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読書感想文:国際政治「女たちのベラルーシ」

ベラルーシと聞いて、地理や特徴を思い浮かべる日本人はどのくらいいるだろうか。
ヨーロッパ諸国でもベラルーシは「ヨーロッパの空白地帯」と呼ばれており存在感の薄さは否めない。しかし、2020年コロナ禍、ベラルーシ首都ミンスクで世界を揺るがす独裁政権に対する抗議活動が起きた。
その抗議活動の経緯と発端と波及をまとめたのが本著だ。

今年一番面白かった本(約100冊中の一番)。ぜひ手にとって読んでほしい。


ヨーロッパ最後の独裁国家

今でこそ独裁者として有名なルカシェンコは、1994年に初めて大統領に就任。ベラルーシはソ連崩壊後の1990年に独立宣言をしたばかりで、安定してる環境とは言い難かった。

ソビエト連邦の崩壊:
1988年 - 1991年にかけてソビエト社会主義共和国連邦が内部分裂を起こし、単一の主権国家としての存続を終了した出来事。ベラルーシは、1991年9月19日に「ベラルーシ(白ロシア)共和国」と改称したことを国連に報告

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民衆は、生活基盤の向上を政治に求めた。当時は独裁者でなかったルカシェンコは、社会の意向と期待を機敏に察知した。一独立国家として目指す方向性を掲げ、経済環境を中心に大きく改善したのは事実だ。
しかし、彼は徐々に自身に集中する権威体制を強固に築き上げ、国民の意思を無視していく。

限界を迎えた医療と国民の我慢

ルカシェンコの独裁体制に国民が声を上げ始めたきっかけは様々あるが、起点の一つは2020年のコロナ・パンデミックだ。

近隣のメルケル首相が科学的根拠を基にステイホームを呼びかける中、ルカシェンコは一切警告を発さなかった。どころか、妨害するようになる。

<パンデミックでのベラルーシ>
・国境は開いたまま
・マスク着用の義務なし
・サッカーの試合とアイスホッケーのトーナメントは、観客を入れて開催

極めつけに、最初は報告していた日毎の感染死亡者数をごまかすようになる。医療関係者によると、国が報告した死亡者数が、関係者自身が勤める病院の一日の死亡者数よりも少なかったという。
死亡者は少ないと見積もられているため、各病院への支援は不足した。自発的な医療ボランティアとコミュニティが走り回って、不足した物資を何とか手配している状況だ。

この耐え難い状況に何千人ものベラルーシ人が大型イベントの中止を求める嘆願書を出して自主的に外出を減らす一方、ルカシェンコはウイルスの存在を疑う発言をし無能さを露呈した。
そして国民の堪忍袋の緒が切れたのは、彼が毎回犠牲者に対して悪態をつくことだ。女性、年寄り、体型、出身地…死者は何かしらの属性で侮辱を受けた。

人間の命をつまらないものと扱う大統領に、誰が尊敬を向けるだろうか?

彼には、社会の不平が聞こえてこない。彼の支持者はもう愛想を尽かした。

こうして”目覚めた”国民は、新しい英雄を迎える。

この本の肝である、3人のリーダーだ。

教師・母親から一転、スヴェトラーナ・チハノフスカヤ

スヴェトラーナ・チハノフスカヤの夫であるセルゲイは、2020年春の大統領選挙の有望候補者とみなされていた。彼は役所の横暴を発端に、国民の声を聞くYoutubeチャネルを開き、打倒ルカシェンコを掲げた。

スヴェトラーナ・チハノフスカヤにとっての運命の日は、2020年5月29日、夫セルゲイが逮捕された時だ。
ごく些細な理由で逮捕された彼を見たスヴェトラーナ・チハノフスカヤは、彼の意思を頓挫させないよう、自分を一時的に大統領選挙の候補者として登録する。出馬に必要な10万人の署名も集まった。

まさか、本当に最後まで大統領選挙にスヴェトラーナ・チハノフスカヤが進むとは、誰もが思わなかっただろう。

チハノフスカヤの側近には、Microsoftの幹部であるマリア・モロスと、プロフルート演奏家のマリア・コレスニコワが就いた。二人共、出馬を禁止された別の男性大統領候補者を支援していた。

常日頃から女を侮辱しているルカシェンコは、スヴェトラーナ・チハノフスカヤの出馬を禁止しなかった。人生最大の間違いかもしれない。

スヴェトラーナ・チハノフスカヤのチームは、ルカシェンコとは全く違う方向性で選挙活動を行った。独裁者で誰の話も聞かないルカシェンコからは彼の知らないうちに国民は離れていき、スヴェトラーナ・チハノフスカヤの勝ちは誰の目にも明らかだった。

しかし2020年8月9日の投票日、ルカシェンコは恥知らずにも選挙結果の明らかな不正を行った。この不正を受けて民衆は怒り、小さなデモが大きくなる。

悪名高い特殊部隊OMONの警官が、暴力的にデモ参加者を追い詰め拘置所はいっぱいになった。ある若者が射殺されたことを機に、一触即発な雰囲気が生まれる。
ここでベラルーシは暴力の波に乗らなかった。
転機が訪れたのは、不正選挙から3日過ぎた8月12日水曜日。テレグラムで立ち上がったグループチャット「ベラルーシの女たち」が首都ミンスクの勝利広場に集結した。

OMON警官は黒を着ているので、女たちは白。戦略的にメディアに告知をしておき、花を持って150名ぐらいの女たちが民謡風の子守唄を歌った。
ミンスクでの蜂起は、国家暴力に直面した抗議活動のお決まりのコースである、過激派が主流になって平和的な運動から怒りの運動にはなることを見事に阻止した。

<過去過激化した抗議運動>
・2014年冬ウクライナのマイダン抗議運動
・2019年香港
デモに参加した若者たちが、中国政府の圧倒的な介入に抵抗し、それがさらなる国家暴力と抑圧の口実になった

女たちによる抗議活動は切迫した状況を沈静化させ、世界の注目を浴びながら平和的に推移した。

各活動家による勇敢な草の根活動は、Noteに記すだけでは到底説明しきれない。ぜひ本著を読んでほしい。

所感

2020年夏、弊社の寡黙な従業員が「大変なことが起こった」とオンラインミーティングで呟いた。それを受けて、他のヨーロッパ在住のメンバーが彼の身は安全かと直ちに問い、チーム皆で彼を励ました。

彼は、ベラルーシに住んでいた。
皆が話しているのを聞きながらニュースを検索した私は、そこでやっとベラルーシに何が起きたかを知った。

日本では、ベラルーシの抗議活動について多くの情報は出ていない。
全ての情報を知ることはできないが、オゾン層下の同じ空気にいる人間として、興味を失いたくないと思う。

この本では、女が活躍する。たまたまでなく必然で、コロナ禍でしわ寄せを受けることになったのは、民主主義社会主義問わず変わらず女だからだ。

この本が言及する女性は3人だけではない。医療従事者、極秘取材によって得られた多くのデモ抗議者、名もなきケア労働者の声。

社会主義国では、外向けには男女平等は叶ったと謡っていた。宇宙飛行士、狙撃手、政治家。STEM領域に女性が多いのもソ連の特徴だ。

女性は守られるだけでなく、男と同じ立場だとソ連は発信していた。
しかし事実は、女が外も家も重荷を背負わされていたのは、以下の2つの本で統計データや泥臭い聞き取りインタビューからも分かっている。

データだととっつきにくいなという人は、社会主義国に渡った日本人の旅行記も面白い。
人情ヨーロッパ」はアクティブな著者が積極的に周囲に溶け込もうとするパワフルな旅行記だ。会話の間にちらりと負の歴史が垣間見える。ベラルーシの体験談はないが、ボスニア、セルビア、チェコ、クロアチアと中央ヨーロッパ含めた21カ国の体験記として非常に貴重だ。

セルビア紀行」はセルビアに特化しており、やや表面的ではあるが食事や暮らしについて知ることができる。セルビアの本では比較的新しい。

最後に、同じく報道されにくいイスラエルによるパレスチナ人に対するジェノサイドが、たくさんの人に知られ早く終焉することを祈っています。


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