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①大好きだった血のつながりの無い母

優しい母

私が大好きだった母は、5歳の時の記憶の中です
かわいい妹が2人いて母がいて、怖い父がいて・・・普通の家族だと思っていました

その後、児童養護施設に入り、そして社会に出て厳しい現実が突きつけられる事になりますが、そんな事は当然知る由もありません
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家は大阪のどこかの2階建ての文化住宅で、1階と2階は別の家族が住むような作りになっていて、僕の家は1階でした
部屋は一番奥に寝室があり、そこに2段ベットがあり夜になると両親が寝る用の布団をベットの横に敷き、みんなで寝ていました

父は優しいときと怖いときの差が大きく、怒るときは暴力をふるう父でした

でもそれは、僕が悪い事をたくさんしていたから
貯金箱からお金を盗んだり、友達とけんかをしたり、友達の大事にしているベッタンを盗んだり

そんなときは、決まって大きな声で怒られて、たたかれて、時には「やいと」をされました

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「やいと」といってもお灸ではなく、おそらくタバコを押し付けられたのだと思います
そのあたりの記憶は、ただ熱い、痛い記憶しかなく正しい記憶なのかはどうかは、今となってはわかりません

ただ、私の首やおしりには丸いやけどのあとが今も残っています
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痛くて、怖くて、逃げたくて・・・
そういうときは、決まって母が助けてくれました

叩かれないように、父から引き離してくれて、時には泣いてかばってくれました

だから僕は、悪い事を繰り返しました
母が守ってくれるから、甘えていました

いつも、いつも、守ってくれていた気がします
僕はお母ちゃんと呼んでいました

そんなお母ちゃんですが、気になることがありました
夜になると泣いていたり、父と喧嘩をしていたりすることが度々

泣いている姿、喧嘩している姿を2段ベットからそっと見下ろしていました
見てはいけないものを見ている気がして、布団をかぶり眠ろうと努力しました

そして突然母はいなくなる

そんなことをどれだけ繰り返したのか、何があったのか良く覚えていないけれど、次の覚えている風景は一人で家で突っ立っている記憶です

学校から帰ったときなのか、朝起きた後なのか、よく覚えていないけれど僕はひとりで突っ立っていました

妹とお母ちゃんがいない
どこかに出かけているのかな?

夜になっても帰ってこない
え?僕だけおいてどっかに遊びに行ったのかな?ずるいな
いつまで待っても帰ってこないので、明日になったら文句をいってやろうと考えてその日は寝ました

次の日になっても、お母ちゃんと妹は家にはいませんでした

そうなって初めて不安の気持ちが大きくなってきました

僕が悪い子だから、いなくなったのかな?
これは父がする「やいと」と一緒でバツなのかもしれない
バツだとしてもひどいよ・・・

次の日に帰ってきていたら、泣いて悪口を言って困らせてやろう
そう思って、ベットに入って寝ました

その次の日も、そしてその次の日も、そのまた次の日も・・・
僕の中でもものすごく長い時間お母ちゃんは家にいませんでした

この時の父の記憶はまったくありません
僕は一人でご飯も食べる事が出来ない、何日も一人でいるわけがない
だけど、父の記憶はまったくありません

お母ちゃんがいない事の不安と寂しさを感じる長い時間の中で僕の考えは「僕が悪い子」だから帰ってこないんだ

ひょっとしたらずっと帰ってこないかもしれない

ちゃんとあやまろう、あやまったら許してくれる
お母ちゃんは優しいから・・・

結局、おかあちゃんにはそれっきり会う事ができませんでした

その後、父から「離婚」をしたんだと聞かされました
そして、お前の母親は別にいる・・・

離婚の意味も分からない、お母ちゃんが別にいる?
良くわからないけど、お母ちゃんにはもう会えないんだと理解しました

だから、お母ちゃんに会いたいと父には言いませんでした

カイのおっちゃんの家とそこのお姉さん

その次に覚えている風景は、父の友達のカイのおっちゃんの家でした
カイのおっちゃんの顔は覚えては無いけれど、ものすごく優しい人だと記憶だけはあります

父と古くからの友人で、父が離婚してからその家に住むようになりました

だけど、カイのおっちゃんは家に帰ってくること無く、その家にはお姉さんがいて僕の面倒を見てくれていました

優しい人だったんだと思います
記憶はあまりないけれど

そのお姉さんはいつも疲れていました
僕のわがままをいつも聞いてくれているけれど、ため息をつく姿をよく見ました

このお姉さんは、カイのおっちゃんとどういう関係の人だろう
いつも悲しそうだ・・・

このころは小学校1年生になっていて、ランドセルを背負う事が楽しかったの覚えています
でもそれは、そんな長く続かなかったと思います
学校も行かずに、家にずっといた・・・そんな記憶があります

ある日、そのお姉さんにものすごく怒られました
それは冷蔵庫に入っていた卵を押し入れの布団の間にいれて数日たったころです
テレビで卵をあたためるとひよこが生まれるという事を知ったから

それから、そのお姉さんの記憶もありません

その次の風景は、カイのおっちゃんの家で父と知らないお姉さんと小さい男の子がこたつのテーブルの向こう側にいて、僕がテーブルのこちら側に座っている状態です

父は、「新しいお母さんだよ、この男の子は弟、お腹の中には妹もいる」
と言いました
「え?お母ちゃんじゃないよ」・・・と言ってしまった気がします

そうすると父は
「新しいお母さんと生活したいか本当のお母さんと生活をしたいか、どうする?」

もっともっと僕が小さいころの記憶の中
僕の父は、何か配達をする仕事をしていました
いつも僕は車の助手席に乗っていて
父の運転が心地よく、すぐに寝ていたことをうっすら覚えている

父は、どこに行くにも僕を連れて行ってくれて
自転車を買ってくれて、おもちゃを買ってくれて
とてもやさしい記憶もありました

父の質問は、新しいお母さんか本当のお母さんかどちらを選ぶ?
でも僕には、父と生活をするのかお母ちゃんと生活をするのか?
と聞かれているように感じました

お母ちゃんと会いたい気持ちもあったけど、それ以上に父がどちらを選んで欲しいんだろうか?と考えていた気がします

僕は迷って、お母ちゃんと生活がしたいと答えました

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今から思い返すと、カイのおじさんのところにいた女性は、おそらくカイのおじさんの彼女だったんじゃないか?と思います

彼にすごく尽くす彼女で、私の面倒を見ることをお願いされ、自分の子供でも無い私の生活の支援をしてくれていたのではないか?と考えると、いろいろと迷惑をかけたことについて、可哀そうな状況であり今からでもお礼をしたい気持ちが沸き上がります
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本当のお母さん


次に覚えている風景は、六甲山の山頂から見下ろす夜景です
六甲山はいとこのお姉ちゃんたちと一緒に来た思い出の場所で以前からもう一度行きたいと僕がお願いしていた場所
そこに父が連れて行ってくれた

すこしそこで話をした覚えがあるけれど、何を話したのか覚えてはいません

それから、島根か鳥取かよくわからない場所に車で向かいました
本当のお母さんに会うためです

車の中で父が言います
「新しいお父さんがいるけど、お父さんと呼ばなくて良いからな」
僕は当然おどろきます、新しいお父さん?

また、本当の妹と新しいお父さんの小さい子供がいる事も教えてくれました
それを聞いて、とても不安になりました
やっぱりお父さんと一緒に住みたいと言った方が良かったのかも・・・・

そこからの記憶は途切れ途切れです
ただ、記憶が無いということではなく、父の車の運転が心地よくて、どうしても眠くなってしまう

もうすこしで父とは会えないかもしれない
今までお母ちゃんも、カイのおっちゃんのお姉さんもいなくなった
今度は父だ・・・と感じ取れていました

眠りたくない・・・けど眠ってしまう

もうすぐ着くぞ、と起こされて到着したのはファミリーレストランだと思います
ただ、僕も緊張をしていてその時のことはよく覚えていません

父と僕は机のこちらがわ、机の向こうにには、きれいな女の人が座っていてニコニコした顔でこちらを見ている

父が「お前のお母さんだ」
と言いました
僕はひょっとしたらお母ちゃんに会えるかも知れないと少し期待していました・・・ほんの少しだけ

でも、やっぱり別人でした
僕の大好きなお母ちゃんには、もう会えないんだ・・・

それからしばらくして店を出て、僕は乗ってきた車とは違う車に乗りました
父は僕が乗ってきた車に乗りました

後部座席から、小さくなる父の車を見ながら不安な気持ちが大きくなっていくのを今でもはっきりと覚えています


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