ジェラシーとの闘い方は、白鳥さんとラッキーマンが教えてくれた
突然ですが、憧れのひとっていますか…?
すごいなぁ…って思うにとどまらず、嫉妬心に心が支配されてしまうことはありますか?
私は、しょっちゅうある。
先日も、自分に自信がもてなくて、自分の軸がぐらついている時は、SNSで肯定してもらうことを求めてしまうって記事を書いた。
その中で、
まわりのひとがみんなすごい人にみえて、羨ましくて、さらに萎縮しちゃって、いじけちゃって…
…みたいなことも書いたのだけど、自分にとっての『羨ましいの定義』は明確なので、めずらしく最初に結論を言ってみる。
まず前提として、私は「天才」といった類の華々しい才能はそんなに羨ましくない。そういうのには、ある程度諦めもつくし、天才だってその才能に気づかなかったり、さらに磨いたりしなければ宝の持ち腐れだからだ。
けれど、ひとつだけ超絶羨ましい才能がある。
それは、どんな環境にいても、信じた道をコツコツと『がんばり続けられる才能』。
私がそんな風に思うようになった経緯と、その対策について話すとちょっと長くなる。
もしお時間があれば、まずは私の思い出話を聞いてほしい。
あ、めんどくさいとか、言わずに、まま、お茶でものみながら…。
∞∞∞∞∞
私は9歳のとき、町内にある、いわゆるスポーツ少年団で週に2回、剣道を習い始めた。
疲れるし、暑いし、つらいし、最初は全然楽しくなかったけど、なんとなく続けていた。
私の出身県は、剣道が盛んである。町内の大会だとわりと入賞することもあったけれど、県大会レベルの大会にでるとまるで歯が立たない。
たいてい、1回戦か2回戦で負けて、あとは強いチームの試合を見学していた。
その頃、県大会レベルの大会でいつも目にとまる女の子がいた。
仮に名前を「白鳥さん」としよう。
白鳥さんは私と同学年で、県内ではとても有名な強豪道場の選手だった。小学生の全国大会で個人優勝するほどの実力で、私にとっては雲の上の存在。
彼女の剣道は、凛として美しい。華奢な彼女は体格ではなく、しなやかさを武器にしていた。
常に冷静に相手を見つめ、軽々と竹刀を振っているようにみえた。かといって、テクニックに溺れるわけでなく、真正面から一本を取りにいく。その駆け引きの巧みさと、一本をねらいにいくダイナミックさが私を虜にした。
白鳥さんが技を放つと、審判の旗がさっと一斉に上がる。審判の旗が物理的にも軽くなったような錯覚に陥るくらい、見事な技。
「あんな剣道ができたらすごいなぁ…!」
自分の試合が早々に終わってしまうと、私の楽しみはいつも、トーナメント表の中から白鳥さんの名前を探しだすことだった。
当時、白鳥さんは、弱小チームの私のことなどつゆほども知らなかったと思う。
私は完全に白鳥さんのいちファンだった。
中学になり、だんだんと剣道がおもしろくなってきた私だったが、相変わらず県大会レベルどまり。そして、白鳥さんの追っかけは続いていた。
高校生になると、私はさらに剣道に熱中した。進学校だったので部活のレベルは高くはなかったけれど、剣道好きな仲間と切磋琢磨しながら過ごす放課後がこの上なく楽しかったからだ。
そして、大会でみかける白鳥さんはというと。
なんとその地域1番の進学校に所属していた。
めっちゃ剣道強いのに、頭もいいのか…。
天は二物を与えたもうた…!
進学校の名前が入った垂れネームをひらひらさせながら、彼女はいつも個人戦で上位に食い込んでいた。
高校ともなると、剣道推薦で入学した猛者たちが集まる強豪校もゴロゴロあるから、たいていベスト8以上はそんな剣道のプロたちに埋め尽くされる。
そんな強豪校の選手の中に、ぽつんと白鳥さんはいた。凛とした姿は、全然変わらなかった。
別の進学校の垂れネームをつけた私は、その姿をいつも観覧席から、羨望のまなざしでみつめることしかできなかった。
すごいなぁ、白鳥さんは。きっと、涼しい顔して軽々と勝ってくるんだろうな。
それが楽しみでもあり、でも、いつしか「絶対にかなわない相手」への嫉妬心で胸がちりちり痛むことに気づいた。
私だって、剣道が好きだ。
強くなりたくて、一生懸命、練習してきた。
中高では部活だけで飽き足らず、部活後、自主的に近くのスポーツ少年団に向かう日もあった。小学生に剣道を教えながら、先生には稽古をお願いする。実は父も剣道の指導者をしていたので、色々話を聞いたり、稽古をつけてもらったり、技の研究もしていた。父と一緒に、自主的に他校に出向いて「出稽古」することもあった。
我ながら、鬼のような体力に脱帽する。
(その代償に、疲れすぎて家で勉強できずバタンキューで寝てしまい、成績はふるわなかったけれど)
でも、私は試合で勝てない。
白鳥さんみたいな剣道は、できない。
∞∞∞∞∞
一浪の末、私立大学に進学した私は、大学でも剣道を続けたいと思っていた。新生活の道具に防具と竹刀をしのばせていたけれど、大学には剣道部や剣道サークルがなかった。
落胆する私に、高校剣道部でひとつ上だった先輩からお声がかかった。先輩は公立大学の剣道サークルに所属していて「インカレだから他の大学の子も入れるよ、マイミもおいで」とお誘いを受けた。
がってんです!と参加したサークルで、私はまた剣道にどっぷりとはまった。サークルとはいえ、真面目で、剣道好きなメンバーに恵まれ、女子部長的な立場に立った私は、剣道に真摯に向き合い稽古を重ねていた。(サークルなので、練習後の飲み会も多かったけどね)
大学の剣道サークルは、伝統的に周辺の大学との交流試合がある。
その日も、かの有名な私立大学との交流試合だった。
そこで、私は白鳥さんと再会することになる(白鳥さんは、私を知らないけど)。
白鳥さん、学業の面でも優秀だったらしい。現役で、有名私立大学の難しい学部に進学していた。さすがである。さすがだよ、白鳥さん…!
そしてついに、初めて白鳥さんと対戦することになったのだった。
憧れの白鳥さんと、やっと竹刀を合わせられるという喜びと緊張が、私の筋肉を硬直させる。「胸を借りる」という言葉どおり、私は白鳥さんに全力で打ち込み、胸に飛び込んでいった。
次々と繰り出される技をなんとか抑えることしかできない私…。自分らしさなんて、一切出させてもらえない試合運び。
だけど。
(あれ?白鳥さん、思ったより必死だぞ?)
…これは、上から目線でもなんでもなくて、本当に意外だったのだ。
面の下の白鳥さんの顔は、汗もダラダラだし、息も切れてるし、全然涼しげに楽々と剣道してるわけじゃなかった。
ずっとコートの外からみていたから、こんなに必死な白鳥さんの顔をみるのは初めてだった。
必死というか、本気だ。こんな雑魚キャラな私にも全力を尽くしてくれている。
結局、私は一本も白鳥さんから奪えず、なんとか引き分けに持ち込むのが精一杯だった。
「ありがとうございました!」
試合後、私は一目散に白鳥さんの元に向かった。ひと言、相手をしていただいたお礼と、そしてずっとファンだったことを伝えたい。
面を爽やかに脱いだ白鳥さんと、私は正座して向き合っていた。やっぱり、まだちょっと息も切れてるし、爽やかだけど、汗もダクダクだ。
ずっとファンだったことを告げると、かわいらしく照れ笑いした。おだやかで、はんなり美人で、面をぬいだら絶対に剣豪だなんて思われないタイプだ。
「ずっと白鳥さんの剣道に憧れてました…!」
思い切って伝えると、
「昔は道場が厳しかったから…でも、今はそのときの貯金でなんとかやってます」
と、にっこり笑い、謙虚さ爆発の白鳥さん。そういうとこだよ、くー!
そのあと、何を話したかよく覚えてない。
だけど、白鳥さんが才能だけで何の努力もせずにここまでやってきたわけじゃないのは確かに伝わってきた。
そんなこと頭ではわかってたつもりだったけど。
自分には手が届かないくらいすごい人だと思ってると、そのひとが重ねてきた努力とか、耐えてきた痛みとか、そういうのを度返しして輝かしい結果だけに羨望の眼差しを注いでしまうことがある。
きっと白鳥さんは、私がお菓子食べながらテレビみているときも、竹刀を握っていたにちがいない。厳しい道場で、私の一生懸命の何倍も、自分と闘ってきたんだと思う。
すごい人ほど、その努力をひけらかしたりしないものだから余計わかりにくいかもしれない。すごい人は、それを努力とも思わなかったり、周りにわからないように上手に努力していたりする。
学生時代、テスト前に「全然勉強してないの〜」とほんわか言ってた友人が、学年2位とかになってたことが日常茶飯事だったので、もうだまされない。
そう、まさにそれは白鳥なのだ(白い大きな鳥のハクチョウの方)。
ハクチョウって、優雅に泳いでるその水面下では、ものすごく激しく足を動かしているらしい。
(参考『とっても!ラッキーマン』ガモウひろし著)
どんな道であれ、すごい人というのは楽々とすごい人をしてるのではなく、その輝かしい功績の裏側で、想像以上の努力があったり、痛みがともなったりしている。
これはつい忘れがちだから、他の誰でもない「自分に自信がなくてジェラシーのかたまりになっちゃったときの自分」に送る。
こういうときの私は、一度やるぞ!と決意したのにやれてないとか、がんばりたいのに満足いくほどできてないとか、結果うんぬんよりも「がんばれてないこと」自体がくやしくて、そんな自分がいやになってしまい、その結果、「努力の末にすごくなったであろうひと」を羨ましがってしまう傾向にある。
たとえばnoteでもそう。
すごくいい空気感の文章や抱腹絶倒なレポートを書いてたり、毎日更新していたり、確固たる地位を得ていたり、自分には決してみつからないような切り口を開拓していたりするのを傍目で見つつ、きいいぃーーーとハンカチの端っこを噛みたくなってしまう。
でも、本当に羨ましいのは、その後ろ側に透けてみえる、それぞれの努力やがんばる姿だ。
あぁ、自分はまだまだ努力が足りない。
そんなんわけで、ジェラシーに心が支配されてしまったときは、その対象をハクチョウだと思えばいい。
自分を取り戻したら、粛粛と淡々と、必要な努力を続ける。
自分には「がんばる才能」があると思い込む。
私は、がんばる才能こそが万能で最強だと考えている。
∞∞∞∞∞
…と、ここまでつらつらと書いてきたけれど。
「noteを公開するからには、本当にハクチョウは水面下で激しく足を動かしているのか調べねばなるまい…」という気持ちに駆られ、ついつい出来心で「白鳥 水の中 足」で調べてしまった。
その結果…
ちーん。
ちょっと、この説20年以上しんじてきたんですけど!? ラッキーマーーーン!
…なーんて恨み言は言わないよ絶対♬
(詳細が気になる方は上記の検索ワードで調べてみてね☆)
いいんだ、私はこの考え方で自分の嫉妬心と闘うことができているから…!
今日も、結果オーライで生きていく。
全然!負け惜しみなんかじゃないんだからねっ!
〈おわり〉
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