見出し画像

絶対普遍の美しさの作り方

「身も心も美しくなる為に生きる❗️」これが私のモットーです。
食は命。食べる事は生きる事。生きる事は美しくなること。

私は20年近く「美」とは何かについてずっと考えてきました。
「美しい」何を持って美しいと言うか。
例えば、現代人の美しいと思う人と平安時代の日本人が思う美しい人って違いますよね。また国が違えば基準も変わる。
「美しい」って変わるんです。
また、「美しい」って人間の外見だけでなく、内面の「美しさ」もあります。
自然の「美しさ」もありますね。

そんな中、絶対的に普遍な「人間の美」って何だろうって考えたんです。
均整が整っていること?目鼻立ちが通って外国人みたいな人?
いや?絶対的なものだから、外見ではない。
外見でなければ、人間の中身なのか?
思いやり?慈悲深さ?優しさ?気遣い?空気を読める事?

そんな思考が巡る中、一つの結論に達しました。
それは
『他者の為に自己犠牲を払える事』

鬼滅の刃で例えれば、主役の炭治郎が善逸におにぎり🍙を半分あげるシーンがありました。「自分の分を半分減らして他人に分け与える」
炭治郎もお腹が空いてはいましたが、同じようにお腹を空かしている、善一が可哀想だからあげるんですね。
友達を思いやる優しい炭治郎らしい一幕です。

私は、こんな何気ない優しさが人間の「美しさ」だと思います。
残念ながら、現在、世界も日本も「自分が良ければそれでよし」という文化が少なからず広がっています。
私も人の事を上から言える立場ではありません。
スーパーでレジ待ちしていると、レジでお会計遅い人がいるとイラッとしてしまいます。私も自分の事しか考えられない人間でした。
待ち時間が嫌だといつも言っていました。
自分中心の物事の考え方になってしまうと、どうしても他人にイライラしたり、自分の意見を押し通したくなってしまいます。

人間が本来持っていた「美しさ」それをだんだん忘れかけてしまっている自分がいました。
本来、私たち、日本語を話す日本人は「美しさ」に溢れた民族でした。自然を愛で先祖を敬い、周りと協力し合う文化。
それが少しづつ、西洋化に伴い日本人としての「美しさ」を失くしてしまっています。
私の目標はそれを取り戻す事。
自分の中に「自分の事だけでなく、他者を思いやる心を育てる」その気持ちを保つことが「美しくなる」事なのではないか?
このように思うようになりました。

毎日生きていますが、改めて考えると知らない人とはどうしても接点が薄くなり関わりが少ないので自分とは切り離して考えてしまうもの。
他人だから関心ないのは当たり前。
そしてどうしても、家族と職場と友人の小さな世界になりがち。
世界が小さくなると、どんどん視野が狭くなり、他者と自分を比べがち。
比べると自分に無くて、他の人が持ってるものにフォーカスしてしまい、自分を卑下したり相手を羨む心理が働きます。
心にゆとりがなくなり、「自分が良ければそれで良い」の思考になりやすくなります。

「身も心も美しく」なりたい私は常に視野を広く、心に余裕を持って、今あるものに感謝し、足るを知る心を養い、「美しくなる❗️」道を精進していきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?