「今」を丁寧に、ということについて

毎日が、休養をしている時と変わって目まぐるしくなってくる。

沢山の人の感情に触れ、出来事が多からずある。

その物事に巻き込まれそうになるけれど、俯瞰してみている感覚があって、それはいいのか悪いのか分からない。

自分にとって大切にしたい人や物事を見失わないようにしているだけだ。

人生の中の多くの時間を、「無意識な作業」に費やすと思うと「今」に意識をできる限り向けたくて、未来や予測で発生する不安はあまり意味のないことだと気づいた。

それよりも「今」、自分が息をして五感で空気を感じ、体調や呼吸、季節の移ろい、当たり前が当たり前ではないということに感謝し、穏やかでいたい。

現代の社会は目まぐるしいけれど、いつの時代もリスクや差別など、違うパーソナルな人間達が同じ時間と環境を共有して過ごしていくには、自身がしっかりと地に足をつけて立っていないと風に吹かれたように流されてしまう。自分が今何を視覚で捉え考えているのかを意識し、何にも影響されない、でも柔和な意志を持って穏やかさを芯までまとっていたい。

「今」ここに生きている私は、呼吸がゆったりとできている。お腹が空いた。朝食は、目で見て香りを感じて食感や音、味わいを楽しもう。少し経つとまた無意識になるから、気をつけながら毎日を丁寧に丁寧に過ごしていこう。

そんなことを考えている。

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