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パトリックには家がない



南部です。

更新があいてしまいまして、申し訳ありませんでした。何件か「もう更新しないの?」とお問合せをいただき、こんな独り言を楽しみにしてくださる方がいらっしゃるのだと知りました。
感謝感謝です。有難う御座います。

今日はですね、私のロサンゼルス時代のホームレスの友達の話。

ロサンゼルスに移り住んだ私が最初に住んだのは、ヴェニスビーチでした。(当時はね、サウスセントラルに住まなくてもいいくらいにはお金があったんです)
お隣のサンタモニカよりもアーティストが多く、有名なスケートパークもあり、若干汚く(ごめんなさい)それが心地よかったのだ。

ヴェニスには、LAじゅうのホームレスが集められ送られてきているrose avenueというエリアがあり、まあホームレスが多いのだ。
そしてアメリカで路上生活をしている人の大半は薬物中毒と戦っている。
ではなぜ逮捕されないのか?
これはバーで”ぼくたちと一緒に3人でチョメチョメしないか”と私に声をかけてきた警察官カップルに聞いた話なのだが(チョメチョメはしてません)、
・そもそも薬物依存のひとが多すぎる
・逮捕する際に彼らの大荷物(そして家)全て保管する必要があるのでなるべく捕まえたくない
とのこと。(飲み屋さんで聞いた話なので、諸説大ありです)
なので人や誰かの商売に危害を加えない限り原則として逮捕はされないのだそう。

アメリカの薬物中毒者は劣悪な家庭環境や無理矢理投与されてしまったケース、重度の精神疾患とも戦っているなどの事情を抱えた人がほとんどなので(日本もかな?)「ヤク中なんて!自己責任!」と批判するよりも、社会復帰をさせてあげよう、助けてあげよう、という風潮が強いように思う。
まあそんなわけでそちらに関しては次回詳しくご説明しますね。

私の住んでいた家の斜め向かいは銀行の駐車場だった。その駐車場には犬を連れヒゲをグリーンに染めハート型のサングラスをかけたホームレスの中年男性、パトリックがいた。
私が通学中に前を通ると“お金をくれ”ではなく、”今日もいい天気だね!ウーフー!“ と言ってくれるのだ。
まあ仲良くしておいて金銭を請求してくるんだろうと最初は警戒していたが、気づいたら毎朝そして下校中も2-3言ほど言葉を交わす仲になった。
パトリックは自称アイルランド系のアメリカ人で、たまに“これは俺のアートワークだ”と言い、謎の知恵の輪をくれるのであった。

ちなみに彼と私には信頼関係があったのでありがたく受け取ったが、アメリカでは観光客に物を無理矢理渡して「触ったんだから買え!」とかやってる連中がめちゃくちゃ多いので、むやみに物を渡されるがままに受け取ってはいけないよ!現に私も何度も観光客を助けてます。

パトリックは心の優しい人だった。
待ち合わせ時間になっても友達がこない私を見かねて「君の友達は恥を知るべきだね(言い過ぎ)」と、メイウェザーに15回ほど殴らせたようなボロボロの粉状になったクッキーをくれたこともあった。

私は現地の友達に、ホームレスには食べ物をあげるべきではない。そのお金で彼らはまたドラッグをやるから、助けてあげたければご飯をプレゼントするといい。と教えられていたので、ある日スーパーでパンと水と犬用のごはんを一袋プレゼントした。

パトリックは自分のご飯よりも愛犬へのご飯が手に入ったことに、涙を浮かべて喜んでくれた。
感謝をしたいのは私の方だった。
当時はまだ拙い英語しか話せなかった私の話し相手になってくれて、卑猥なことも不快なことも言わず金銭を要求してこないパトリックに純粋に感謝をしていた。

間も無くして私は引越し、その後も何度もヴェニスへは行ったが彼の姿は見かけなくなってしまった。

今もどこかでワンちゃんと幸せに暮らしているといいな。

そしてもうひとり、ビーチで何のデバイスにも繋がっていない有線のイヤホンを耳につけて大声でラップをしている若者がいた。ああ、ドラッグは怖いなあと改めて思った瞬間、横を歩いていた当時お付き合いしていた彼がサッと動いた。

その人は彼の友達だったのだ。

そして数ヶ月後、また海辺を散歩していると腕から血を流した半裸の男性がうつろな目でこちらへ向かって歩いてきた。
ガラス板が落ちていたから殴ってみちゃった…//とのことだった。

この青年も彼の友達だった。

毎度毎度のことですが、全て実話です。
これからもご贔屓に。

終焉

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