日向まいな🦋Himukai Maina

詩人、文筆家。詩を書く際は「青蝶やまい」名義。日々の言葉を大切にしたい。好きな挨拶は「…

日向まいな🦋Himukai Maina

詩人、文筆家。詩を書く際は「青蝶やまい」名義。日々の言葉を大切にしたい。好きな挨拶は「またね」┆クエスチョニング⚧️ally🏳️‍🌈 ┆アイコンはセロネリ様より頂いた作品です。

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詩「共にあるということ」

🦋 あたりまえの日常はいつか 必ず失われてしまうものだから 家族や伴侶 仲間や恋人 そんな大切な人との時間を 大切な時間にしてほしい 一緒にいただきますをして 一緒に笑って 一緒に涙を流して あたりまえの日常はいつか 必ず失われてしまうものだから せめて思い出として 少しでも残るように 2020.10.25 「共にあるということ」 青蝶やまい

    • 詩「道筋」

      🦋 この道の先が どこにも繋がっていなかったら そういう不安がつきまとう けれど振り返れば 歩んで来た道は確かにある その足跡が くっきりと残っている 積み上げてきたものは この胸のうちに確かに宿っている この道の先が どこに続こうとも 2024.4.7 「道筋」 青蝶やまい

      • エッセイ「父の死、わたしの性別」

        2024年1月9日、父が他界した。 それをきっかけに、自身の性別について心境の変化があった。 わたしは生物学上、男性だ。 しかし心は女性寄りのクエスチョニング。 体の性と心の性が一致していない。 その事で悩みもしたし、 今でも男性扱い、 というより性別によって何かを言われるのは苦手だ。 けれど父を失った今、母を守れるのはわたしだけだ。 その意味で、わたしは男性として生まれて良かったと思っている。 残念ながら、現実では女性というだけで舐められる。 特に母は体も小さく、

        • エッセイ「心の性別、体の性別」

          わたしのこと。 わたしはセクシュアルマイノリティに属している。 生まれつきの体の性別は生物学上、男性。 性自認、心の性別は女性寄りのクエスチョニング。 クエスチョニングとは、 心の性別が分からない、 はっきりしない、 あるいは決めたくないというニュアンスを持つ。 明確に男性として扱われることは、少し辛い。 女性として扱われることは、嬉しい。 嬉しいがその反面、罪悪感と言おうか、後ろめたさが付きまとう。 わたしの体はとても男性的だ。 それは、苦しい。 ホルモン注射

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        詩「共にあるということ」

          詩「燻るも不感症で」

          🦋 燻るも不感症で 熱さもわからない 煙さにむせる 火元はどこ 抱いたあなたが火傷して はじめて気がつくの 2020.12.27 「燻るも不感症で」 青蝶やまい

          詩「燻るも不感症で」

          詩「闇」

          🦋 黒き泥濘ひた歩む 空には星一つ瞬かない 進んでいるのか 沈んでいるのか 時さえ死んだに違いないと 心も投げ捨てたその先で こつりと物音がひとつ 死者の足取りで近寄れば 伸ばした指先に硬い感触 虚ろな顔で掌を押し当てれば ぎいと音が鳴り一筋の光 扉は開かれた 2018.6.30 「闇」 青蝶やまい

          詩「倒錯の綾」

          🦋 もっとわたしを見て もっとわたしに触れて きつく縛って じっくり嬲って こころゆくまで犯しつくして そうしてわたしを孕ませて いいえ、愛してはいないわ 触らないでよ肌が泡立つ 見ないでちょうだい気持ち悪い 2022.2.10 「倒錯の綾」 青蝶やまい

          エッセイ「わたし、日向まいなはアダルトサバイバーです。」

          はじめまして、日向まいなと申します。物書きを生業としています。 わたしはアダルトサバイバーです。かつてアダルトチルドレンであり、それが成人したのがわたしです。 アダルトチルドレン、アダルトサバイバーとはざっくり言えば「生育時の家庭環境に起因した精神的歪みをもつ人」のことです。 言葉の意味については後日、別の記事で詳しくご紹介いたします。 さて、今回は一つの気づきについて独白します。以下に記述します。 __________ わたしがアダルトチルドレン、アダルトサバイ

          エッセイ「わたし、日向まいなはアダルトサバイバーです。」