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張り手打ち

年末となり、マスターの店はほぼ満員。
マスターも手が回らないのか、「お手伝いの女性」が店の中を手際よく動いている。
名札には「涼子」とあるが、マスターとは言葉をほとんど交わさない。
目と目で、通じるものがあるようだ。
涼子は、顔つきも、言葉遣いも、何しろ全てが優しい。
お客たちもゆったりと会話をかわしている。

夜の10時、いきなり茜が現れた。
「ねえ、マスター!」
「また一緒に暮らそうよ!」
「私、何でもするからさ!」

ど派手なメイクで着ている服も、やたら派手。
かなり酔っているのか、息も臭い。

「どちらさん?」
マスターは下を向いたまま、素っ気ない。

「ああ、もう!いつまで拗ねてんのさ!」
「あの男と逃げたって?もう3年前だし、時効だよ!」
「さっき思いっきり張り手かまして、振ってやった!」
よく見ると茜の口紅も少し乱れている。
茜も張り手をかまされたのか。

「いいから帰んな」
「あんたに出す酒はないな」
マスターは素っ気ない態度を変えない。

「うるさいねえ!」
「この私が一緒に暮らしてやるって言ってあげてるんだから、喜びなさいよ!」
「言うこと聞かないんだったら、ここで大暴れするよ!」
茜はますます興奮しだした。
周囲の客も不安げな顔で茜とマスターを見る。

「パシン!」
いきなり、女の頬が張られた。
茜の前には、さっきまで愛想よく接客していた涼子が立っている。

「茜!ふざけるんじゃないよ!」
「あんたね、出て行くときにマスターの通帳からゴッソリ持ち出したでしょ!」
「それもヤクザの男に貢ぐために!」
「マスターには一言も言わず!」
「結局そのヤクザにもフラれ、他のヤクザの所を転々として、いよいよ切羽詰まったかい!」
「結局は金と派手な生活だけじゃない!茜って!」

「マスターの部屋に暮らしてた時だって!」
「あんたなんか掃除も洗濯も炊事も何もしなかったでしょ!」
「あんたが出て行った日、心配になって行ってみたら、すぐにわかった」
「全部マスターがやっていたんだってね」
「普通に男を愛する女なら、絶対にしないよ、そんなこと」
「ああ、それから、私がずっとマスターと暮らしている」
「私は誰よりもマスターが好きなの!」
「死ぬまで面倒を見る!」
「だから、絶対にお前なんかに渡さない!」
「さっさと帰んな!」
涼子はグラスの水を茜に思いっきり浴びせた。

茜の厚化粧は、グジャグジャになった。
そのまま、バーから姿を消した。

その後、茜は遠い故郷の実家に帰った。
二度とバーに姿を現すことはなかった。

年が明け、ベッドに腰掛け、ぼんやりと珈琲を飲んでいるマスターの隣に、涼子が座った。
「私は女だから、女には遠慮がないの」

マスターはクスッと笑う。
「ああ、でも、怖かったなあ」
涼子は身体をピッタリとマスターに寄せた。
「そう?もっと怖いかも」

「え?」

「ベッドなら・・・ね・・・」


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