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Day8 本には「自分」が、日記には「他人」がいる

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日記や本で自分自身のスコープに触れ、揺り動かすことができます。

スコープが動かせると気づくことは、日記や本から得られる大きな効果の一つと言えるでしょう。

では日記と本がスコープを揺り動かす、そのエネルギーはなんなのでしょうか?

それは「重なり」と「ずれ」です。

私たちがスコープを持つように、本や日記もそれぞれにスコープを持ちます。

それらのスコープが私たちのスコープと重なるとき、スコープ同士が干渉しあい、スコープが揺り動かされます。

(スコープは前回も書いたように、自分の価値観やテーマ、主観、先入観、アイデンティティなどの範囲というイメージです)。

では、本を読み、日記を書けば、スコープを動かせるようになるのでしょうか?

そうではありません。

たとえば、じぶんと全く重ならない、もしくはほとんど重ならないような場合スコープはほとんど揺り動かされません。

全く分からない外国語の本を読んでも、自分のスコープは動かないでしょう。

もちろん想像力を駆使すれば、自分のスコープに引き付けることはできますが、そこにはある程度の努力や技法が必要となります。

逆に自分のスコープと完全に重なることもあります。

しかし、それもスコープを揺り動かすことにはなりません。

完全に同化してしまえばスコープは動かすエネルギーにはならず、ただただ自分のスコープを凝り固まらせることになりかねないのです。

検索結果が自分用にどんどんカスタマイズされ、自分の好みに合った検索結果しか出ないようなものですね(たまにシークレットモードで検索するとおもしろい)。

つまり何が言いたいのかというと、重なりも重要です。そして、ずれも重要なのです。

では本と日記はどのように私たちのスコープと重なり、どのようにずれているのでしょうか。

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ここまで何度も述べたように、今の常識と江戸時代の常識は異なる部分もありますが、重なる部分もあるはずです。

ノンフィクションの本で江戸時代の常識を知ることは、今自分が持っている常識を揺り動かすことになるでしょう。

また、フィクションであっても同じです。本に夢中になってのめりこむことは、一時現実から離れ、本の世界に移ることです。

本の世界から戻ってきた時、今の現実を少し俯瞰してみることができるでしょう。

余談ですが、本にのめりこんだ後、自分の心の声の語調や語尾がいつもと違うことってありますよね。

これも本の世界に入ったことによる「ずれ」かもしれません。

本には「他人」がいます。でも「自分」もいるのです。

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では日記はどうでしょうか。全て自分のことのはずです。では、すべて「自分」のことと考えてもよいのでしょうか。

しかし、そうはなりません。なぜなら、私たちは日々変わり続ける生き物だからです。

細胞は一年たてばすべて入れ替わりますし、寝る前に「明日から頑張ろう!」とやる気に満ち溢れていたはずの自分が、朝にはきれいさっぱりいなくなることもあります。

そうした様々な自分が日記の中にはいます。

日記の中の昨日の自分と今の自分は大きく重なっていますが、1年もたつと日記の自分と今の自分の重なりは小さくなっているはずです。

ですから、日記には「自分」もいて、「他人」もいるのです。

日記を読み返す時、多かれ少なかれ、自分と重なり、そしてずれている他人を見ることになります。

それは自分のスコープを動かすことになるでしょう。

日記は情報からの防波堤となると書きました(Day4)。

日記は防波堤ともなりますが、自分を変える源にもなる、そうした二重性を持っているのです。

日記を書くことはどちらかといえば保守的な行為に見られがちですが、むしろ自分を変えていくというチャレンジングな行為でもある、と強調したいと思います。

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この連載は倉下さんとの共同連載です。


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