見出し画像

#011 理系で高成績なら本当に選択肢は多いのか?--理系各員に捧ぐ

本シリーズは、①勉強頑張ったら選択肢が増える、②理系かつ高成績の方が選択肢は多い、③選択肢が多いと良い会社に入れて幸せになれるというよくあるお話の②まで必死で頑張ったものの、③は半分嘘である。ということに気付いて四苦八苦した私が、理系が気付かぬうちに罠にハマらないために、考えて損のないだろうトピックを書いていくものである。

今回は序文の②、理系かつ高成績なら選択肢は多い、は本当か?というテーマで書いてみる。

②の前提となる①は明らかに真だ。よく言われる言葉に合わせて「勉強」としているも、ここで意味したいのは「学習」に近く、自発的学びというのが1番正しい。ものを知らねば、そもそも選択肢に挙がらないし、知って選択した上で学べば深まる。

では②はどうなのだろう?このあたりに関して、実際の卒業後進路と、その人の人柄などから見えたヒントを整理しておきたい。

理系の成績は片輪

先に答えを。理系かつ高成績なら、大抵の人は確かに選択肢を多く持っている。就職する場合、希望する会社のうち何社からも内定を獲得していることが多い。アカデミアに残る選択も、成績(∋学問内容の理解)がそれなりにないと不可能だ。学問優秀で研究の才があれば、研究所などに勤める選択も可能だ。

日本は理系学生が需要に対して少ないので、会社勤めをする場合、成績が少し足りなくても大丈夫なことが多い。ただ、自分の希望に対して選択肢が削れている場合、コミュニケーション能力や世の中の認知に問題があることが多い。

私は学士時代、様々な成績レンジの友人がいた。成績順位で1桁〜上位2割以内の人ばかりが集まってるグループ、平均あたりのグループ、グループの半分くらいの人が留年したグループなど、いろんな友人と楽しい時を過ごした。その彼らの性格や学業への取り組み、その先の進路からヒントをもらおうと思う。

優秀グループは、大抵がさほどの苦労なく進路を決定した。そこから漏れた友人Aは、就活でそれはそれは落ちていた。彼は、私たちの友人グループのLINEを突然抜けたりする。前まで仲良く話していたのに、最近話しかけたら、初対面の他人のような対応をされた。聞く話によると、私以外の友人にも似たような対応をしている。

実は、このグループには成績最底辺のBくんがいた。BくんはAとは対照的な人物だ。成績は低いが、自分の生き方というのをはっきり決めていて、コミュニケーション能力は抜群だった。Bくんは、学士卒業で超大手金融機関に就職した。

結局人がどう感じるかで決まる

Aくんは専門外の科目で、ハイレベル科目を取っていた。時間割が被って、取るべき専門の基礎科目が取れていなかった。Aくんはテスト期間、グループから離れていた。成績は悪くないが飛び抜けて良くもなかった。

俺はお前らとは違う。Aくんの行動から、私たちはこのメッセージを受け取っていた。

人は人との関係の中で、幸福を感じるようにできている。どんな人も、気持ちよく過ごせる人と過ごしたいに決まっている。企業に仲間入りする場合も、自分が起業して仲間を探す場合も、選択肢が増えるというのは、社会に居場所となる可能性がある場所が多いということだ。

優秀なら引く手数多だが、優秀という言葉は成績と同じ意味ではなく、人とのやり取りも上手で成績も良いという意味なのだ。

まとめ

今回は、理系かつ高成績なら本当に選択肢は多いのかというテーマで話した。周囲の人を見ている限り、理系の希少性も相まって成績が良い人はほぼ十分に選択肢を持っている。そこから漏れる人は、世の中の認知やコミュニケーション能力に問題がある。特に、結局人がどう感じるかが、選択肢を作るもう片輪になっていることを見落としている人は、大変な思いをする。

次回は、成績が良い人と悪い人は何が違うか?というテーマで書いていきたいと思います。ここの違いは、かなりクリティカルにあるにも関わらず、あまり語られることがありません。次回もよろしくお願いします。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?