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連載小説「ミズサワさんとフジムラくん」#1

あらすじ
神奈川県西端部に位置する百舌鳥半島(もずはんとう)東岸中部の町、百舌鳥市(もずし)。ここ百舌鳥市中部にある百舌鳥高等学校ひよどり分校は生徒数減少に伴う市内高校再編成のために廃校を目前に控えていた。
この小説は現在同高校に通う最後の二名の生徒、水沢ヒナと藤村ヨシキの終わりゆく日々の戯れを描いたものである。

Chapter1天国の入口はいつも地獄

 「水沢能力開発センター」とは僕の所属する学校非公認の同好会の名である。設立者であり会長である同級生の水沢さんが考案したコーチングプログラム(潜在意識への働きかけ並びにハイヤーセルフとの対話)を通し、ワンネスに至ることを目的としている。会員は僕と水沢さんの二人のみであり――僕自身に入会した覚えは全くなく、知らぬ間に、気づけば、勝手に、この同好会の一員に組み込まれていた――日夜活動に勤しんでいる。
 
 そんなわけで、今日も今日とて水沢さん主導の元、放課後の空き教室にて特別コーチングプログラムが実施された。と言っても結局は僕と水沢さんの二人しかおらず、水沢さんが一方的にコーチングをし、僕がそのコーチングを一方的に受けるという毎度お馴染みの構図であった。
 今日のプログラムの内容は水沢さんが咀嚼し口の中で十分に溶解させたチョコレートを吐き出しそれを僕の手の甲に塗布するというものだった。
 両手だ。
 水沢さんは人差し指と中指で僕の手の甲にチョコレートの成れの果て――水沢さんは「エターナルチョコレート」と呼んでいた――を丁寧に塗り込みながら、トゥインクル、トゥインクル、リトルスター、トゥインクル、トゥインクル、リトルスター、トゥインクル、トゥインクル、リトルスター……などと歌を口ずさんだりしていたが、その歌がプログラムの一環のものなのか、上機嫌ゆえのものなのかは僕にはわからない。
「つまりはね、幸せのおまじないだよね。藤村君の両手をチョコレートでコーティングすると――あっ、コーチングとコーティングをかけてもいるんだけど――その甘い香りに誘われて幸福さんが藤村君の両手に寄ってくるって寸法だよね。花の蜜を求める蝶々のようにどこからともなくやってきた幸福さんが藤村君の両手を満たして……すると、どうなると思う?……ハイヤーセルフと繋がれるよね。ワンネスにまた一歩近づくんだよね。――素敵だね。」
などと、チョコレートを手に塗り込むことによって、いかにワンネスに至れるのかという意味不明な理屈を聞かされる。幸せのおまじない、とは言うが、少なくとも塗り込まれてる間の僕の胸を満たした感情は「不快」の一言に尽きた。
「その顔、訝しんでいるんだね。……藤村君はいつもそう。結果を急ぎすぎるんだよね。急いては事を仕損じる、だよね。天国の入口ってね、いつも地獄なの。一段一段不快の階段を登った先に快感の海原が広がっているの。そういうものなの。――素敵だね。」
穏やかに、諭すように水沢さんは謎の持論を語るが、そもそも天国も快感も求めていない僕の心にはピンとはこなかった。
「それなら藤村くんは何を求めてるの?」
 水沢さんはコーティングの手を止め、目を丸くし、僕に聞く。
 何も考えていなかった僕はなにも答えることは出来ず、固まる。
「ふふふ。冗談だよ。大丈夫なの、全部大丈夫だよ。藤村君が求めているものは私が知ってるから、大丈夫なの。――素敵だね。」
 そう言って微笑む水沢さんは、チョコがついたままの手で僕の頬を優しくさすり……それから、なんのためらいもなく平手打ちをした。
 ぱちんっと気持ちの良い音が響く。
 チョコレートの飛沫が、宙を舞う。
 不思議と痛みはない。
 教室に風が吹き込んでカーテンが揺れていた。心地よい風だと思ったが、パンツ一丁では少し肌寒い。
 ビンタの意味、僕の置かれた状況、水沢さんの目指すワンネスとやら、それらすべてが僕には一切わからなかった。
「――素敵だね。」

 それから何事もなかったように、水沢さんは塗り込みに使った自分の人差し指と中指を鼻に近づけて、わっ甘い香り!と言って一人ケラケラと笑い出した。僕はチョコレートでテラテラと茶色く光る自分の両手を見ていた。まるで獣の手のようで気持ち悪いなと思うが、同時に今までの自分とは違う存在になれたような気がして晴れやかでもあった。
 えいっという水沢さんの悪戯めいた声がして、気が付けば人差し指と中指を鼻の穴に突っ込まれていた。
「実はね、昨日今日と歯を磨いてないの、だからさっき歯垢を爪でこそいだよ。それをチョコレートに混ぜ込んで一緒にプレゼントだよ。」
 下品極まりない行動ないし言動をするときの水沢さんは本当に生き生きとしていて、無邪気に笑う。その笑顔が少し羨ましく思えた。
 指を引き抜かれたあと、丹念に鼻の穴の入口に指を擦りつけられ、瞬く間にチョコレートの甘い香りが鼻の中に広がった。
「チョコの匂いの裏に隠れた私の歯垢を感じれる?これもまたハイヤーセルフとの対話だよ。ところで今どんな気持ち?」
「……チョコの匂いがすごすぎて歯垢は感じれないよ。僕にはまだまだハイヤーセルフがよくわからない……今の気持ちは、チョコの中に水沢さんの歯垢が混ざってると思うと正直吐き気がする。でも同じくらい興奮してる自分に驚いている。」
 そう伝えると水沢さんはまたも屈託なく笑った。
 切れ長の目が一重の美しい直線となる。
「藤村くんは着実に光に近づいているよ。ねえ、藤村君。私達もっとこういうことしていこう。私達だけは死ぬまでこういうことしていこう。それで二人でワンネスに至ろう。」
 水沢さんはそう言って僕の左手を取り、手のひらに向け唾を垂らした。吐き出された唾液はほぼ透明でそれでもチョコのまだらが少し混じっていた。
「ギュって、手をギュってして。それでまた開いて。そう、むすんでひらいて。ニチャニチャする?ニチャニチャするでしょ?良いニチャニチャだよね。この感覚を忘れちゃ駄目だよ。」
 水沢さんは自分のつばでニチャニチャの僕の手をためらうことなく握った。白く細い指が僕の茶色い指と絡まる。水沢さんが手に力を入れるたび、ニチャニチャがもっとニチャニチャになって二人の手の皮膚の境界をなくしていく。
「なんか二人の手が一つに溶け合っていくようで、最高にワンネスだね。」
「そうだね。」
 カーテンが揺れていた。
 心地よい風だと思ったがパンツ一丁では少し肌寒い。
 水沢さんの唾のニチャニチャはとても暖かったが、その奥にある水沢さんの手は異様に冷たかった。
 そのことが印象的だった。

つづく

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