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いざ、2021

2020年

2020年を迎えたその瞬間は、初めてだらけだった。

初めて、千葉で、一人、ホテルの一室で新年を迎えた。

ノルウェー出発を翌日に控えていた。

今考えてみると、2020年を迎えたその瞬間から、すべては初めて尽くしだったわけで、その後たくさんの初めてを経験し、文字通り”新たな”一年になる、ということは、あのときから決まっていたのかもしれない。

1~4月 ベルゲン留学

1/2に成田を出発し、長い長いフライトの末(デンマークでの乗り換えでの猛ダッシュの末)、ベルゲンに到着した。

「日本からこんなに遠く離れた場所にも、“街”があり、そこで生きる人たちがいて、そしてその人たちも我々と同じように国家や社会を形成しているのか」

なんて当たり前のことを。

そう思う人もいるかも知れないが、それが飛行機の窓からベルゲンの夜の灯りを初めて見つけた時の感想で、このときのことは今でもものすごく鮮明に覚えている。

日本から飛行機で11時間もかかるその地にも、同じように街の灯りがあって、空港という建物があって、その窓から見える人々の生活があることにとても驚いたのだ。

そうして始まったベルゲン生活。

街行く人は見慣れない顔立ちをしていて、当たり前に日本語が通じなくて、その代わりにどこか陽気なメロディにのったノルウェー語が周りから聞こえてくる。そんな環境に毎日ワクワクしていた。

寮の部屋はキッチンとリビングをシェアする形の部屋だったので、フラットメイトが7人いた。

オランダ、ドイツ、フランス、チェコ、スロバキア、ウクライナ、中国。

こんなに多様な国の人たちと生活を共にするのはもちろん初めてで、毎日が発見、驚き、わくわくの連続でとても楽しかった。

コロナであまり家の外に出られなくなった時も、みんなでヨガをやったり、ボードゲームをしたり、ハイキングに行ったり、毎晩のように一緒に映画を観て過ごした。

そんな家族のような友達との生活では、よく互いの国の話をした。

「日本語では寝る前の挨拶はなんて言うの?」

「チェコでは、ムーミンに出てくる赤髪のキャラクター(日本では”ミー”と呼ばれるキャラクター)の名前は“マイカ”っていうんだよ」

「オランダ語と日本語では”おてんば”って単語は意味も発音も全く同じなの!!?」

そんなたわいない日常の違いから、

「セクシュアルマイノリティの友達は普通にどのクラスにもいたよ」

「国際女性デーのマーチは僕の国でも有名だよ。まだまだ女性の権利を訴える必要はあるからね。僕はフェミニストだし。」

「え?日本ではピルにお金かかるの? じゃあ避妊シールとか避妊注射はいくら?」

そんな日本との大きな違いを痛感する話まで。たくさんの話をした。


こんなこともあった。

私が“いつものクセ”で、ちょっと冗談っぽく自虐をすると、

「そうやって自分に厳しくしないで。そんな風にマイカが自分のことを言っているのを見ると私はとても悲しくなる。だからやめて。そのままのマイカでもうスペシャルなんだから。I love you.」

そうやって悲しそうな顔で、真剣に伝えてくれた。

生まれて初めての言葉に私は、いつもちょっと泣きそうになりながらその暖かさを抱きしめていた。


そして、4月23日。最愛の”家族”に見送られ、帰国の為にベルゲンを発った。


5月 隔離生活

いとおしいたくさんの思い出たちと、”家族”から受け取った大きな愛と自信と共に帰国した私だったが、その後すぐに足元をすくわれて谷底に突き落とされたような気持ちになった。

「新型コロナウイルス感染症に対する水際対策」

気味の悪いくらいにがらんとした空港内を歩き、PCR検査を受け、隔離生活を送るマンションへ移動。(海外からの帰国者支援としてマンスリーマンションを隔離の間の2週間だけ貸し出すプランを使用したので、ホテル滞在は回避できた)

そこで必要最小限の外出のみで2週間を屍のように過ごしたのち、地元に帰るも、

・まだ地元の町ではコロナの感染者が1人も出ていなかったこと

・当時は海外からの帰国者への風当たりも多少強かったこと(帰国後のPCRでは陰性だったものの、これで実家に帰ったあとにコロナ陽性などと診断されたら…ととても怖い状況だった)

・同居している家族がコロナに絶対にかかれない事情があったこと(中度の喘息もち1人+病院関係者2人)

などの理由から、東京から北海道に帰った後も、自主的に約2週間の隔離を行っていた。

もはや屍でしかなかった。

2,3か月ではあるがコロナで帰国が早まったこと、出発前に思い描いていたような留学生活ではなく、ベルゲンでやりたいと思っていたことも何一つ達成できず帰ってくる結果になってしまったこと、なかなか治らない時差ボケ、誰にも会えず、外にも出られない隔離という状況。

色々なことが重なって隔離中の1か月は結構な鬱状態だった。

6~9月 アスパラ・ブロッコリー生活

隔離生活の最中はストレスから過食に走り、体重が5,6キロ増えた。(なんということだ。笑)

特に痩せたい願望みたいなものはあまりない私(My Body, My Choice大事。)だが、このときは全く動かない×過食(食べることしか幸せがない)で非常に不健康な太り方・肉の付き方だったので、運動を兼ねて、かねてより考えていた農業バイトを始めた。

朝は6:30に起きて準備をし、7:45~17:15まで一生懸命アスパラやブロッコリーを収穫、帰宅後すぐに犬を散歩に連れていき、シャワーを浴びて、ストレッチをして、夕食を食べて、ちょっとゆっくりした後、夜10:00すぎには寝る。というような超健康生活が続いた。

豊かな自然と、色々な世代・バックグラウンドの人たちと一緒に仕事をしていく中で、隔離中にすさんでいた心は癒え、留学中に感じたこと、これからやりたいこと、自分がどう生きていくかなどをゆっくりゆっくり、何度も考えることができた。

小中高大とストレートに進学し、バイトも学生の多い居酒屋で働いていた私にとって、農業生活で出会った人たちはとても新鮮に映ったし、ゆっくりとした豊かな時間の流れはとても幸せだった。


10月~ 大学復帰

後期が始まるタイミングで日本の大学に復学した。

オンライン授業が大半なので、大学に行かない分、自分の時間を使えることはとても私に合っている。

留学前にあれほど気にしていた他人・同級生の視線も、ウソのように気にならなくなった。

私は私のやりたいことをやる。

自分が心地いいと感じる選択をする

そうやって生きる自分を、好きになることができた。

そして、それを応援してくれる人たち、いいね!って言ってくれる人たち、一緒にやろう!って言ってくれる人たちにも、たくさん出会えて、今わたしはわたしの道を歩きだしている。


2021年

2020年。

色んなことがあった年。

あまりいい思い出のない年だという人も多いと思う。

たしかにそう感じることも多い。

けど、私は、私にとっては、この2020年は確実に大切な年だった。

この2020年を超えていく、2021年へ。

いざ。

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