見出し画像

③反省と経験から見えた希望の光

*******
<第3話>
私は力で人を制圧することを覚えてしまいました
でもそれは、力の序列を認めることにも繋がります
私の上にも強い人がいて、下に弱い人がいる
強い者には従い、弱い者には威張る
怖いと思われることが大切で、弱みを見せると自分の立場が危うくなる
知らず知らずのうちに、そういうルールの中に巻き込まれていきます

文章は、よりリアルに感じてもらうために子供目線で書いています
見にくい部分もあると思いますが、ご理解頂ければ幸いです
*******

<第1話>はこちらから ↓

*******

集金の仕組み

同じ年代では俺に逆らうものはいなくなりました
テレビのチャンネルも俺が決められるようになった
ただ少し変わったのは、先輩と同じ年代の子たちの連絡係になったこと

先輩の命令は絶対です
ただ命令はしょうもない事が多かったですね
晩御飯のデザートを全員分集めろだったり、あいつ生意気だから注意してこいだとか、そんな事が多かったです

ただ、数週間に一度やばい奴が来るようになりました

いつも来るのは夜中で、窓をノックしてきます
それは、以前「トンコ」をした先輩です

「おい、出せ」

と言われて差し出すのは、お金です
数週間に一度集金に来ます
集金と言っても、何かを買ったりしていたわけでは無いです
ただただ、お金を渡すだけです
みんなが隠し持っていたおこずかいを集めて、その先輩に渡すわけです

その先輩はめっちゃ怖くて、怒ると武器を使います
バットで殴られた人もいて、みんなはビビってました
俺もビビってた一人です

最初は数千円でも満足して帰ってくれましたが、だんだん集めないといけない金額は増えていきました
最低でも1万円を出さないと激怒します

物を売ったり、先生(職員)の財布から盗んだり、街中で恐喝をしたり
どうにかしてみんなでお金を集めて渡していました
そして、その集めたお金の中から俺の1歳上の先輩にいくらか渡していました
そして、その先輩から俺たちはジュースをおごってもらったりしていました

そんな事が続くと、お金を集めるということはそういう事なんだと思うようになりました
力があるとお金も集まる

だけど、そんなことは長くは続きませんでした
どうしてもお金を集められなかった同年代の子が先生(職員)にチンコロしたんです

その後は、仕返しが怖かったけど結局何もなく時間が過ぎ、普通の生活に戻りました

*******
この時は本当に恐怖でした
毎日お金の事を考えていて、役割分担を考えてあといくら足りない、なんてことを話をしていました
職員に告げ口をしてくれた時は、まずいことになったな・・・と思いつつ、良く言ってくれたと感謝の気持ちも感じていました

ただ、力とお金の関係は誤解することになってしまいました
それが正しい事だと、社会もそんなもんだと思い込むようになったわけです
いつか大人になった場合には、権力者が弱者から搾取をする事で大きな利益を得る事ができる、そんな風に誤解をてしまったのです

「トンコ」・・・逃げ出すこと(大阪の方便?)
「チンコロ」・・・告げ口をすること
*******

そして誰も味方はいなくなった

先輩がどんどんと社会に出ていき、俺に命令する人がいなくなりました
この頃には暴力は少なくなっていましたが、命令系統は存在していました
俺はデザートを集めたり、お金を集めることはしないし良い先輩だと自分では思っていました

何でも思うとおりになっていました

テレビのチャンネルは、命令をすると後輩が変えてくれる
何か取ってほしいものがあれば、おい、と指をさせば持ってきてくれる
通学するときには、後輩や同年代の子が俺の周りに群がり学校に行くようになっていました

俺が中学3年の時です

何か問題があったら俺に言えよ、と後輩に偉そうなことを言っていたけど、いつも問題をおこすのは俺でした

学校の先生に悪態をつく、通学路の途中の別の施設の子と喧嘩をする、物にあたるなど、自分の中から出てくる良くわからないイライラに振り回されていました

そして時が過ぎて、中学を卒業することになり、俺以外は社会人になりました
俺だけ工業高校に行くことになり、同年代の取り巻きは1人もいなくなりました

工業高校に入学して、友達が出来ました
一緒にアルバイトをしたり、遊びに行ったり
恋人も出来て、結構最初の頃は楽しんでいました

ところが、友達付き合いがうまくいかず、恋人にも振られ、学校の先輩から目を付けられ、理由は忘れましたが停学処分も受けて・・・

色々とあって、退学をして夜間に編入することにしました

その時に気付きました
もう誰も友達がいない

施設にいた仲間も、学校の友達も、誰も俺の周りにはいない

*******
この頃は、周りから人がいなくなるその理由に気付いていませんでした
いつの間にか、自分さえ良ければ良いという考えになっていた事に
自分の身を守ることだけを考えて、人を寄せ付けず気に食わないことがあれば牙をむく、そんな自分に気が付いていませんでした

高校1年生のときに友達から中古のパソコンを買いました
たしか、2万円くらいだと思います
その当時だと破格な金額で売ってくれました
それが後々生きてきますが、この時はまったく考えていませんでした

*******

働くということ

退学をして、施設も出て就職することになりました
就職先は、同じ施設出身の仲間から紹介してもらった消防設備士の会社です
消防設備のメンテナンスや工事が主業務でした

就職する際には、今までの自分自身に疑問を持っていました
人とのコミュニケーション能力が低いと思い、もう一度きちんと学ぶ姿勢で仕事に臨みました
馬鹿にされないように、見下されないように、施設出身という事はなるべく言わないようにして仕事をしていました

2年ほど経つと、仕事に必要な免許を取り始めます
消防設備士の免許ですが、人生で初めて勉強をして1つ取得することが出来ました
消防設備の免許は1~7類まで設備ごとにあり甲・乙合わせると12種類の免許があります
そのうちの2つほど取れて、自動車の免許を取り、自分がリーダで仕事に行くようになると、また面倒な性分が出てきます

自分が取れた免許が、取れていない先輩がいるのを小馬鹿にしたり、年上のアルバイトの人と現場に行くことが多いのですが、見下して命令をするようになっていきます
時には威嚇するようなこともありました

しかし、仕事だけは(自分なりに)真面目にしていて、勉強も通勤の電車の中で本を読むなどして知識を詰め込む努力を続けていましたので、電気回路の基礎的な知識はこの頃に養われていきます

就職した会社ですが、業績があまり良くありませんでした
気の合う先輩と、どうすれば会社がもっと良くなるのかを話し合って、心を込めたサービスを提供しよう、であったり、資料を作成して均一のサービスを提供しようなど、考えて少しずつ実践をしていました

ところが、反りの合わない先輩と衝突をして暴力沙汰になってしまいます
私も言い分はありますが、手を出してはダメですね
そんな事があり、辞表を出しますが創業者の計らいで、グループ会社に入社することになります

グループ会社は、さらに業績が悪くて給料も安くなりました
ただ、創業者の計らいもありましたし、このグループ会社に恩も感じています
17歳から働き始めて、この頃は28歳なので勤続10年以上
愛社精神も芽生えていましたので、なんとかこの会社を良くしたいという気持ちでビラを配ったり、したことも無い営業をしたりしていました

そんな中、東京のあるお客様と出会います
セキュリティの商社でした
関東で大きな製薬会社のセキュリティの仕事を頂き、経験の無い仕事でしたが仲間の力を借りて、なんとか手探りでやりきる事が出来ました

その時に頂いた言葉「ありがとう」という言葉が私の世界を広げてくれました
今までは給与のため、会社のために働いてきた私でしたが、喜ばれたことが率直にうれしいと感じました
そしてこの時、今後も感謝をされる仕事をしたいと強く思います

それから東京に出てきて数年
細かいところは伏せておきますが、2010年経営を引き継ぐことになります
その1年後に「東日本大震災」が起こります

今後どうなるか分からない日本経済
会社を守りたいという思いで経営者の勉強会に参加しました
その時に理念というものが企業には必要だと知り、今までの事を思い返して本当に自分がしたいことが何なのかを考える機会を設けました

家族、施設の仲間、金、力、仲間とやり遂げた仕事、お客様から頂いたありがとうの言葉

全てがようやく1つに繋がります
その時、希望の光が見えた気がしました

私たちは、電気製品を操造する技術集団として
「仲間の居場所(活躍の場)」と「社会のありがとう」を
共に創造します

勉強会の仲間の力を借りて、この理念が生まれました
その時から、社員と共にこの理念に魂を吹き込んでいくために活動をしています

*******
終わりに

私は、被害者なのか加害者なのか良くわからない人生を歩んできました

何度も自分のせいで、人の人生を狂わせてきたのでは無いか、いや今もその真っ最中なのでは無いかと考えてしまう時があります

でも、過去は振り返り反省することはできますが起きた事実を変える事が出来ません
もし、過去を変える事ができるとすれば、その意味合いです
人を恨んだり、過去を嘆いているばかりでは、自分自身も家族も仲間も幸せにすることは出来ません

明るい未来を信じて仲間と共に、少しずつでも一歩また一歩と前進を続けることが大事だと考えています


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?