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失った20年をどう捉えるか

わたしがうつ病で倒れたのが27歳のとき。
その後、病気ではなく障害だと診断されて20年。
今年、わたしはついに47歳になった。

障害になって良かったと思うことは未だに一つもないし、失ったものに比べて得られたものなどほとんどないに等しい。

わたしはただ、自分の時間を20年も失っただけ。

この失った20年をどう捉えるか?

仮に人生、100年としよう。
発病前の約30年間は除いて70年あったはずの時間から失われた20年を引くと、

わたしがこれから活かせる時間はあと50年だ。
正解にはあと52年と数ヶ月。

もし人生、80年らなば、
あと32年と数ヶ月。

現状では、日常生活がまだ困難なうつ状態で、たまに調子の良いときにやっとnoteが見れている感じ。再び障害が発症して入院する可能性も変わらない。


しかし、わたしはこれ以上はもう我慢は出来ない。
わたしには、やりたいことがたくさんある上に、成し遂げたいことも夢もあるのだ。まず弱音は捨てた。わたしの人生に弱音や愚痴を吐く時間はない。


ただでさえ、人生は、何事かを成すには余りにも短い。


はい、もちろん絶対に後ろは向かないわたしだから、ここからだんぜん前向いていきますんでー!!


やはり、人生談はド派手に行かねば。


さらに、わたしは20年を取り戻さねばならないのだ。
そう、もちろん取り戻すつもりだ。
時間は戻らない?ふざけるな、わたしは取り戻す

この、一分一秒が惜しいくらいの今のスピード感。
もうずっと頭の中にはこの絵のイメージしかない。

このイメージしかない。

ただ目の前の強大な敵に向かって刃を抜き向かっていく煉獄さんのイメージ。

人生を賭けた、自分との真剣勝負が始まっている。

わたしは絶対に負けない。
負ける気などはない。

現実的には、鬱の症状が治まるまでは気力がなく何も出来ない。無理はしない方がいいと分かってる。

でも、頭の中では、やる気はあるのに動けないことの悔しさが毎日のように襲ってきて、今までのように、治るまで安静に。みたいな諦めに似た静かな気持ちにはとてもなれない。悔しい、時が惜しいと。

心が燃えているんだ。

いいと思う。その意気だ、勝ちに行くのは今だ。
この20年間の戦いに決着をつけよう。

現代の医学では治らないと言われてその言葉を過剰に信じすぎていた自分は、もっと自分の中の潜在意識にある無限の可能性を強く信じていくべきだ。

無理はしない。けれど、やるべきことは全部する。
日光浴とキックボクシング。服薬も指示通り飲む。

で、治る_φ(・_・

失った20年は、振り返れば大したことなかったと言えるようになるだろう。

どんな過去でも愛して、未来にワクワクしたいな!

やりたいこと全部やって笑って死にたいやん✌︎('ω'✌︎ )
人生、結局はそれめざすしかないね、お嬢ちゃん!

失った20年は、いつかなかったことにする。

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