我必ずしも聖に非ず。彼必ずしも愚かに非ず。共に是れ凡夫のみ。
我必ず聖に非ず。彼必ず愚かに非ず。共に是れ凡夫のみ。
聖徳太子「十七条の憲法」
(ここで聖徳太子の非実在説、及び十七条憲法が聖徳太子作であるかないかの真偽は問わない)
ながらく、日本列島に住んだ人間にとって、少なからず影響を受けた十七条憲法の中の十条にこの文言がある。
あえて訳をすれば、
私は、必ずしも聖人ではない。
彼も、全てが全て悪人ではない。
自分も彼も、そもそも、普通の人なのである。
こんなことになるだろうか。
自分を聖人である、偉い人であるなどと、威張るべきではなく、
憎いと思っている彼も、根っから悪人ではない。(憎むべきではない)
客観的に見れば、単に偉くもなんともない、普通の人である。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」なんて言葉もあるが、一旦憎めば、人はとことん憎んでしまうのが普通である。(客観性とか冷静さも、捨ててしまう)
ただ、特に、最後の文言「共に是れ凡夫のみ」は、ストンと落ち着く。
この文を書いた人は、おそらく仏教の知識、信仰があったのかもしれない。
立場の違いで、関係が良好、あるいは悪化しているに過ぎない。
しかし、御仏の立場からすれば、両方とも、そもそも普通の人でしかない、そう書いているようにも思える。
ただ、十七条憲法の前後、あるいは、その制定の最中でも、人々の諍いは消えたことがないのが、現実。
それを、どう考えるべきか。
諍いを全滅させることは、「無理」であることは事実、真実と思う。
それでもなお、少しでも、一件でも減らすことは可能と思う。
それが、
「我必ず聖に非ず。彼必ず愚かに非ず。共に是れ凡夫のみ」に込められた精神と考えている。
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