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おばあちゃんとバタフライ

念願の高知移住を果たした私たちに、バッドニュースが飛び込んだ。7月に引っ越しをして、8月から通わせようと、あらかじめ保育園を申し込んでおいたのだが、希望していた園の先生がやめてしまって、定員オーバーになったので入園はできないというのだ。年長児の空きは2枠あったし、人口が少ない高知県のことだからと、たかをくくっていた。やってしまった。電話応対をしていたのは夫。「今から他の園に申し込んでも入園は9月になるって。まあ仕方ないよね」と冷静に言われたことに腹を立て、引っ越したばかりの家に険悪なムードが流れる。

しかし、怒っていても保育園は見つからない。落ち着け、どうどう私。とにかく探さなくては……。自宅から通える範囲であるだろうか。私は車の免許がないので、自転車で10分以内のところがいい。雨が降ったときのことを考えると、頑張ったら歩いて行ける方がなおよし。保育園の一覧を眺めても、土地勘がないので、名前だけではどこが近いのかわからない。

高知に来て驚いたことのひとつが、地図だ。縮尺が他府県と違っているのではないかと何度も疑った。地図上では歩いて10分くらいに見える場所が、いざGoogle Mapでルート検索してみると、30分以上かかったりする。そんなことはないだろうと実際に歩いてみても、やはりめちゃくちゃ遠い。一区画が長い。東西が長い。南北も長い。とにかく高知は長いのだ。

親指と人差し指で、地図を大きくしたり小さくしたりしながら、保育園の場所と自宅を見比べていく。どこを見ても遠い気がする。また空きがないと言われたことを思って不安になる。そもそも、9月から入園となると、あと2ヶ月弱。仕事は夫と交代しながらで、何とかなるだろうか。どうしようもなくなったときは知り合いに頼むか、一時預かりを探すか……。吐く息のすべてをおしゃべりに費やす娘と毎日何をすればいいのだ(なぜあんなに一日中しゃべっていられるのか)。最近は夏になると、公園から子どもたちがいなくなる。暑すぎて危険だからだ。公園には行けない。ずっと家にいるのも、親子そろってストレスでどうにかなってしまうだろう。せっかく引っ越してきたのだから、高知の遊び場を探してみるが、だいたい遠い。そして免許がいる。やはり長過ぎやしないかい高知県。そして夫よ。全然仕方なくない事態やんか。

どうしようどうしようと悩んだ末に、よくわからなって、とりあえず明日はプールで遊ぼうと思いついた。水に入れば涼しいし、疲れる。泳いだあとは昼寝をしよう。調べてみると、そう遠くないところに市民プールがあった。情報が少なかったり、あっても古かったりして不安だけれど、とにかく行ってみよう。翌日、私はプールバッグにタオルと水着を入れて、娘と一緒に自転車でプールに向かった。

プールがある施設はグラウンドと併設されていて、広々としていた。まずは券売機でチケットを買う。大人180円、子ども60円。この時代に100円を下回るサービスがあるなんて。ポテトチップスも200円とかなのに。ありがとう高知。ありがとう市民プール。これで娘が気に入れば、2ヶ月間毎日来よう。

チケットを受付のお姉さんに渡す。すると何やら困惑した顔で「あの……小学生ではないですよね?」と聞かれた。え、え、予想外の展開。もしや市民プールって幼児は入れないの? 困る困る。ここで帰されるのはすごく困る。娘に何と説明しよう。「あ、年長です。来年小学生です」一か八か「小学生」のところを強調してみる。お姉さんは「やっぱり!」という表情を浮かべて「幼児のお子さまは料金がいらないので、返金しますね」と、60円を返してくれた。わざわざ教えてくれるなんて。優しさに60円、いや600円払いたい。

更衣室に入ると、何人か着替えている人がいた。皆、娘を見てはニコニコしてくれる。娘を着替えさせたあと、自分も着替えてシャワーを浴び、プールに行った。25メートルのプールと、幼児用の浅いプールがあった。どちらも大きくて、幼児用だけでもじゅうぶん楽しめそうだ。しかも平日だからか、空いている(最高!)。幼児用で遊んでから、25メートルプールの自由に使えるコースにも行ってみた。娘に背中のヘルパーをつけさせて、バタ足の練習などをしていると、おばあちゃんたちが話しかけにきてくれた。

おばあちゃんたちは常連なのか、顔見知りらしい。「かわいいねぇ」「小さい子がいると元気になるねぇ」と、みんなではしゃいでいた。楽しそう。高知はどこにいても、子どもを歓迎してくれるムードがあってうれしい。ひとつ前にも書いたが、子連れだからと煙たがられたり、窮屈な思いをすることがない。子は宝なのだと、いつも高知で教わってきた。

そのうちに、ひとりのおばあちゃん近づいてきて、娘に泳ぎを教えてくれた。「ヘルパーを前につけたら、背泳ができるき!」「バタ足はこう!」芋洗い状態のスイミングスクールで他の子と並び、ひたすらビート板でバタバタやっていた娘は、最初は困惑していたが、すぐに懐いて素直に教わっていた。おばあちゃんは「体幹がしっかりしているから」と、水の中でビート板に乗る技も見せてくれた。娘も私も全然できなくて、「すごい!」と感動した。

娘とふたりで来た市民プールだった。でも、みんなで遊んだ。正直に言って、私は子どもと遊ぶのが得意ではない。公園に行ったり、おままごとをしたりはするけれど、子どもを楽しませる上手な遊び方ができない。だから、最初に幼児用のプールで遊んでいたとき「水に入ればよいわけではない」と気づいて愕然とした。水をかけたり、追いかけっこしてみたりするけど、そう長くは遊べなかった。

おばあちゃんは、ひとしきり娘に泳ぎを教えたあと、私と少し世間話をして、それからひとりで泳ぎ始めた。まさかのバタフライだった。とてもかっこよく豪快な泳ぎで、あっという間に25メートルを泳ぎきった。見渡すと、バタフライをしているおばあちゃんは他にもいた。何度かおばあちゃんとすれ違って、そのたびに話をした。お世辞にも泳ぎがうまいとは言えない娘に「水を怖がらないき、いいねぇ!水泳選手になれるよ!」とまっすぐ褒めてくれた。

高知には「はちきん」という言葉がある。語源はいろいろあるようだが、8つの金玉を持っている女性と聞いたのが、一番わかりやすいなと思った。男勝りで、快活で、働き者の女性たち。私は高知にきて、もうたくさんのはちきんに出会った。そして例外なく、彼女たちを好きになっている。

保育園問題は、そのあとすぐに解決した。夫と小競り合いした末に「もう私が聞くわ!」と保育幼稚園課の人に電話をかけ、どうしたらよいか相談してみた。すると、保育園だとどうしても9月からになってしまうが、幼稚園(認定こども園)ならば、直接園に空き枠を聞いて、あればすぐに入れるかもしれないと教えてもらった。比較的近いところに問い合わせて、すぐに見学に行った。娘は「明日からでも来たい」と目を輝かせ、私も夫もその園がとても気に入った。しかも、いつでも来てもらってよいと言ってくれたので、翌週から通わせてもらうことになった。

すっかり新しい幼稚園に馴染んだ娘は、裸足で園庭をかけまわり(そのまま靴下を履いているのかいつもドロドロだ)、毎日クタクタになって帰ってくる。夏の間は毎日園のプールに入って、稲刈りの体験をしたり、川遊びにでかけたり、みんなで朝市にお買い物に行ったり。真っ黒に日焼けして、確実に逞しくなった。

あれから何度か市民プールに行ったけど、おばあちゃんたちには会えなかった。ちょっとやってみたくなって、バタフライしてみた。いちフライもできずに力尽きた。私も娘も「はちきん」と呼ばれる日はくるだろうか。


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