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ひよっこ雑誌編集者1年ちょっとの成長

未経験から雑誌編集者になってから1年ちょっとの成長を振り返りたい。

編集者になりたてほやほやの記事はこちら




私が編集者としている働いている雑誌はどんなものかをざっくりと

・2か月に1回発行するフリーペーパー(業界誌)

パン屋さんの味方になるような雑誌

・だいたい60Pほどの雑誌

雑誌全体で60Pほどの中の20Pほどが
広告主が用意した純広告や、カタログページ、まんがなど、データをそろえるだけ。
残り40Pほどが編集が必要になってくるページ数で、ざっくりした内訳は
20P程度が記事広告(広告主と一緒につくるページ)
20P程度が非広告で自社で企画する誌面
※広告掲載数などで多少のページ数の増減あり


広告主が絡んでくるような誌面は
営業が広告の方向性の提案や調整をして、
形にしていくのが、編集とデザイナー

広告ではない自社で企画する誌面は
チームで企画考案会議をして、どんな特集や記事をつくれば
読者のためになって、業界貢献につながるかを考えて、
形にしていくのが、編集とデザイナー

出版社ではないので、収益基盤は別にあり、
フリーペーパーは業界貢献のために発行されている意味合いが強い。
売上という指標じゃなく、返ってくる読者アンケートの声や評価を見ながら、いい企画や誌面を作るにはを日々考えています。

2か月に1度の60Pほどの雑誌をどれくらいのメンバーで作っているか


・雑誌に載せる広告営業2名
・編集者1名(私)
・デザイナー1名
以上が社内で、
社外の関係者といえば以下の方々
・カメラマンさん
・デザイナーさん
・まんが家さん
・広告を載せる企業の担当者さん
・取材協力してくれるお店の方々など

そうなんです。
社外の関係者を除くと、4人という少数精鋭?でやってます。
(プラス事務方のアルバイトさんの手伝いももらいつつ)

私の編集者としての仕事も、前任の編集者に教えてもらって、だいたい半年ちょっとくらいでバトンタッチして独り立ちしました。

私のやっていることをざっくりと説明すると

・雑誌全体の進行管理&各所への調整
・企画考案(これは複数人で)
・取材&取材現場のディレクション
・記事作って、ラフをつくり、デザイナーへバトンタッチ
・誌面の修正


ひよっこ編集者の成長の四段階

1年ちょっとの成長の記録としては四段階ありました。

第一段階:できることをふやす。
・記事を書けるようにする。
・ラフを作れるようにする
・ひとりで取材できるようにする
(取材交渉、インタビュー、カメラマンなどのディレクション)
・編集作業にあたり発生する事務作業を覚える

第二段階:雑誌ができるまでの全体の流れを把握する
・どのタイミングでどの工程が発生するのかを理解
・期日から逆算して、やるべきことを明確にする

<雑誌ができるまでの行程>
1.企画考案(それぞれの記事や企画の)
2.取材、アンケートとったり
3.編集 (記事作る、ラフ描く)
4.デザイン、修正
5.それぞれの誌面をまとめて入稿
6.印刷所へいってらっしゃい!


第三段階:全体の進行管理をする
・進行管理表をつくり、それを見ながら進行管理
・うまく進行できるように人を巻き込む(外注さん、アルバイトさん、チームメンバー)

第四段階:誌面のクオリティにこだわる。面白いものをつくるにはを考える
・過去の読者の満足度や意見を見て改善策を考える
・これまで積み上げてきた企画や案のブラッシュアップ
・これまでにはなかったという新規性の模索

こんな感じでこの1年ちょっとの間に四段階ほど踏んだので、それぞれの振り返りと葛藤を書きます。

一番苦労した作業と編集者の喜びの実感 (第一段階)

<第一段階>
できることを増やす
ということで、一番苦労したのがラフを書くこと
ラフというのは、
誌面を「タイトルはこんな感じで、このあたりに写真を置いて、このあたりに文章つけて、このあたりにレシピをのせて、わかりやすいように箇条書き項目を置いて・・・」
てな感じで
それぞれの要素の配置を決めていく作業。

もともと文章書くのは好きだったので、記事を書くのはまだ、飲み込みが早かったけど、ラフはすごく苦労しました。

文章の構成を考えることと、ビジュアル的な構成を考えることの、
使う脳の領域が違うんじゃないか?って思うほど私は苦労しましたねぇ。

過去誌面の研究をしたり、デザイナーが用意してくれたラフの型を見ながらふむふむと勉強したり、数をこなして、
実際に自分の描いたラフから、デザイナーがもっと収まりよく見栄えよくとより良くかえってきたデザインから、なるほどと感心したり。

読者がパッと見たときに、こちらが伝えたいことがきちんと伝わるか
「視認性」を考えて、
「要素」の出し方とか、見せ方の「優先順位」のつけ方とか
今までつかったことのない思考の領域を広げたような気がします。

これまで言葉や文章優位で物事を私は考えていたんだなと気づかされました。

取材は段取り的なのは最初は緊張してたとたどしいところは場慣れしていきました。
インタビューはもともと人の話を聞くことや、新しいことを知ることの喜びや好奇心もあって、いつも楽しいです。
インタビュー内容をもとに、相手の良さや伝えたいことを、いかにして記事にして伝えるかを頭を悩ませながら、言葉で紡いでいく作業は充実感があります。

趣味でやってた、エッセイや小説とか、自分から生み出したものを文章にするということ以外にも
相手の話をわかりやすく伝えていく、より魅力的に伝えていくという楽しさは、編集者になって実感したことですね。

インタビューはだいたい、話を聞きながら、持参したノートパソコンでメモをカタカタとしています。録音もしているんですが、聞いたことをすぐにタイピングしてメモしているので、
記事にするときは、メモをみれば録音をいっぱい聞き直さなくても、すぐに思い出せるので、文字起こしの時短にはなっています。


俯瞰で見るまでの苦労と気づき(第二段階)

<第二段階> 
全体の流れを把握する。

これ、同時進行の作成誌面がたくさんあるなかで、最終的に期日に間に合わせなければならないという緊張感と切迫感がありました。
ざっくりとですが、2か月の間に
1,2Pの記事広告が8社~10社程度の案件と
自社企画の
7Pのメインの特集5Pのサブの特集、6Pのインタビュー記事、そのほか、1,2Pもののシリーズ記事など
同時進行が多く

全体の流れやスピード感が適切かどうかが見えるようになるまでは
常に、「間に合うだろうか?」「今のスピード感で大丈夫なのか?」の不安がありました。

自社内で完結しない誌面は、社外の関係者の確認をする時間もとる必要があります。

自分が急げばいいだけじゃなくて、相手を急がせるということも要所要所で発生します。

何度も先輩編集に、このスピード感であってますか? の確認をしていました。先輩編集はだいたい、スケジューリングやスピード感を肌間隔でやっていたので、
既存の進行管理表で見えなかったものを明確にするためにはどうしたらいいか。進行管理者が不安になることなく見える表はどんなものかというのを考えるようになりました。
何が見えるようになればいいのか。

不安というのは、見えない領域があるからだと気づきました。

ひとりでない、チームの強さを知った (第三段階)

<第三段階>
進行管理表をつくり、適切に進行するために、必要に応じて人を巻き込む。

この第三段階くらいで、私は編集者として独り立ちしました。
慣れている人は感覚でできたとしても、慣れていない人は感覚でできないし、はじめてやる人がわかるようにということも意識しながら、
進行管理表を作り、日々ブラッシュアップしています。

だいたいこのタイミングで●件の取材が終えてたらOK、たいたいこのタイミングで確認がとれそうだったらOKみたいな感じでざっくりしていたものを、
誌面企画ごとに、それぞれの工程のタイミングが見えるようにしました。

会社の都合で、以前より割ける人員が減っていたタイミングで
ひとりひとりへの仕事の負荷のかかり方が増えた状況でした。

「独り立ち早くできたし、もっとできるよね?期待してるよ」みたいなムードもあり、
がんばろう、がんばろうとしてキャパオーバーになって、精神的余裕がなくなった時期でした。

その余裕のない状況をチームメンバーはじめ、周囲にわかってもらい、
協力してもらえるところは協力してもらい、アルバイトさんや外注さんの力も借りながら、業務量を最適化していったタイミングでした。

取材も複数かぶることもありました。
営業さんに現場に行ってもらうことや、ウェブでつないで、移動時間を減らしてみたりとか、一部の文字起こしをアルバイトさんに手伝ってもらったりしました。
降りかかっていた雑務の整理もしてアルバイトさんにしてもらうようにしました。

それまで広告ではない自社企画の誌面であれば、企画考案は編集がメインでやることとされていて、
企画が思いつかない、いいものができないと煮詰まっていたときでもありました。
しかし、
ほかのチームメンバーを巻き込んで企画考案したら、より早く、クオリティも高い企画がでるようになりました。

いいものを作るには、ひとりだけでシャカリキにがんばるんじゃなくて、人をうまく巻き込んでいくというのを学びました。

気を抜けば、仕事がブラック化してしまうから、持ちつ持たれつで仕事をうまく回していきたいですね。

最近では、進行管理だけでなく、その進行管理にチームメンバーの適正な作業時間が見えるようにしていきたいとチャレンジ中です。

誰に目を向けるか、読者を意識する(第四段階)

<第四段階>
誌面のクオリティにこだわる。面白いものをつくるにはを考える

まだまだ課題はあるものの、進行管理が少しずつスムーズになり、コントロールできているという手ごたえを感じられるようになってからは、
ようやく、クオリティや面白さにこだわることに注力できるようになりました。

まだ非広告の誌面企画の考案をひとりで考えていたときは、
他のチームメンバーから、内容のダメ出しがあって、ムッとしたこともありました。
時間的余裕がないから、いい企画を考える余白がないんだと伝えて、みんなで余白をつくれるように協力して、みんなで誌面を考えるようになりました。
アイディアというものは、さまざまな人のアイディアの相乗効果でよりよくなるもので、みんなで雑誌をいいものにしているんだという一体感が生まれました。

売上という商業的な指標がない代わりに、
読者アンケートが指標になります。
読者アンケートに答えることでうまみがあるような仕組みをつくりつつ、
忌憚ない意見がアンケートに書かれてあったり、どの誌面が面白かったを投票してもらっているのを、なぜ票が集まったのか、集まらなかったのかをみんなで考えます。

これまで歴代の編集者をはじめ、雑誌づくりにかかわってきた軌跡や積み上げがあるから、得ている信用と、長く続けていけばいくほど発生してくるマンネリ感。

そこに、少しでも新しい風を吹かせるにはどうしたらいいかを考えています。
読者のフィードバックは正直だなと思うのが、内容の良しあしがシビアに評価される。
ためになるという「実用性」、
新しい試みをしようとした「チャレンジ性」の面白さや、
デザイン面でも見やすさでも切り口でも「新規性」をいれること
で評価が上がったりする。

こちらの手間暇をかかっているかどうかが見破られてるなあと感じることが多々。
少しでもいいものを作るという姿勢を忘れずにいたいなと。

編集者への転身で思い馳せたこと

二十代はまったく違う仕事をしていて、
三十歳を目前にした29歳の大きな決断が、未経験の雑誌編集者だった。
三十代は編集者としてのキャリアを少しずつ歩んでいく。

編集者になるとは思ってなかった。
でも不思議と、この人の発言面白いなと目を追っているひとがだいたいが編集者だった。
もともと
小説家になりたいと思って、仕事とは別に小説を書いたりして応募したり、noteでつらつらエッセイ書いていた。
そうは簡単に作家にはなれないという現実を思い知りながらも、気力体力の限界を思いながら、
物書き的な要素もある仕事を探して縁があったのが、今の仕事。

物書き的な要素以外もたくさんある編集の仕事。
物書き的要素以外の部分は
畑違いとはいえ、二十代の仕事で学んだことが多かったなと。
前の仕事で大事にしていたことの一つとして、
仕事や積み上げたノウハウをわかりやすく整えて、
仕事が属人化しないように、だれでもできるようにすること
そんなことをやっていた。
わかりにくいことをわかりやすくっていう部分は編集につながるよなぁ。

そんなことを思いを馳せて。

徒労に終わったって思わないように、次に生かしていく。
失敗してたとしても次に生かしていく。
それは、いつか、何かの種になるかもしれない。

そんな風に思いながら、
仕事だけじゃなくて、人生を歩んでいきたいなと

そんなひよっこ編集者備忘録から、エモ要素を入れて、このnoteを書き終える。




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