あるウォーキング


ある ウォーキングの時の風景
久しぶりに出来事を書く、なんのことはない、ただ素敵な出会いがあった、僕は休みの夜に街を歩く、決まったコースはないものの体を動かしたいのと風景を目でみたいという欲求がある、無論仕事をしたくないし、タクシードライバーは楽しいが苦しさもあり、嫌になっている所だ、それでもやらなきゃならないし、なんともだ、まあ今日はそんな気分で急な坂道を普段通り歩いていた、一人で気ままになんなら人に会いたくないという気持ちで、目の前に新築の家が見えた。
「もう2軒たったのか?」
工事中だった家に人が住みあかりがついて車まである、ああ時の流れはなんちゃらと思いつつ、なんだか恥ずかしさが込み上げた。坂道をずんずんと歩くと小学校と老人がいた、
小学校は夜という時間帯もあり不気味に写っていた、門から給食室まで幽霊が出そうだった、老人は小学校を見て写真でも撮っているのか?不審者に見えた、無視して歩くことにして老人の横を歩いた。
「早いですな。」
「は、はい。」
「どこまで行かれるのですか?」
「上のカフェまで。」
そうこういう出来事はむしろうれしい、僕はこの人と一緒に歩くことにした。
「ああ、あそこですか?いいですな。」
「こういう日じゃないと歩けなくて。」
「そう、気持ちがいいよね、どちらに行きますか?」
たまたま行く方角が同じだった。
「あちらに。」
「お先にどうぞ。」
「ありがとうございます、ウォーキングは何年ほど?」
「ええともう50年になります30から始めたので」
「そんなにですか、すごい。」
「お年はおいくつですか?」
「85になります。」
「お若いですね、見えない。」
「いやいや、妻が死んで17年、今は一人でやっとります。」
老人が本音を語り出した、僕はただ聞いた。
「  そうなんですか、さびしくないですか?」
夏の夜男が二人いるだけなのだから隠すものなどないのだ
「いやいや孫がいるからもう、あとはあちらに行くだけで。」
「人生って大変ですね、なんでこんな大変なのか?」
「ほんとにそう、一人の大変さも複数の大変さも同じなのにね、それにしても妻が最後亡くなる直前診察券を隠していた、なんでもっと早く気がついてやれなかったのか。」
「ああ、そうなんですね。」
この人には、多分もう怖いものはないのだ、だから僕に話しかけてくれたのだ。
ああ気付かされた
「しかし早いですね、」
「いやーここに住んでいると足腰鍛わりますからね。」
「そうだよねー30メートルぐらいしか直線ないからね。」
だいたいこんな会話だった気がする、ああしかし気付かされた、僕は普段見たり聞いたり感じたりしたことを文章にする、それは無論楽しいからだし自分のためでもある、けれど
そのことでプライドが育っていたのもある、清々しさとは正反対、この老人のように、人を受け入れる心というか、態度というのを忘れていた。
「いやー楽しかったーありがとうーさようならーーー。」
「ありがとうございましたー。」
夏の夜の風景はこんな感じで過ぎていったいろいろあってもそれはそれ。
普段フォロワーや見てくれる人、作品の長さを気にしすぎていた、当たり前だ
けれど大切なことは心のちいさな交流だけかもしれない。


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