維摩VS文殊菩薩(10)

文殊菩薩は、質問を変えた。
「維摩さんの病気は、どんな相をしているのですか」
維摩は答えた。
「私の病気には、形がない」

つまり、衆生の病に感応して病になったのであって、実体はないということである。
だから、実際の病気ではないから、病気の相もない。

それでも納得できない文殊菩薩は、維摩に尋ねた。
「維摩さんの病気は身体にあるのですか?」
「それとも、心にあるのですか?」

維摩は答えた。
「身体でもなく、心でもない」

そもそも、心と身体を分けて考えることが、間違いとの答えである。
身体が病めば、心も苦しむ。
心が病めば、身体も苦しむ。

これは、人として身体に不調を感じた時、あるいは心に悩みを感じた時に、誰しも感じることではないだろうか。
人間は、身体も心も、「生身」であって、傷みがあれば、影響し合えないとは言えない。
「いや、私は、しっかり分けて考える」と言う人もあるけれど、それは他人の手前の強がりであって、本当の意味のパーフェクトではないはず。

それを考えると、文殊菩薩の質問は、いかにも事務的な医師の質問。
この時点で、文殊菩薩は、維摩の答えの趣旨を、全く理解していない状態である。

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