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プロレスのリングアナとしてデビューした日


南部です。

春だなあと思い、春の思い出ってなんだろうと考えた時に、去年の春プロレスのリングアナとしてデビューしたことが春の思い出として堂々ランクインしていたので、ここに綴る。

昨年のいま頃だった。

”リングアナウンサーをやってみないか“

というお話をいただき、打ち合わせに向かった先で、急遽マイクパフォーマンスをしてみせることになった。つまりは第一回チキチキ予告なしオーディションである。格闘技の試合をみたことはあるが、リングアナなどどうしていいかわからないし、なんと言えばいいのかもわからない。
しかしこれは人前に出る機会がある人には覚えておいてほしいことなのだが、“恥ずかしい”と思って何かをするほうがよっぽど恥ずかしそうに、みっともなく、かっこ悪く見える。恥ずかしいと思うときこそ堂々とぶっかますべきなのだ。

しかし何も準備していない、焦り散らかす私の脳裏をよぎったのはアメリカの名リングアナウンサー、michael buffer氏である。彼はものすごい声量とこぶしの効いた力強い声の中に、どこか心地の良い気品と、観客を魅了する声を持っているのだ。
そこで私の口から咄嗟に出たのは英語と日本語。
声量には自信があるのでとりあえず内容はグダグダだが勢いでぶっかました。

「そのスタイル面白いですね、安心してお任せできます。」

それだけ、あとは、数週間後に控えた靖国神社で行われる奉納プロレス大会へ向けて、
対戦カードをみて、選手の皆さんことを自分なりに学び(好きな食べ物とか血液型とか調べてた、絶対いらない)、英語と日本語混じりの台本を作り上げた。

そして当日、緊張して黙っていると臓物が口から流れ出そうだったので、とりあえず各所の皆様に挨拶をしてまわった。
そしてそのまま、プロレスラーの皆様たちと靖国を参拝へ。ものすごい経験であった。心の中でずっと「テレビでみるやつだー!」と叫んでいた。もうずっと興奮状態だった。

そして参拝を終えて会場に戻ると、名リングアナウンサーのオッキー沖田さんが私の代わりに(?)緊張していた。
しかしへっぽこの私でも人前に出ることをプロフェッションとしているので、いざ人前に出てしまえばいきいき堂々と振る舞える。
最初の試合のコールを終え席へ戻ると、「バッチリですよ、よかった」と声をかけていただき、そっからは無双モードである。(2回ほど噛みました。。土下座します。。)

そして試合の他に、若手女子プロレスラーさんのデビューをかけたアピールの場があった。そこで選ばれた者が数ヶ月後に、アジャコングさんとリングで戦えるというものだった。
そこでアジャさんは若手の女の子たちに対して、”プロレスに対する熱い気持ち、覚悟、犠牲“を厳しくも愛のある言葉で話した。そんな彼女の魂のスピーチは、私の魂を燃やし、アジャコングさんの横でなぜか私がわんわん泣いてしまった。


そして無事にイベントが終わり、帰り際に私に手を振ってくれる方や声をかけてくださる方もいた。本当に嬉しかったです、有難うございます。。。

会場を出た瞬間、夢を見ていたかのような気持ちになった。ディズニーランドの帰りにりんかい線に乗り換えた時みたいなテンションになった。

携帯をみると、友人や家族から「かっこよかった!」「がんばってたね!」「手に持ってた台本でかくない?」の連絡。
ああ。これ、やりたい。
今この場でわんわん泣きたいくらいに反省点しかないけど、頑張りたい。
本気で向き合いたい。
プロレスラーさん達のように命を懸けて戦いお客さんに勇気と感動を与える、そんな強さはわたしにはないけど、でもどうか、少しでも近くでお手伝いしたい。


そうして私は役者に加えて、リングアナウンサーという肩書きを正式にいただきました。とはいえまだまだハナタレ坊主なので、これからもっと成長していきます。

と、いうわけで!(笑)

きたる4/10(日)両国国技館にて押忍PREMIUM~ZERO1・20周年&21周年記念大会が開催されます。
私もリングアナウンサー勤めさせていただきます。
絶対元気がもらえます。プロレスラーさんたちの放つエナジーは、すごいです。涙が出ますよ!
https://www.p-osu.jp/osu-premium-lp-ryogoku/


お待ちしてます!

終焉

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