますます困ってしまい、苦笑いしながら「おお~。日本に彼女がいるんだぁ」と、言葉を返した。
「日本人のカノジョです。ワラビって、知っていますか? 東京にチカイ」
「ん? あ、蕨市のことかな。それなら知っているよ」
「カノジョは、そこにいます。祖父江さんは、カノジョはいますか?」
僕は、いないと答えた。
バリのカスガ君は、気まずさを覚えたのか、「まず、どこに、行きましょうか」と、島内観光に話題を変えた。
昼食の、大体の時間を決めて、ホテルに戻る時間を決めた。
その他は、「あとは全部、カスガ君に任せるよ」と、僕は言った。
「わかりました」とカスガ君は言って、僕を車まで案内してくれた。車はワンボックスタイプだった。僕は迷ったが、助手席に座った。
「ウブドに、行きます」とカスガ君は言って、車をスタートさせた。結局僕は、彼の本名を聞き忘れてしまい、終始「カスガ君」と呼んでいた。彼も嫌がってはいなかったと思う。
カスガ君は、意外にも雑学が豊富だった。バリ島の、歴史的なことや宗教的な情報を、折に触れて語ってくれて、そのオシャベリは聞いていてとても面白かった。
バリ島の男性は、オシャベリなのかもしれない。カスガ君も、どんどん話すので、僕はとても楽だった。気まずくなることもなかったし
車は、高地へ向かっているようだ。道路はキレイに舗装されていて、ゆるやかなカーブが続いている。
大きな木に、ぶら下がっている大きな実が見えた。「カスガ君、あの木はなに? ほら、あの大きな木の実の生っている木」と、僕は聞いてみた。
「ああ~。アレは~、ウ~ン、ナンカの木です」とカスガ君は言った。
* * *
ウブド村を観光し、昼食を食べた。そのレストランでの昼食のウリはフルーツバイキングだった。新鮮で美味しいフルーツが食べ放題なのだ。見たことのないフルーツもあった。
「これは何?」と、僕はカスガ君に聞いた。
「コレは、ナンカのミです」と、カスガ君は言った。
「なんかの実、名前の分からないフルーツなの? ん? もしかして、ナンカっていう名前なの?」
「ハイ、コレは、ナンカというフルーツです」
「ははは~! そういうことか。ナンカの木で、その実はナンカの実だ。面白い!」
「ナンカが、オモシロイ? ソブエさん、ナンカは、オイシイですよ~」
この、会話のチグハグさも、僕には面白かった。
僕は、このことを、小宮山さんに話したいなと思った。
11.ひまり 4日目
18時まで、3分を切った。
これから、私が考えた企画が始まる。
『サンセット×散歩×日本食ディナー』という、自由参加の企画を、昨夜お客様には連絡してあった。
18時になったなら、このロビーを出て、ビーチへの散歩を開始する。
参加表明があったのは、2組の4名だった。
もう、4人とも揃っていて、飛び入りの参加者はいないようだ。
「さあ、18時です。まずは、世界1美しい夕日を、見に行きましょう!」
私は、先頭に立って歩き出した。
あと10分と少しで太陽は沈む。ビーチを10分歩けば、ちょうど海に沈む夕日が見れる。
ビーチに出ると、想像以上に、サンセットビーチは美しかった。
私たち以外にも、散歩をしている人はいて、オレンジの夕日と海に、人影が影絵のように見えた。
50代の須藤夫妻と、同じく50代の深田夫妻が、それぞれ仲睦まじく歩いている。
私は、最後尾に移動した。その方が、お客様全員が把握できるた。
背が高くスレンダーな須藤夫人の、ワンピースのシルエットが美しい。
深田夫妻も仲睦まじく、肩を寄せ合い夕日に見入っている。
どこかの若いカップルは、サンダルを手にして波打ち際を歩いていた。濡れた砂浜が鏡のように人影を写した。影以外はオレンジ色に染まっている。
みんなが、美しい景色の一部になった。
私は、デジカメで写真を撮った。後で皆さんに見せてあげられるように、何枚も撮った。
沖縄の夕日より、少し大きく感じる。
これは錯覚なのだろうか。
私は、写真を撮ることをやめた。
眼に、心に、この光景を焼き付けようと思った。
私は、4人に近づいた。誰もが、余計なことを言わなくなった。
思っている以上に太陽の動きは速かった。
太陽が見えなくなった。しかし、オレンジの光の余韻は、空や海に残っていた。
ほんの少し、周りが暗くなった。
「太陽って、こんなに早い時間に沈んでいたのですね」と、須藤さん夫妻が近づいてきて言った。
深田さん夫妻が、「ホテルに戻ってタクシーを使うの、やめませんか?」と提案した。「このままビーチを歩いて、向こうから街に出て歩けば、たぶん15分くらいでレストランに着きますよ」と。
それならば、予約時間には充分に間に合うので、全員一致で「歩きましょう」となった。
ビーチでは、定期的に声がかかる。
「ミツアミ~、どう~?」
「オトシタヨ~」
「アシアトネ~」
私は、つい、笑顔になってしまう。
胸があたたかくなる。同時に、バッグをマイクロバスに忘れたことを思い出し、背中にスーっと涼しい何かを感じた。
やがて、ビーチから街へ出た。
舗装された道路の歩道を歩く。
「あら~、深田さんに須藤さん。あ、隊長も~」と、菅澤さん夫妻に声をかけられた。
「あら~、菅澤さん~」と、深田さん須藤さん両夫妻が手を振って応えた。私も両手を伸ばして振った。
「サンセットを見て、これから夕食なんですよ。蕎麦やラーメンやカレーもある、日本料理のお店です」と、私は簡単に説明した。
「ええ~、そうなんですか~。それって、私たちも合流できます?」と、菅澤さんの奥さんが、聞いてきた。
「ええ、問題ないですよ~。大きいお店だし、少々人数が増えても大丈夫です~」と、私は言った。
「あなたイイでしょ? 祖父江さんも一緒に行きましょう」
「あら、祖父江さんも一緒だったの?」と、深田さんの奥さんが言った。
菅澤さんのご主人が、「あ、またか」と言って、土産屋でTシャツを見ている祖父江さんを、急かして連れてきた。
「そうなの~。今夜は街で食事するってロビーで聞いたから、じゃあ一緒に食事しましょうって、主人が誘ったの~」
再度、私たち5人に合流した菅澤さんのご主人が、「祖父江くんが、街まで歩くというんでね。それで私たちも、ず~っと歩いてきたんだけど……。まあ~、祖父江くんはアチコチの店に寄って、お店の人と話し混んじゃうんだよ」
「す、すみません。つい…」
「すれ違う物売りの人にも、聞き流せばいいのに、イチイチ『本物?』とか聞くから~」とご主人が言った。
「わ~、そりゃあ遅くなっちゃうわ~」と、深田さんのご主人が、少し呆れた顔で言った。
「あなた、そんなんじゃ、いっぱい買っちゃったんじゃない?」と、須藤さんの奥さんが聞く。
「あ、は、はい」と、祖父江さんは、両手の紙袋を上げて見せた。
「ハハハハ~!」
「なにそれ~! 大量に買っているじゃない~!」
「お土産なの~?」
と、みんなでワイワイ盛り上がった。
* * *
私たちは、8人になった。
予約したお店は、明らかに日本人をターゲットとしていた。日本食のお店であって、決して和食のお店ではない。ラーメンやスパゲッティナポリタンなどもあるのだ。オムライスもある。
他にも、うどんや蕎麦、カレーライス、かつ丼、中華丼などもあった。
高級店でないことは一目瞭然。それでもみな、ナシゴレンにあきあきしていたからか、少しテンションが上がっているように見えた。
ラーメンは、うどんの人が食べ終わって5分後に届けられた。つまり、オペレーションもサービスも洗練などされていない。私が食べたお蕎麦も、正直、お味は可も不可もない、言うしかなかった。
にもかかわらず、私たちのテーブル2席は、笑い声が絶えなかった。
ウエイトレスの、バリの女の子が話し好きだったのだ。日本語学校に通っていると言っていて、日本人8人に対する興味津々を隠そうとしなかった。日本の言葉や文化など、とにかく日本のことを知りたくて、1つ持って来るたびに話しかけるのだった。
深田さんの奥さんが言った。「バリ人の方々の、日本語が上手なことには、ホント、関心するわ~」
菅澤さんの奥さんが続く。「私が、もっとバリの言葉が分かったなら、きっとこの旅行は、より楽しくなるわよね~」
ウエイトレスの女の子が、「それは、ドウシテですか?」と聞いた。
「だって、より詳しい会話や、より正確なニュアンスも含めた、そんな意思の交換ができるでしょ~」
「ワカリマシタ。ならば、先生を。ちょっとマッテテください」
そう言ってウエイトレスは、ホールから姿を消した。
「どういうことだろう?」
「日本語学校の先生でも呼びに行ったとか?」
「ああ、彼女は日本語学校で学んでいたって、言ってたね」
「ま、まさか~」
と、ウエイトレスさんの真意がわからず、あれこれ想像を巡らせた。
すると、エプロンを外した彼女がやってきた。
2つのテーブルの真ん中に立ち、姿勢を正し、私たちをグル~っと見まわした。
彼女は、「ドウゾ…」と言った。
私たちは沈黙した。意味をつかめていなかった。
「ドウゾ。バリの言葉、なんでもオシエマス」
彼女は、自分がバリ語の先生をしてあげます、と言っていたのだった。
みんな、私と同じ解釈をしたようで、困った顔と、ニヤニヤしている顔とが半々だった。
須藤さんのご主人が、「日本人を『カワイイネ~』って褒めるけど、バリ語なら何って言うの?」
「チャン ティック、デス」と、先生は教えてくれた。
「チャン ティック」
「チャンティック」
「チャン クウィック」などなど、発音の確認が自然に行なわれた。
「じゃあ、キレイは? 同じかな?」と、深田さんのご主人が聞いた。
「人のことと、たとえばオンナの人と、それと花の『キレイ』とは、バリ語はチガイマス。ベツベツのことばデス~。シリタイのは、オンナの人の『キレイ』ですか?」と、バリ語先生が、質問の明確化を求めた。
こうして、無料のバリ語レクチャーが15分くらい開催されたのだった。
* * *
帰りは、ホテルまでタクシーに乗って帰ることになった。
レストランのすぐ近くに、小さなロータリーがあって、そこはタクシーのたまり場だった。
タクシー乗り場の係の人なのか、1人の中年男性が、私たち観光客に、とても親し気に声をかけてくる。後で分かったのだが、勧誘と、タクシー運転手さんの順番を把握する係のようだった。
順番がまだ先の運転手さんたちは、車から降りてイスに座り、数人でオシャベリに興じていた。トランプをしているグループもある。
その係らしき人に、男性陣が交渉をおこなって、話が成立したみたいだった。
4台のタクシーが準備され、一列に並んだ。
私たちは、2人ずつ乗車した。1台に4人は、確かに窮屈だったし、ペアを崩して3人乗るのもはばかられたのだろう。
自然、最後は私と祖父江さんになった。これは、公私混同ではないと、私は心の中で囁く。
私たちを乗せた運転手さんが、休憩中の仲間たちに冷やかされていた。そして、運転手さんは手を振って、否定しているみたいだった。冷やかす方も、否定する運転手さんも、みんなニコニコしていた。
「日本人だから、言い値でなのじゃないか?」「お前、ツイているな」という冷やかしに、「違う違う、インペリアルホテルまで、○○ルピアだよ」と、そんな会話なのだろう。
私は、微笑ましく思った。
車を少し走らせると、運転手さんは、すぐ私たちに話しかけてきた。
「ハネムーン?」と。
祖父江さんが「ち、ちがいます」と、顔を真っ赤にして手を顔の前で振った。
運転手さんは、どこに行ったかとか、明日からは何をやるのかと、明るくポンポンと話しかけてくる。無邪気だと、私は思う。
祖父江さんが、「さっきのウエイトレスさんといい、この運転手さんも…イイですよね」と言った。
私は、顔を横に向けた。祖父江さんを見て、話しの続きを待った。
祖父江さんは、「みんな純粋じゃないですか」と、その理由を語ってくれた。
「ウエイトレスさんが、日本語学校の次の学費が払えないって言ってましたよね。だから、ここで働いているって」
「ええ」
「1年間の学費が100万ルピアと聞いて。1万円か、って思ったんです」
私は、「ええ」と頷いた。
「その1万円、僕、出してあげたくなっちゃったんです。でもね、僕の、その行為のせいで、彼女が万が一、同じ話を日本人に繰り返すようになったなら、って、そんな考えが過ぎりました。日本人観光客のためというよりも、それよりも、彼女の、純粋な心を変えたくないって、そう思い直したんです」
祖父江さんは間を開けて、「考えすぎだったかなぁ」と言った。そして、「隊長は、どう思いますか?」と、私に質問した。
「う~ん。分からないですね~。でも、そう考える祖父江さんは……」
私は言葉を選んで、「そう考える祖父江さんは、やさしいと思います」と言った。
「隊長のやさしさに、僕はかないません。そして隊長は、バリの人以上に純水無垢です」と、祖父江さんは、私を見て言った。
私は、「来年三十路の私が、純粋無垢は、ちょっとないと思いますよ~」と言った。嬉しくて、そんな言い方しかできない自分が歯がゆかった。
ホテルの正面玄関に、タクシーが到着してしまう。
車寄せには、先行した3台のうち1台がまだ停車していた。皆さんを待たせる訳にはいかない。
タクシーを降りながら、私は心の中で、純粋無垢、と呟いていた。
その13へ つづく