「うれしい」よりも「楽しい」を駆動力にする
最近Roam Researchに自分の感情をタグ付けして傾向を眺めるのが好きなゆうびんやです。
さて、その中でも「うれしい」という感情があります。このうれしいという感情の傾向を見てみるとこんなワードが出てきます。
予想外
評価
喜んでもらえた
明らかに他人からの評価が主になっている傾向があるなと気づきました。
そこで感じたのは
「うれしい」を選択の軸に据えない方がいいかもしれない
ということです。
他人からの評価は、自分がコントロールできることではありません。
また予想外の良い出来事も、自分でコントロールできません。コントロール出来たら予想通りです。
そう、うれしいという感情は再現しにくいと感じました。
逆に「楽しい」は個人的には再現しやすい感情だと思っています。楽しいことは、いつやってもだいたい楽しいものです。
だからなにかをするときも、「うれしくなりそうだから○○をする」ではなく「楽しそうだから○○をする」というものを選んだ方がよさそうだと思いました。
というか「うれしくなりそう」ってあまり思わないですよね。「楽しそう」は思います。
「うれしい」という感情は本当にあとからやってくるのかもしれません。
先日書いた記事で決断が足を進めるのではないかと考えました。
事前に予想できない「うれしい」という感情は決断に関与しないという意味でも、足を進める駆動力にはならなそうです。
もちろん「喜んでもらえそう」というのは駆動力にはなるのですが、うれしいとはまた違う気がするのですよね。
「うれしい」は予期せぬごほうびと考えて、あまり重視しないようにしようと思います。
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