歴史と日記で自分を詳しく知ることができるという話
最近ポッドキャスト「コテンラジオ」を聴いています。
歴史についておもしろく学べるポッドキャストです。学ぶというよりはこちらをエンターテイメントしてくれる感じです。
おもしろいですよ!noteの記事もあります。
さて、その中でパーソナリティの深井龍之介さんやヤンヤンさんが「歴史を学ぶことで、自分が分かる」といったニュアンスのことをおっしゃってました。
歴史って極端な例が分かるんですよね
古代ギリシャのスパルタの回を聞いていると、想像はできるけど、理解はどこまでできるのだろうと思います。
今から見れば異端ともいえる人たちと現代の自分を比較すると違いが分かりやすくなります。
ひとは比較することで、差異が理解しやすくなるのです。
極端な違いがあれば、その差はとてもよく見えるでしょう。
今自分が当たり前と思っていることも、昔は違っていて、これから変わっていく可能性があるものであることも分かってきます。
歴史により自分を俯瞰的に理解することができるのです。
そして、自分を理解するうえでわたしは日記を書いて読み返すことが、大事だと思っています。
それは自分が生きている中での振れ幅が分かるからです。
日記は自分しか読まないものですから、極端なことが書けます。自分の振れ幅の大きさ、深さを残しやすいツールです。
日記は自分史のようなものですからね。
この日記というツールを使うことで、今の自分は自分というフィールドのどこに位置しているか理解できます。
そして、歴史上の人物と比較することで、さらに広いフィールドの中で自分はどこに位置付けられているかが分かります。
注意したいのはこの振れ幅が大きいから良いというわけではなく、あくまで解像度の違いです。使い分けるのがよいでしょう。
さらに言えば、日記は歴史という振れ幅が大きい大波のような出来事から自分を守る防波堤ともなります。
いまコロナウィルスという歴史の教科書に必ず載るであろう歴史の大波が来ていますが、日記はその防波堤となり得るツールです。
歴史という大波が来るなかでも、私たちは自分の物語という「歴史」をその中で紡いでいく必要があります。
日記は大波の中でも自分の物語を紡ぐその手助けとなるはずです。
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