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小学校の開始時間早すぎだし、通学班に間に合わなかった気持ちは今もしっかり覚えている話

今日、IMPRO KIDS TOKYOのmtgでずねちゃんと話したこと。
「小学校始まるの早すぎない?」

記憶では8:00には学校に着いてないといけなかったし、8:20から朝の会。
8:00に間に合わなくちゃいけないって結構早いよね!?
そんなに早くする必要ある?眠いだろ!
しかもその時間に行くってことは親は何時から起きれば…考えただけでしんどい
その時間じゃないとカリキュラムとかが間に合わないのかな?
でも先生たちもめちゃくちゃ大変だよね!!!
普通に考えてその前から来て、準備しているわけだから…!

と、話している間に気持ちが当時に戻っていった。
大の苦手だった通学班に間に合わないときの気持ちへ。

通学班に間に合わなかった自分

小学生の頃、わたしの世代も「通学班」で集まって集団登校をしていた。

今は「危険を回避するためなんだもんねぇ」と意味もわかるけど、当時はとにかくこの通学班が嫌いだった。
間に合わないから。遅れちゃうから。

で、遅れるわたしを通学班のみんなも少しの間待たなくちゃならない。
最悪である。

少し待ってもらっているところに早足で向かう。
この瞬間、みんなからの視線で「クズ」と言われている気がして朝のスタートから全然ハッピーでいられなかった。

通学班に間に合わない、人を待たせるダメなやつ
そういう目で見られているな〜という蓄積は、朝起きることへの苦手意識を激的に強めた。

6年生でその最悪度はMAXに達した。
自分がその班で1番上になったので、班長を任命されてしまったからだ。

さらに、自分の家の近所の子(歩いて1分)を道すがら迎えにいって、通学班に連れて行く。
知らぬ間に親同士の話からこんなミッションまで課されていた。

なぜ?
ひとりでも間に合ってないのになぜ…

案の定、わたしはだいたいその子を迎えに行くことが出来なかった。
「やばい」「軽蔑されてるよな」
たまに間に合ってその子の親が出てくると、そんな気持ちが湧き出てまともに顔が見れなかった。
今でも実家の近くですれ違ったとき、当時と同じ気持ちになってしまう。
もう20年前の話なのに、しっかりと蘇ってくる。

それくらい、あの時期に感じていたことは身体に染み込んでいる。

今でこそ遅刻もしなくなったし、むしろ朝活が好きになっている。
けど、「なぜそうなったか」。
そこには自分なりの答えがある。

それも書きたいけど、今日はここまで。

とにかく、小学校の開始時間は早い。
それに間に合うように起きている、すべての人々が本当にえらい。

当たり前じゃんって思うことの中には、
全然当たり前じゃなく個々の歴史や気持ちや努力が詰まっているもんだ。

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