小さなお店≒あたたかい家庭

次の仕事への勉強を兼ねて、
小さなお店をつくるには?みたいな本を読んでいる。

そこで思ったのは、
開業資金がどうとか、集客がどうとかよりも
そのお店を作った人がどういう経緯でお店をつくろうと思ったのかに興味を惹かれるということだ。

だいたいそのエピソードとして語られるのは、
夫婦で開業することを決めたという話。
お店を開業するまえに、夫婦どちらかの修行時代だとか、関連する会社の会社員歴があって、ようやく、意を決して、夢である自分たちのお店を持つことに決めたというもの。

お店ってなんだろう?
って考えたとき、思い浮かんだのは
家庭という言葉

小さなお店からは、家庭の雰囲気が醸し出していて、
そして、
好きになる小さなお店というのは、その家庭の雰囲気が好きなんだろうと思う。

私にとって、お店は家庭とはニアリーイコールだ。
お店の「いらっしゃいませー」は
お家へ遊びにきた人に対して「どうぞどうぞ、お上がりください」と
言われているかのように温かく響く。

また、
お店にはじめてお邪魔するときは、緊張してそわそわするけれど、
慣れて顔なじみになってくると、くつろぎを感じるみたいな感覚は
やっぱり、
幼いころ友達の家にお邪魔していたときの感覚に似ている。

前の職場のとき、よくランチでお邪魔していたカフェも、
家の近所の小さなお店たち(コーヒー屋さん、本屋さん、カフェ、パン屋さん)も、
家庭の温かみが感じとれた。
旦那さんと奥さんの雰囲気、開業にあたるまでの家族の協力や絆のようなものが透けて感じ取れるからかもしれない。
また小さなお店というのは、往々にしてそこに住む地域住民の生活に関わっているからこそ、
「私生活」というゆったりとした空気を反映するのかもしれない。

今はもう閉めているけど
父母も婦人服のお店をやっていた。
もとを辿れば、祖父母(母方)の代からのお店。
母から聞いたのは、
祖父母がお店の商売がうまくいかないとき、長居公園(競技場がある大きな公園)を歩きながら、どうしたらええもんかとふたりでしゃべってたというエピソード。
そのエピソードをきくときに、浮かびあがってくるシーン(私の頭の中の)が好きだなあと思う。
夫婦両輪でお店を守り育てようというもの
その姿勢は家庭を育むのにもどこか似ているのではないかと。

憧れの夫婦像ってなんだろう?と思い浮かべたとき
多くの人は一番身近である両親を思い浮かべるという。
(もちろん、そうでない人もいるのだろうけど)

私の両親はふたりでよく出かける。
外食するにしても、旅行するにしても。
それは、子供たちが自立してからこそ際立つのだろうが
よくふたりでお出かけしているなあと思う。

もちろんけんかすることもあるだろうし、ひとりになりたいときだってお互いあるだろうけど
ふたりでどこかに仲睦まじく出かける姿は、
理想の夫婦像だなあと思う。

大阪から東京に出てきて
自由きままに、ひとりの生活を満喫はしてきたけれど

どこかに行って、何かを感じて、何かを共有する
そんなパートナーがいれば
より豊かだろうなと、この頃考える。

ひとりの自由から
ふたりである自由への憧れを募らせ、
そのときがくるのか、こないのかわからないけれど
日々の生活を丁寧に行きたいと思う。


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