Happy OBON!! で出迎えて。お盆にみる日本人の愛とやさしさ【#好きな日本文化】
突然だけど、私は無宗教である。実家や、実家同然に出入りしている母の実家も同じく、入れ込んでいる宗教はない。
しかも、私はわりと理系寄りの人間なので、スピリチュアルな方面にはほぼ興味がない(科学的視点で不思議な現象にはとても興味がある)。
でも、知らないうちに身についている仏教の習慣もあって、そのひとつが「お盆」の文化である。
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小さな頃から、お盆が好きだった。
それは、「本家」と呼ばれる私の実家に、この時期いとこやおじさん、おばさんなどなどたくさんの親戚が集まってワイワイやる非日常が、子ども心にものすごく楽しみだったのもひとつある。
そして、むかーし昔から受け継いできたお盆に行う風習が文化としてとても興味深かったから、というのも大きい。
私の実家と母の実家は同じ町内にあるにもかかわらず、宗派もちがい、風習もちょっとずつちがう。
だからきっと、全国的には数え切れないくらいたくさんのお盆文化があるにちがいない。
ほんの一例として、私や母の実家で行なっているお盆の風習を書いておこうと思う。
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8月13日の夕方にご先祖様の魂をお迎えにいく。
実家では迎え火は焚かず、母の実家では迎え火をする。
ご先祖様が迷わないように、お迎えの印としてみんなでちょうちんをもって、手を背中にまわし、ご先祖様をおんぶする。このとき振り返ってしまうと、なぜだかご先祖様はお墓に帰ってしまうといわれている。
イザナギが、死んでしまった妻のイザナミを黄泉の国へ迎えにいったとき、帰り道は決して振り返ってはならないと言われるが、結局振り返ってしまい、イザナミを連れ帰れなかった…という神話に基づいているのかもしれない。想像だけど。
だから私は、小さな頃から決して後ろをみないように、細心の注意をはらっている。
盆綱(ぼんづな)という、しめ縄みたいな太い綱の上にご先祖様が乗ってやってくるという地域もあり、地域の子どもたちがお神輿のようにして盆綱をかついで各家々を回ってくれるというサービス(?)もあったりしておもしろい。
母の実家ではナスで牛を、キュウリで馬を作る(精霊馬)。
この動物たち、ご先祖様の魂の乗り物なんだけど、なかなか可愛いなと思うし、ちゃんと意味もある。
家に帰ってくるときは、速く来られるようにキュウリの馬。そして、あの世に戻るときは、ゆっくり行けるようにナスの牛、なのだ。ご先祖様への愛を感じるし、ご先祖様がナスの牛に乗って帰るところを想像するのも何ともユーモラスである。
13日〜15日の3日間は、ご先祖様の分もごはんを用意する。
ドールハウスの食器みたいな小さな器にご先祖様のごはんを用意して、毎食お供えする。このとき、無縁仏といって身寄りのない方の分までわざわざ器が準備してあることに、すごく日本人の優しさを感じる。
でも、わが家の場合、ご先祖様の毎回の食事は家族の食事からの取り分けなので、時々夏野菜の具沢山パスタみたいなハイカラなメニューになってしまう。ご先祖様、とまどってないといいけど。
そして、14日にはお墓まいり。
これについては、
「ご先祖様は家に帰ってるはずだから、お墓は空っぽなんだよね?14日にお墓まいりでいいの…?」
と、小さな頃から疑問だった。
当番制で、だれかお墓に残っている不憫なご先祖様もいるのかな?などと、毎年同じネタで母と想像して楽しむ。
15日は、いよいよご先祖様があの世に帰る日。
私が小さな頃は、なるべく長くご先祖様に家にいてほしいという思いから、夜中の12時ギリギリに送っていったものだった。
小さな頃、この日だけは夜更かししてよく、年上のいとこたちとゲームをしたり、色んな話をしたっけ。
現在ではいとこもみんな忙しく、一緒に15日を過ごすこともなくなってしまったけれど…。私はなるべく、8月15日は家族と過ごしたいと思っている。
ご先祖様を送るときは、お土産も忘れない。
3日分のお供えをすべてとっておいたもの(冷蔵庫という文明の利器を使って冷凍しておく)と、お団子を作ってカラムシという植物の葉っぱにはさんだもの。
なぜカラムシの葉にはさむのかは、祖父に聞いてもわからなかった。
昔から疑問だったので、この機会に調べてみたところ、カラムシは苧麻と書いて、リネンなどを作る麻の一種なのだそう。で、お盆の時、迎え火と送り火をするときに燃やすのを苧殻(おがら)といってカラムシを燃やしていたそうだ。
だから、私の実家では送り火をしなくなった代わりにカラムシでお土産のお団子を包んだのかもしれない。
そして、あの世で着るものに困らないようにと、原材料のカラムシをお土産にしたり、燃やしたりしたのかも…と、これはあくまで私の想像。
これにもやっぱり、故人への愛があふれている。
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最近、日本でも認知度が急上昇しているハロウィンや、ディズニー映画にも取り上げられたメキシコの死者の日は、西洋のお盆ともいわれる。
国や文化は違えど、亡くした家族とまた会いたい、一緒に家で過ごしたい、と考えるのは自然な発想なんだろうな、と思う。
メキシコの死者の祭りのように、にぎやかなお祭り騒ぎにはならないけれど、日本のお盆はしっとりと静かに亡くなった家族のことを思い出し、家族みんなで過ごす。そんな日本独特の控えめな風習が好きだ。
(あ、盆踊りでにぎやかにする地域もあるかも?私の周りでは、お盆の時期に盆踊りってしないのです)
わが家では、3年前に父方の祖母が亡くなった。
自分が直接関わっていた家族が亡くなるのは物心ついてから初めてのことだったから、その後、お盆への思い入れはますます強くなった。
今年も、ばあちゃん帰ってくるかなって、あの優しい笑顔を思い出す。
「あれ?来てたのけ〜?」
って、とぼけた感じでひょっこりと、今でも部屋に入ってきそうな感じがする。
スピリチュアルなことに興味はないと言ったけれど、ひとの想いは亡くなった後も生きる人々の心に残り続けるし、亡くなった方を想う気持ちは何かしらのエネルギーを発生させると思っている。
だから、お盆の3日間はばあちゃんの柔らかな雰囲気を、ふわりと背後に感じていたい。
共働きだった両親に代わって、素朴におおらかに育ててくれたばあちゃんを実際にはおぶることはなかったけれど、魂になって私の背中に乗ってくれるんじゃないかなと期待する。
死後の世界があるとして。
年に1度、公然と家に帰れる日があるというのはなんとなく安心感がある。だから私は、その安心感のためにお盆をちゃんとやろうって思うのかもしれない。
別にちゃんとやらないとバチがあたる、なんて思ってない。ご先祖様たちはそんなに心狭くないはずだから。
お盆には、自分の死後のことをちょっとだけ、考える。
ハッピーハロウィン!が許されるなら、
ハッピーオボン!
も許してほしい、なんて思う。私はしんみり、より家族みんな笑顔でいてほしい。
みんなお忙しいとは存じますが、年に1度くらいは万事お繰り合わせの上、できたらワイワイとにぎやかに迎えてほしい。
そんなワガママが頭をかすめる。
私は誰の背中におんぶしてもらおう?
負うた子に負われる…で、息子たちの背中もだいぶ広くなってるだろうな。
〈おわり〉
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