見出し画像

他人のためにやることは何もない

世界は、

私たちの個人の意思とは関係なく、

自然現象として、

起きるべきことが起きています。

気温や湿度に関係なく、

雲が「雨を降らす」という自由意思が発動できないように、

全ての自然環境・人間関係などに関係なく、

私が自由意思を発動できません。

自由意思でやっているように見えて、

それをやるような流れが起きていただけです。

私が何もしなくても、

何もしないでいられたことに関しては、

世界は完璧に回ります。

私が何かすべきことだったら、

何かしないではいられていません。

私は、過去に、

自分のやることが相手のためになる、

自分のやることが良い影響を与える、

そう思って、

自分がやりたくないことでも無理してやったり、

自分がやりたいことを正当化したり、

していました。

今考えると、

おこがましいと思います。

まず、そもそも、

私が何もしないでいることを選択できるような状況であれば、

私が何もしなくても、

相手は大丈夫です。

(何もしないでいることを選択できないとは、例えば、

車にひかれそうになっている子供がいたら、

声をかけずにはいられないということです)

そして、

相手のために何かしたいと思って

自発的にやった行動は、

相手のためではなく、

自分のためにやった行動です。

さらに、

相手のためにもなると思って、

自分がやりたかった行動は、

ますます自分のためにやった行動です。

おそらく相手のためにすらなっていないでしょう。

あなたは、

自分がやりたいと思わない限り、

思わず体が動いてしまわない限り、

相手のために何かする必要はありません。

ですから、

それでも相手のために何かしたいときは、

これは自分のためにやりたいことだ、

自分がやりたくてやっていることだ、

と自覚してやりましょう。

そうすれば、

相手から感謝されなくても、

相手から迷惑がられても、

相手がアドバイス通りにしなくても、

見返りがなくても、

ストレスを感じることはありません。

もしくは、

相手のためにやってストレスを感じるだけ感じて、

もう分かった、もうやりません、

というところまでとことんストレスを感じましょう。

そして、そんな無駄なことはやめましょう。

大丈夫です。

あなたがそれをしなくても、

相手はそれはそれで完璧です。

もし相手が辛い思いをすることになったとしても、

それはその人にとって必要なことだったということだけです。

そして、

自分が何もしなくても、

世界は完璧に回っているという体感をすると、

ますます自分という何かをしている個人的な存在の感覚が薄れ、

楽になります。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?