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お金を払うという事

前のどこかの文章に書いていたかも知れないが、というか絶対に書いた記憶があるが私は岩井俊二監督が大好きだ。

特に「リップヴァンウィンクルの花嫁」にはハマりまくりで何度も何度も観ている。そしてついに小説も読んだ。そしたら映画で見えなかったパズルが浮かび上がって立体になった。

以下ややネタバレがあるのでまだ観ていない方はご注意くださいませ。

小説の帯にもある言葉、Cocco演じるマシロのセリフが心に残っているので一部抜粋する。

「あたしね、コンビニとかスーパーで買い物してる時にね・・・お店の人が私の買ったものを袋に入れてくれてる時にね、その手をずっと見つめてると、その手はあたしのためにさ、お菓子やお総菜をさ、袋につめているんだよ。あたしなんかのために。せっせと袋に詰めてるんだよ。こんなゴミみたいなあたしのためにさ。それ見てると胸がぎゅっとしてきてね、苦しくなって、泣きたくなる。あたしにはね、幸せの限界があるの。これ以上無理って限界。たぶんね、そこらの誰よりもすぐに限界が来るの。ありんこよりちっちゃいの。その限界が。この世界はさ、ほんとは幸せだらけなんだよ。みんながよくしてくれるんだよ。宅急便の親父は重たい荷物をさ、あたしのここっていうところまで運んでくれるよ。雨の日に知らない人が傘をくれたこともあったよ。でもあんまり簡単に幸せが手に入ったらあたし壊れるから。だからせめて、お金払って買うのが楽。お金ってさ、そのためにあるんだよきっと。人のさ、まごころとか優しさとかがさ、あまりにもくっきり見えたらさ、それはもうありがたくてありがたくて、人間は壊れちゃうよ。だから、それをみんなお金に置き換えて、そんなのは見なかったことにするんだよ。」

*「リップヴァンウィンクルの花嫁/岩井俊二作より抜粋」

私は、マシロほど純粋ではない。でも、お金ってなんのためにあるんだろうって言っていた友達にこのマシロの言葉を教えたら私もスッと入ってきた。その子は接客業で、自分をゴミみたいな人間でとおちゃらけていたけど、その子の接客が良くてに会いに来るお客さんもいるし、その子が薦めたものが良かったから購入した人もいて、そんな人たちがお金を商品とその人に払っているのに自分をゴミみたいなんて言ったらその人たちまで非難することになっちゃうよって。それに、とても私からみた彼女はとても笑顔が素敵で、真剣に丁寧に考えてくれる誠実な人。だからそんなこと言わないでとマシロの言葉を贈った。

そしてさっきシャワーを浴びていて思った。

私は人に贈り物をすることが大好きだ。それも感謝の気持ちをお金で払っているのと同じ行為なんだと気づいた。行動だけじゃなく形で示さないと、申し訳ない気持ちになるのだ。伝わらない気がしてしまうのだ。だから稼いだお金をそこに当てるようにしてしまう。取引先に顔を出して、お話をしてお土産をわたし、そこで買い物をして帰る。心はホックホクなのにいつもお金がないのは・・・このせいか。笑

マシロとは少し違うけど、私も自分のためにやっている。自分がおかしくならないように。私が私を保てるように。

お金を何に使うのか、それは自由だ。


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