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知覧特攻平和会館に行ってきた

Instagramのストーリーズで見守っていただいた方もいらっしゃるかもしれませんが、九州一周一人旅をしてまいりました!🚗

中でも特に行くのを楽しみにしていた『知覧特攻平和会館』

小さい頃にそこがどんな場所なのかの話を聞き、いつか行ってみたいと思っていました。

今回訪れることができたのは、2023年4月19日。
ちょうど78年前の今頃、まさに特攻作戦が本格化し、多くの若い"特攻部隊"の方々が日本の未来のために命を犠牲にされた時期と重なっていました。

特攻作戦とは、重さ250kgの爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして沈める、パイロットは必ず" 死ぬ・亡くなる" という『必死』条件の作戦・・・。

引用: https://www.chiran-tokkou.jp/summary.html

この会館には、1,036名の特攻部隊の遺影、そして多くの遺書、遺品が保管されています。

三角兵舎(復元)-特攻隊員たちが出撃するまでの起居していたところ-

家族、恋人、地元の子どもたち、に宛てた直筆の手紙には、
今まで育ててくれたことへの感謝や
自分は国のために戦えることを誇りに思っている、
悲しまないでほしい、お母さんも誇りに思ってほしい、
婚約者に対して、本当は無性に会いたいと。
それぞれの想いが込められており、書いた方はもちろん、この手紙を受け取った方はどんな気持ちになったのだろうか。
もし自分がその立場だったら・・・。

本当に心が痛くなりました。

※館内にある遺書がHP上で公開されていたので気になる方はこちらもご覧ください!https://www.chiran-tokkou.jp/digital_archive/10

手書きであることや、内容は漢字とカタカナで書かれており、現代語訳を見ずとも理解できるもので、それらを見ると、不謹慎な気持ちかもしれませんが、第二次世界大戦がドラマや映画の世界ではないことの実感が湧きました。

直筆の手紙のほかには、寄せ書きがされた日の丸のハチマキ(布)や特攻時につけていたと思われるゴーグルや帽子が展示されていました。
とあるハチマキは、特攻部隊の方が頭につけているのを発見したアメリカ兵の方が、必ず遺族に返そうと、とっておいてくれたとも説明がありました。

それほど、この特攻作戦は日本だけでなく敵国にとっても大変ショッキングな作戦だったのではないでしょうか。


大刀洗陸軍飛行学校知覧教育隊・門柱(復元)

そもそもなぜ、特攻作戦は行われたのか。

1941年12月8日ハワイの真珠湾攻撃をきっかけに太平洋戦争が始まり、日本軍は東南アジアに侵攻、しかし、態勢を立て直した連合軍の攻撃に押され、日本は防戦一方になってしまった。
1945年初頭には、日本各地で空襲を受けるようになり、いよいよ日本全土が苦戦を強いられるようになった。
当時の日本政府は、本土防衛の拠点を沖縄に定め、その最前線を守るために行われたのが、「特攻作戦」だったそうです。

この段階では、圧倒的な物的戦闘力に勝るアメリカの進攻を阻止する日本軍としては、兵士一人一人の精神力を武器とした特攻戦法しか他に手段がないとの結論に達したのでした。

引用: https://www.chiran-tokkou.jp/background.html

恥ずかしながら、私は中学校以来歴史の勉強をろくにしておらず、うっすらとした記憶のみ残っているだけでしたが、とあるご縁から最近日本の歴史についてを学び直す機会がありました。

(なのでここに書いてあることも、今回の旅で学んだ歴史の一部と私の解釈であり、他にも様々な事実や考えがあるかと思います。ですので、単なる一意見、として読んでいただきたいです。)

"お国のために"という言葉が印象的なのと、これまで得てきた情報から、なんとなく私が持っていた戦争中の日本のイメージは、勝つために犠牲をいとわない、国民全体が洗脳状態だったというものです。

でも、今回知覧特攻平和会館に行き、少し、本当にそうなんだろうか?という気持ちが生まれました。

特に印象に残っているのが「ほがらか隊」という写真。


(館内撮影不可だったので、パンフレットからにて失礼します。)

こちらの写真はなんと、特攻命令が出て、"明日"特攻する方々を朝日新聞の記者がたまたま声をかけて撮った写真とのこと。

明日、特攻に行くという状況で、(つまり、どういうことを意味するのか、、書くのはあえて避けますが、、)こんな風に穏やかに朗らかな表情を自分だったらできるんでしょうか?

どんな精神状態だったのか。もはや想像することもできないですが、
特攻するということは、
自分の家族、友人、恋人、子どもたちにまで被害が及ばないように
そして日本の再建を祈り、未来に期待して
自分の命に変えてまで守りたい、というその気概。
今の日本人は到底持つことができるものではないのでは、、と思ってしまいました。

1,036名の戦士たちが尊い命をかけて守ろうとしたものが、今に繋がっています。

2023年の今、確かにたくさんの課題や苦悩はあるけれど、比較的自由に生きられて、職が選べて、美味しい食べ物も食べられて、海外にもいけて、、、というこの状況、今の日本に平和があることを当たり前だと思わず、感謝しないといけないし、この歴史を忘れてはいけないなと感じました。

しかし、歴史を改めて学び、さてじゃあ今の日本は。と考えた時に、
見るところを絞ると、決してこれからもずっと平和とか、絶対に安全安心安泰、とかは言える状況ではないところまで来ている気もします・・・。

何が正しい情報で、何を信じていけばいいのかも分かりにくくなっている中で、
ちゃんと自分だけは信じられるように、色々な選択肢とか考え方とかを持っておけるように、学ぶ姿勢を忘れずにいようと感じました。
(というか、いまさら大人になって学ぶのって楽しいと思ってきました😅)

学んでいると、色々とゆがみなどが見えてくる部分もありますが、私はまだそれに立ち向かったりみんなで声を上げることを伝えたりできるほどではないかなと思ってしまいます。

ただ、思うのは、
なんとなく、個人、企業どちらも、自分さえよければいいと考えてしまったり、
さまざまな課題や、少し前まではドラマの中でしかなかったような事件などが実際に起きていたり、ちょっとずつ優しさが少ない世界になってきてるんじゃないかなと思います。

そんな中で、1つだけ言わせてください・・!
もしこの投稿を見てくださってる皆さん、
少しでいいので周りの人に優しさを与えませんか!(いやすでに与えてる方もいっぱいいらっしゃいますし、私も与えてもらってます。偉そうにすみません、、)

"優しさを与える"っていうと、たいへん大袈裟に聞こえてしまうかもしれないけれど、
感謝や愛を伝える、ハグをする、料理を作ってあげる、
ゴミを拾ってみる、席を譲ってみる、店員さんにありがとうって伝える、、、など
些細なことでいいです、あなたにできることはたくさんあると思います。
そしてやってみたら、そこには優しい世界線が広がるし、なによりあなた自身が満たされると思います!!

綺麗事を言いたいわけではありません、
でも、その優しさを一人一人が、どこかで忘れず思い出して行動にうつせたら、、、。

九州旅行している時、1人の私に声をかけてくださった老夫婦の方々、熱すぎる温泉に引いてたら入り方を教えてくれた親子、
わたしの友達は「まわりが幸せに働くにはどうしたらいいか」って悩んでる子もいて。
歪みもあるけどしっかり優しさ(愛)を持ってる人はたくさんいて、
それらは広がりを持たせることができると信じています!

特攻部隊の皆さんのように、命をかけてまで、というところまでは到底できないかもしれない、
でも、皆さんが守ってくれた日本に生きる人間として、何ができるのかをこれからも考えていきたいし、私も愛を持って生きていきたいと思います!

ちょっと熱くなってもたし、超大作すみません!

『知覧特攻平和会館』
〒897-0302鹿児島県南九州市知覧町郡17881番地
HP: https://www.chiran-tokkou.jp/barrack.html

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