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ジェンダーと子育て

友人から勧められて「もしもし世界」というポッドキャスト番組のジェンダーの話の回を聞いた。

言葉を扱う仕事をしていたこともあって、結婚したときにもまず調べたのが「主人」「旦那」という呼び方についてだった。入籍した日から私は必ず公の場で話したり、書いたりするときには「夫」という言葉を使うようにしてきた。(友達と話している時にはつい旦那と言ってしまうこともあるのだが…)

だから自分はジェンダーには気を使っている気でいたけれど、これを聞いて無意識に娘にピンクを選んでいたり、気づかずにやってしまっていることが多いことに反省してしまった。そして働く女性たちはいくら忙しくても「家事はちゃんとやってね」と言われるという話を聞いて、うちの家事を全て私がやっている姿を「当たり前のこと」として子どもたちに見せていたことも反省したのだった。

うちは実家が共働きだったので父は料理も皿洗いも洗濯干しも普通にやっていた。父が忙しいときは母がやり、母が忙しいときは父がやる。それが当たり前だった。我が家も子どもが寝てから帰ってくる夫がやるよりも、家にいる時間の多い私がやった方が効率的だからいつも私が全てやっているけれど、時々私が忙しいときには家のことは夫がやってくれる。でも、それは本当に時々のことで、子どもたちの目にはきっと「家事はお母さんがやるもの」と映っているに違いなかった。

基本、子どもたちには「人生の中で共に過ごす時代を一緒に楽しく過ごすこと」くらいしかできないと思っているので、あまり「育ててあげる」みたいな気持ちはないんだけど、こういう「育った環境」とか、それによって形作られる「価値観」みたいなものにはちゃんと責任を持っておきたいなと思う。

彼らが大人になるときにはきっと「夫婦当たり前に家事を分担し、お母さんも自由に仕事をする」というのがスタンダードになり、「お母さんは仕事がどんなに忙しくてもちゃんと家事をするもの」というのは時代遅れの価値観になっているのだろう。その時に時代遅れのカチカチの頭をプレゼントする訳にはいかないと思った。私は自分自身が専業主婦に憧れがあって、子どもが小学生になったら家にいられる体制にしようと家で家事も仕事もしているけれど

それは私が自ら好んで選んだことだ。息子が未来のパートナーに求めるべきことではないし、娘がお手本にするべきものでもない。私たちにはそれぞれ選択の自由があって、どれでも選択できるようになっている(はずだ)。その時がきたら、その自分たちの好む選択肢を自由に選べるように、子どもたちには二人とも家事をする力をつけておきたいと思った。

そこまで思考が進んできて、思い出したのがタンザニア の村の子どもたちだった。子どもたちは「お手伝い」ではなく「家族の一員」として当たり前に家のことをやっていた(逆にお父さんはやってなかったけれどw)。ジェンダーの話だけでなく、お母さんもお父さんも子どもたちもみんな一緒に生活する中で、家族の一員として、できる人ができることをやるというのが自然だという形を作っていけるといいな。そしてそれを始めるには、まだ「お手伝いやりたい盛り」の今がチャンスなのかもしれない。



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