人としての喜び
心の豊かさも、喜びも
内容は人それぞれ異なると思いますが、
大切なひとと喜び合える時間は、
特別なモノがありませんか?
わたしはそんな風に思います^^
* * *
そんなことを言うわたしは、
かつて
「30歳まで生きていたくない…」
と、本気で
当時周囲の人に話していたし、
" 人を嫌いになったこと " なんて
たっくさんありました(^^;;
その理由は、「陰口」でした。
表では誰もわたしにそんなことを
言ってこなかった、
むしろとっても好意的だったのに...
陰では、わたしの
大きな顔の傷痕や目の変形について
「気持ち悪い」とか、笑ったりとか
散々なことを言っていたと知ったとき。
人間の怖さを感じました。
とっても悲しかったなぁ〜m(__)m
(未だに思い出すと、どんより笑笑
そんな悲しい経験
誰でもあると思います。
いいんですよ。
悲しい経験は、悲しい経験として
じぶんの中にあったっていい。
それを「否定」したり、
「なかったことにしようとする」から
苦しくなる。
だからと言って、
落ち込んだままだと
生きている心地が悪かった(T . T)
* * *
そんなわたしが
今、こうして前向きに「生きる」ことに
一生懸命に楽しんでいられるように
なってきたのは、
大好きな人達と、
笑ったり、
何気なく触れ合ったり、
「ママだいすきよ〜らぶ〜」
なんて言葉を娘や家族から
毎日掛けてもらったりしているから^^
そんな " 喜び " に包まれている時間は
わたしの生きている価値を
確実に高めてくれます。
挫けそうになっても、
「うーん、もうちょっと、やってみっかぁー(~_~;)♩」と思えたりもする。
だけどね、
そんな人いない!なんてことを
言う方もいるかもしれませんよね。
家族が全てじゃないひとだって
この世界にたくさんいます。
実は、わたしも12歳から25歳くらいまで
あんまり自分の与えられた環境や
境遇を「幸せ」とか「喜び」なんて
思うことができなかった。
こればっかりは、
しあわせに戻るよ!
わたし、自分の幸せ、見るわ!
もう、根気からの
スタートでした(ーー;)
娘を産んでからも、
イジイジ...ウジウジなわたしだったので。
なんか、もうー
このサイクル辞めたい!って
生き生きして生きる娘を間近に
踏ん切りが付いたんだと思います。
だけど、忘れて欲しくないのは
" 人によって、タイミングは異なること "
本当は、喜びで生きたいな。
じぶんの幸せを、認められるようになりたいな。
↑そんなことからのスタートでした^^
(まーた、調子悪いのかい(ーー;)なんて突っ込まれるような私ですから。笑)
せっかく生きているのだから、
女性で顔に大きな傷痕があろうが
バーンっ!と
堂々と、人としての喜びを
たくさん感じて死んでやろうって
勝手ながら意気込んでおります^^♩
同じく、
どんな自分であろうが
生きることを諦めない
これをお読みなあなたのことを
わたしも応援しています♡
大丈夫。
あなたにとって都合の良いことを
「喜び」に変換して見る癖♡
意外と楽しいですよ〜♩
* 今日も最後までお読みくださり
どうもありがとうございました
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