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心を話すって、そうそう簡単じゃない。

今日は「無名人インタビュー」というのを受ける機会をいただいた。

本心を話していない部分もたくさんあったな〜と、振り返るとそう思う。

なんか綺麗事というか、無理に意味づけをしようとしていたりしたところもあったと思う。完全に思考の勝利。

心を話すって、そうそう簡単じゃない。

人と話すとき、変に思われたらどうしよう、否定されたり、ジャッジされたら嫌だな、など、さまざまな恐怖心から自分(はこうである)というイメージを作り出し、できるだけそのイメージの自分像に沿って「いい」回答をするように無意識に思考がフル回転している。

自分を守るために本心を隠したり、見栄を張ったり、プライドを持ったりするのだと思う。そんな邪魔くさいこと何でしてるんだ?と自分に対して思うこともあるけれど、本能的な防衛反応なのだと思う。

何にも怯えることなく本心を口にできたら、
どれだけの苦しみが消えていくのだろう。
どれだけの平安が訪れるのだろう。自分の内側にも、周りにも。



2019年、初めてWomen’s circleというものに参加した。

超引っ込み思案のうえに、英語でのコミュニケーションもままならず、「自信」のかけらもなかった私にはとてもハードルの高いものに映っていた。

笑顔という仮面をつけて、会話がわからなくてもただニコニコして、ただうなずいて。誰からも個人的に話しかけられませんように。私の発言の番はありませんように、とずっと手に汗握り、体中強張って全く落ち着かなかったのを覚えている。

そしていざ始まると、私の願いとは裏腹に、早速一人一人軽い自己紹介とIntentionを発表するとい流れになった。

そもそもIntentionの意味がわからず、一人静かにパニックになっていた。

恥ずかしくて誰かに聞くこともできず、自分の番が回って来るまでに他の人が「Intention」としてどんな単語を使っているのかを必死で聞き取ろうとしていた。

だから、他の人の自己紹介の部分は一切耳に入らず、どうしよう、Intentionってなんだろう。自己紹介も何を言おう。英語だし、どうしよう。
口から出てきそうなる心臓と寒気さえも覚える程ガタガタと震える体を止めるので精一杯だった。

ついに私の番が回ってきた。

よし、と気合いを入れて話そうとした途端、突然涙が流れ始めた。
自分でもすごく驚いた。
ものすごい勢いで流れ出る涙は私の意志では全く止まらず、私はただただ号泣していた。

その時に感じた感覚は今でもハッキリと覚えている。

ただそこに在るだけで 許されている

もう少し丁寧に言葉にすると、とてつもなく大きな「母」に包まれている、母体の中にいる感じ。とても温かくて優しい。完全に守られていて安心しきっていられるといった感覚だった。愛とはこれなのかもしれない。私はそこで初めて魂の震えというのを体感した。今でも強烈に私の感覚に刻み込まれている。

一通り泣き終えた私から出てきた言葉は「JOY」だった。
Intentionの意味もわからず、JOYの意味もわからず、ただ口から出たという感じだった。英語での拙い自己紹介も済ませ、周りを見渡すと、そこには一緒に泣いてくれている人や、微笑みかけてくれる人、Well Said と鼓舞してくれる人たちに囲まれていて、その時、生きていて初めてノンジャッジメントというのを味わった。

当時のことを今振り返ると、確実にそして常に「私」をジャッジしていたのは「私」だった。「私」だけだった。

「私」を、「誰か」に受けてもらう喜び。
そして、他の誰でもない、
「私」自身に「私」を無条件で受け止めてもらう喜び。

心置き無く、「心」を話すって究極のヒーリング。

その日からBeen seen and Been heard - 「私」とREConnect できる場所、ひいては「居場所」を作りのために日々生きている。

私自身、本心を口にするって、まだそう簡単にはできない。
苦しみを抱えることもしばしばある。
全然完璧じゃない。

でも「居場所」をつくることで、
私自身も周りの人も心置き無くオープンになれたら、癒されたら、世界はもっと優しい場所になる。平安が訪れることを知っている。

だから続けていける。

\本気で生きる人たちの井戸端会議ドコロ/
Mishmash Butterfly 🦋 ( ミッシュマッシュ バタフライ )


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