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見せかけの自由意思を使ってどう生きるか

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音声のみなので、
ラジオのような感じで聞き流してください。
YouTubeにアップするにあたって、
少し体系的にまとめています。
このnoteは、文字起こししたものです。

こんにちは。
世界の仕組みを知って楽に生きるための
メッセージをお伝えしています、
maikoです。

今日からは、
テーマを自我と題しまして、
見せかけの自由意思をどう使うか、
ということについてお話ししたいと思います。

1.見せかけの自由意思とは

ここでなぜ”見せかけの”と言っているかについては、
よろしければ過去の音声、
「自由意思はない」を聞いてみてくださいね。

少しその音声の補足として、
その時にはご紹介しなかった、
自由意思が本当にあるのかと疑いたくなる
科学的な実験について、
2つ簡単にご紹介しようと思います。

まず1つ目は、
ベンジャミン・リベット博士の
何かしよう、と意識をする
0.3秒前に脳が行動の指令を出している
ということを証明した実験。

私たちとしては、
まずウデを動かすぞ、と意識をして、
その意識に従い、
脳がウデに対して動かせという指令をして、
その結果、動くという感覚ですが、

脳の電気信号を計測してみると、
脳からウデに対しての動かせという指令の方が、
腕を動かすぞ、という意識が起きるより、
先だったということが分かりました。

もう1つは、
マイケル・ガザニガ博士の
自分の無意識の行動に対して、
合理的な説明を後から加える
ということを示した実験です。

手術により、
右脳と左脳の情報連携ができない人に、
左脳に歩いてくださいと指示して
歩き出した後、
右脳にどうして歩いたのか聞いたところ、
喉が渇いたからジュースを買おうと思って
歩いたと説明をしたということです。

この2つの実験は、
私たちに自由意思はないと、
証明するものではありません。
でも、私たちは、
熱いものに手が触った時に、
考えるより早く手が引っ込んだり、
アチって言葉が出たりすることは、
経験としてありますよね。
一般的に反射と言いますが、
それと反射以外の意識的な動作は
別だと思っていますが、
でも実は、
全て反射のようなもので、
考えるより前に動いていたと、
そして、
それを後から、
熱いから手を引っ込めたのだと
まるで自分が選択したかのように
説明することができる、
そういうことが分かると思います。

なかなか面白いですよね。

とにかく、前にもお伝えしたように、
私たちには自由意思はなく、
全て自然現象のように自動的に
思考も判断も行動も起きている、
とお話ししました。

そして、
どうせ起きることが決まっているからこそ、
過去を後悔することも、
未来を心配することなく、
逆に、自由に思い通りすればいい、
というお話をお伝えしました。
それが、
見せかけの自由意思を使ってどのように生きるか
ということです。

2.どう生きるかにフォーカスしない

実は私、
この話をすることがいいのかどうか、
結構考えていました。

なぜかというと、
【悟り】をテーマにした音声で話してきた通り、
この世界も、
そこで生きていると思っている私という存在、
つまり自我も、実は幻想です。
だから、
この世界でどう生きるか、
ということにフォーカスしてしまうと、
自我を強めることにつながり、
本当の自分を思い出すためのお話が、
本末転倒になってしまうからです。

とは言え、
やはり悟りには段階があって、
現実が苦しくて、
目の前のことで精一杯になっている人にとって、
いきなり、
"これは夢だから目を覚まして"
と言ったとしても、
夢に入り込んでいる状態で
なかなか聞こえてこないだろうし、
平安に意識を向ける、
ということも、
理解することも実行することも、
きっとできないと思います。
私自身もそうでした。

ですから、
本当はいない自分として、
本当はない自由意思を使って、
どう生きるか、
というなんとも表面的に聞こえる話を、
していこうと思います。

ここで、今日はこれから
この自我をテーマとしたお話しを聞く上で、
心に留めておいてほしいことを、
いくつかお話しします。

3.どう生きるかはメソッドではない

まず、1つ目は、
この話は、
現実を自分の都合の良いように変える、
もしくは現実を完璧だ、とか、
全てうまくいっている、などと
心地良く受け止められるようになる、
そういうことのためのメソッドではない、
ということです。

現実にフォーカスしている限り、
平安はあり得ません。
この世界に現れているものは、
変化し消えていく存在だからです。
もし仮に、
最高の幸せが実現するとすれば、
あとは落ちる一方ということになります。

この話の目的はむしろ、
この世界に現れてくる
物質的なこと、肉体的なこと、
思考、感情、
それらとは関係がなく
平安があると知ることだ、
ということを心に留めておいてください。

4.どう生きるかに縛られない

次に、2つ目は、
ここで話をする、
どう生きるかという内容について、
「そうしなきゃいけない」
と思って苦しくなったり、
「また言われた通りできなかった」
と自分を責めたり、
「なんでそんなことをしないといけないんだ」
という反発心が出てきたりしたら、
それは今はそれをするタイミングではないんだ、
と思って、流してください。

聖者とか賢者とか言われる方々は、
自分という感覚から逃れられず、
苦しんでいる私たちに対して、
どうせ自我なんて幻だ、
どうせ自由意思なんてないのだ、
と見捨てることなく、
どうすれば本当の意味で楽に生きられるのか、
を示してくれています。
それは慈悲の心です。

あくまで、
この世界で生きていて苦しくて、
もうどうすればいいか分からない、
という人に対しての、
救いのようなものとして
こう生きるといいですよと、
教えていただいているものですから、
反発心が起きたり、
文句が出たり、
負担になったりするようなら、
まだ自分の方法でやっていく余裕がある、
ということだと思います。

タイミングが来れば、
やるべきことなら必ずやることになります。
無理をして実行したり、
しなきゃいけないと思ってやることには、
必ず反動が出てくるし、
いつかは元に戻ります。

やるべきことが起こる時、
それは無理なく、
努力なく、
自ら求めて、
心から、
自然に、
考えなしに、
思わず、
やってしまうことが起きます。

そして、
そうなるまでの失敗や苦悩も、
何一つ間違いなく起こってきます。
経験すべきことは全て経験されます。
何一つ間違えようはありませんから、
安心して、そのタイミングを待ってください。

もちろん、
私も完璧に実行できているわけではなく、
できなかった自分を責めることもありません。

5.どう生きるかは何をするかではなく何をしないか

次に3つ目は、
自我がどう生きるか、
ということは、
何をするか、という話ではなく、
何をしないか、という話になる、
ということです。

基本的に、
自由意思を持って、
個人的に行動する私たちは存在しません。
人体がそれ1つで生命活動であるように、
地球がそれ1つで生命活動であるように、
私たちは存在する全てのもので1つの生命活動です。

ですから、
誤解を恐れずに言うとしたら、
操り人形のようなものです。
そうだとしたら、
自分の力で、
あるがままに対して抵抗しようとすることは、
かえって余計な力が加わり、
楽に生きることができない、
ということが分かるでしょうか。

そういったことで、
この自我の話は、
見せかけの自由意思を持って、
何をやるかではなく、
何をやらないか、
という話になると思っていてください。

そして、
自分が意識して何かをすることなく、
自然と無理なくやってしまうことだけで、
世界が回っていることを感じると、
ああ、本当に私という個人的な存在は
いないのかもしれない、と
思えてくることがあるかもしれません。

そうすると、
本当の自分に意識を向けることができるように
なってくるかもしれません。

6.心に平和を

最後に、
私がお伝えしている話は、
この世界は幻想だからどうなっても構わない、
ということだと誤解しないでほしいな、
と思います。

むしろ世界は私たちの心の投影ですから、
世界を平和にするためには、
私たちの心が平和で安心である必要があります。

逆に言えば、
世界を平和にするために、
権力も時間もお金も他の人の協力も、不要です。
ただ、私たちの心が平和であればいいのです。
そのために絶対に、
真理を知る必要があります。

悪いのは誰だ、原因は何だ、
と不満・批判・怒りに心が満たされている限り、
それが一見平和のための正しい怒りのように見えても、
あなたにも世界にも平和は訪れません。

あなた自身が平安であることに、
少しでもお役に立てていければ嬉しいなと
願っています。

次回からは、
見せかけの自由意思を使ってどのように生きるのか、
具体的な内容に入っていき、
世界の仕組みを知って楽に生きるメッセージを
お伝えしていきますので、
よかったらチャンネル登録して
聞いてみてくださいね。


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