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今日は三島由紀夫の命日なので、ドナルド・キーンさんのことを・・

 今日、11月25日は三島由紀夫の命日だ。だからドナルド・キーンさんについての断片的なメモを記録しておかねばならないと思った。


 なぜ、三島の命日に?それは、キーンさんが三島由紀夫とかなり親しかったからだ。そして、わたしの読みかけの本「思い出の作家たち」には三島由紀夫について綴られている。(白状すると、三島由紀夫の章しか読んでいない。高校生の頃、ふとしたきっかけで三島由紀夫にのめり込み、書架の一角が三島由紀夫で埋め尽くされるくらい読み漁った。大好きな作家だった。思想に共鳴した訳ではない。念のため。)
 本当は、きちんと読み終わってからnoteにまとめたいと思っていたけれど、日々の暮らしに追われて書けずにいるので、今日は自分のメモを作ろうと思う。

 以下、わたしの心に強く残っているキーンさんの情報。これらについて、本当はきちんと調べてから書きたいと思っていたのだが・・・

★ドナルド・キーンさんは東日本大震災後、愛する日本の人々に寄り添いたいと、日本に帰化した。
 報道でそのことを知ったときに、大変心動かされた。
 帰化してからは、Donald Lawrence Keenという名前をキーン・ドナルドとした。(雅号の鬼怒鳴門は三島がふざけて書いた名前らしい。)

★ドナルド・キーンさんは、第二次世界大戦時に沖縄戦に通訳として従軍した。その時のエピソード。日本人捕虜とともに、ポータブル・プレイヤーで聴いた「エロイカ・シンフォニー」
 鉄板のベルリン・フィルにカラヤン大先生で・・・。
 (実際はどこの演奏で、どなたの指揮なのか知りたい)

★1922年アメリカ、ニューヨーク生まれ。
 2019年2月24日東京にて96歳で死去。
 日本文学と日本文化研究者、評論家、翻訳者。

★能、狂言、文楽などの日本の伝統芸能に造詣が深かった。狂言は実際に舞台に立ったことがあるらしい。

 実は、8月にK市にあるドナルド・キーン・センターを訪ねたのだが・・それもまとめていなかった。ボストンにあったキーンさんの住居を再現した一角の画像いくつか・・。

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 著書を読んでみたいと思ったが、分厚い難解そうな著書が全集となって並んでいるのを見て、値段もなかなかで・・挫けてしまった。
 それで手に取ったのが新潮文庫というわけ(笑)

★思い出の作家たち「三島由紀夫」の一節より・・
 この部分だけではないが、大きく頷きながら読んだ箇所。

自己憐憫の表情を浮かべていたであろう素顔を隠すのが、太宰の仮面である。三島が仮面をつけたのは、まったく異なる理由からだった。彼の努力はいつも、自分の本当の表情を人々の凝視から隠すことではなく、彼が選んだ仮面に自分の顔を作り替えていくことに向けられた。彼は仮面を、太宰が仮面の裏側で大事に守った繊細さ、臆病風、自己憐憫を克服するために用いたのである。仮面を生きた肉体の一部へと昇華させた三島は、しっかりとそれを被ったまま死んだ。ついには仮面の態度が三島自身の心構えと合体して、仮面をつけていることさえ意識しなくなっていたのではないか。

 これからこのメモを元に、追記していくかもしれないし、これで終わるかもしれない。
 とりあえず、覚書として・・。

一番大切なことを落としていた\(◎o◎)/!

★キーンさんは亡くなる前に今の日本の行く末を大変案じていらっしゃったそうだ。それゆえ苦言のようなことを、日本を愛するが故に・・どこかに書くか、語るかなさっていたらしい。涙・・( ノД`)シクシク…