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「どうして医者を目指そうと思ったの?」

【最初に】
 「決めつけ」に対する記事を読んでいてこの話題がかきたくなったのですが、そこまで決めつけと関連した内容にはなりませんでした。
 親族に医学部を強く勧められ、消極的な理由から進学した医学生の単なる葛藤の記録になってしまった気がします。
 わたしはあまりポジティブな考え方ではないので、文章も明るい内容ではないです。気分を害される方もいると思います。それでも良いという方のみお進みください。

【「どうして医者を目指そうと思ったの?」】
「どうして医者を目指そうと思ったの?」
医学部生なら、たぶん耳にタコができるくらい聞かれている質問だと思います。実際、医学部入試ではどの大学でも面接があり、医者を志す理由はほぼ100%尋ねられ、医学部入ったとなれば、医学部以外の友人や親戚、そしてバイト先の人などからも必ずといっていいほど聞かれます。
さて、この質問ですが、毎度わたしは少し困っていました。医学部への進学は、積極的な決断とは言い切れないからです。

【小・中学生】
わたしは、幼いころから“新しいこと”を知るのが好きでした。その“新しい”の方向は学習へと向かい、「将来の選択肢を広げたいから」というモチベーションと、学習環境を整えてくれた親や先生方のおかげもあり、幸いにも小・中学生の頃の良い成績を収めることができました。しかし、結果として、幼少期の成績が良かったことで、親族は「この子は優秀だから医者にさせらるぞ」という期待を抱くようになりました。
そして、小学生のころから、親や祖母には
「頭が良いんだから、将来はお医者さんだね」
「手先も器用だし、お医者さんに向いてるよ」
「医者ならここ(実家)にいながらも働けるし」
親戚には、
「○○(わたしの名前)ちゃんは優秀だから、将来はお医者さんかな?」
と言われるようになりました。

しかし、幼いころから、医療ドラマが見られないくらい流血や出血・痛がっている人を見ることに耐性が無かったわたしは、“お医者さん”という提示された進路に関して、あまりいい印象を抱くことはありませんでした。自分には一番向いてない職業だと思っていたからです。しかし、幸か不幸か、成績もその時点では申し分なかったために、徐々に“わたしがお医者さんになる”ことは、親族の中では確定していったようです。


【高校生】
高校生になると、「△△の職業になるためには、□□大学へ」「これがしたいから●●学部へ」のように、将来進みたい道やそれにかかわる進学、“進路”についてを深く考える機会が今までよりもぐっと増えます。わたしも例に漏れず、進路について悩むこととなりました。今まで抱いてきた“医者を目指す”ことへの違和感を、親と話し合うときが来たのです。

「血やグロいのが苦手だから、医学部は向いていないと思う。」と伝えれば
「そんなの慣れだよ」

「解剖なんて、できる気がしない」と言えば
「みんな乗り越えてるんだから、何とかなるよ」

「医学部に進学できるほど頭が良くない」と言えば
「○○は賢いから大丈夫だよ」

医学部へ進学する不安を伝えても、
「でも医者は給料良いんだよ?」
「ほかに、こんなに感謝される仕事はないよ」
「資格がある仕事がいいよ」
「『先生』って言ってもらえて慕われる職業が良いよ」
医者の良い面ばかりを伝えられました。

食い下がらないと
「じゃあほかに何の職業に就きたいの?」。

ここで、
「弁護士になりたいから法学部に進学したい」と言えば
「法学部に入ったって、みんながみんな弁護士になれるわけじゃない。」
「かなり頭が良くないと、仕事だって来ないよ」

「薬剤師になりたい」と伝えれば
「今は薬学部の門戸は広いし、薬剤師の人数だって多い。」
「就職に困らない時代じゃもうないよ」

「外交官になりたい(これは中学時代の夢ですが)」と言えば
「自分で行く国を決められないんだよ。危ないところになったらどうするの。」
「それに、結婚したらどうするの?子供がずっと母親と離れて暮らすなんてかわいそう」

「国連の職員になりたい」と言えば
「国連の職員だって、結局はサラリーマンと一緒だよ、資格がないから」
「国連の職員だったら、医師免許取ってからだってなれるだろ?」

医学部以外の提案をすればいい顔はされないし、
「本気でその職業に就きたい/その大学に行きたいなら引き止めはしないけれど」
「その職業に就いて生活やお金に困っても、どうにもしてあげられないんだからね」
母も父も祖母も、“わたしが医者になる”を信じており、「それ以外の進路を口に出すのは気の迷い」ぐらいに捉えられていた気がします。この表現にはとげがあるかもしれませんが。

わたしにもう少し、何かやりたいことに対する情熱があって、親を説得出来て、できなくても学費は自分で出す!くらいの勢いがあったら良かったのでしょう。でも、わたしにはできませでした。

「医学部に行かないことで、親との関係が悪くしたくないから(上記のようなことはありましたが、基本両親とは仲が良いです)」
「周囲の期待を裏切りたくないから」
「今後『ほら医学部に行かなかったから』と言われたくないから」
「学費を出してくれるのは親だから」
「医師免許さえ取れば、医師にならなくったってみんな満足するだろう」

このような消極的な選択の結果、医学部進学を目指すことになりました。しかし、違和感を抱いたままの勉強には身が入らず、医学部という狭き門を突破するための学力はつかず、浪人することになります。


【浪人】
 予備校代を出してもらっている負い目や「女の子なんだから1浪まで」の祖母の意見あり、この1年で何とかして医学部に入らなくてはならなくてはなりません。幸いなことに、予備校の学習スタイルや、寮生活という勉強に集中できる環境のおかげで学力が上がり、「私立でもいい」という親が言ってくれたこともあり、医学部進学が夢ではなくなってきました。これは、親族の期待を高めてしまうことにもなりました。

しかし、11月末に受けた地元の大学の推薦試験に落ちたことで、学習への意欲を一気に失ってしまいます。どこの学部に進むかよりも、「早く浪人から解放されたい」の一心で勉強してきたため、ここでもう1度「なんで医学部を目指さなきゃならないんだ」と考え始めてしまったのです。

センター前の年始には、とうとう「どうして親が勧めた進路に進まなきゃなんないんだよ!」と、泣きながら親に不満をぶつけてしまいます。その時の私は、「そんなに追い詰めていたなんてごめんね。本当に行きたいところを受けていいよ」と、やさしい言葉をかけてほしかったのでしょう。しかし現実は、「なんで決まったに対していつまでもグズグズ言ってるの」という旨の怒りを買っただけでした。

結果としては、国立ではない(私大の結果で進路を決めたために受けなかった)ものの、私大医学部に進学することが出来ました。浪人から解放されたこと・親や祖母に進路について口出しされる心配がなくなったことに安堵する一方、医学部に進むことが確定してしまった不安にも見舞われることになります。


【大学生(現在)】
 「わたしは医者になりたくて医学部に入ったわけじゃない」の負い目を感じながら迎えた入学。新入生オリエンテーションで繰り返し聞かされた“医学生としての自覚”、“求められる”医師像“。入学当初は正直息苦しかったです。自分は場違いなんじゃないか、と。

 ですが、優しい友人たちや先輩方や後輩たちに恵まれ、大学生としての生活は想像以上に楽しくなりました(当初は、「医学部入学=職業訓練学校に入る=監獄に入ったも同然」ぐらいに考えていたので…)。また、“医学”は学問として興味深く、試験前はひいひい言っていますが、基本的に医学を勉強することは楽しいです。

 でも、将来“医者になること”への不安は、未だ付きまとっています。講義で症例の画像が出されても目を覆ってしまうこともあるし、未だに医療ドラマは観られないし(ドラマと現場を混同するなという意見はごもっともです)。「医者はこうあるべき」と講義で言われれば、その職の責任の重さに憂鬱になってしまう。もともと血が苦手なので、病院実習や初期研修で救急や外科に回るのは怖くて心配です。

 今のところは、医学部に進学したことに後悔はありません。最終的に、“医学部への進学”という選択がどう転ぶのかはまだわかりませんが。医師になったら、「あの時、両親たちが医学部に進めてくれて本当に良かった!」と、手放しに喜ぶことができる日が来るのかも知れません。途中で心身を故障して、「こんな進路を選択させた親のせいだ!」と、年甲斐もなく親のせいにして激怒しているかもしれません。


【最後に…?】
祖母に言われた「○○は恵まれているんだから、感謝しなくちゃね」
何不自由なく育ててくれた実家に、感謝しなきゃ。恩返ししなきゃ。

父に言われた「○○は医学部に行けるだけの能力もあって、幸にもうちは○○を私大の医学部に行かせてあげられるんだから」
「どんなに医学部に行きたくたって、いろんな制約のせいで行けない人だってたくさんいる」
「なれる人がならなきゃいけないんだよ」
環境を恵んでもらったんだもの。なりたいなりたくないじゃないんだ。なりたくない、なんていうのは我儘なんだ。

母に言われた「私だって、この仕事に就きたくて就いたんじゃないよ。」
「いろいろ考慮した上で、この仕事に就いたんだから。」
そうか、なりたいことを仕事にしようなんて、おこがましいんだ。


 親や祖母に「医学部へ」と決めつけられることなく進路を選べていたら、どうなっていただろう。たまに考えます。高校や浪人時代に、自分の意志と周囲の期待との間で葛藤しなくてもよかったんだろうか。大学への進学を楽しみにできただろうか。自分で立てた目標に向かってなら、受験勉強は苦じゃなかっただろうか。将来に明るい気持ちを抱けたんだろうか。

 親が子どもの将来のためを思って、「あれをさせたい」「これをさせたい」と思う気持ちはわからなくもないです。ですが、「◎◎になるべき」と決めつけたり「◎◎がいいよ」と言い続けるのは、おすすめできないです。命令文であろうと提案の形をとろうと、言い続けられた言葉は呪いです。繰り返された言葉は、いつしか思考をも拘束することになる。“呪い”という言葉は、ちょっと意地悪かもしれませんが…。身近な人々が吐く言葉は(特に断定の文章は)、たぶん本人が思っている以上に重いです。
 
 もし、本当に子どものためを思って進路を考えてくれるなら、子どもが提案したことにきちんと耳を傾けてほしい。頭ごなしに否定しないでほしい。最初から進路を決めつけないでほしい。子どもは親のために勉強しているんじゃない。外堀を埋めるように諭すのだってやめてほしかった。本当に私が医学部に向いていると思ったのだろうか。医者にしたいという眼鏡を通してわたしを見たのではないか。

 全部ぜんぶ、ないものねだりで、傍から見れば「そんなの甘えだ」「自分がかわいいだけだろう」「恵まれている環境にいるくせに」「こんな意思の弱い人間が医者になるなんて不快だ」と、お叱りを受けるかもしれません。ごめんなさい。でも、もしかしたら、一定数は、医学部に進学した学生の中には、医学部に進もうとしている人の中には、親が決めた進路に進まなきゃいけない方の中には、似た境遇の人がいるんじゃないのかな、なんて思います。



 

 【まとめ】

 とうとう文章がしっちゃかめっちゃかになってきましたが、
・周囲の圧によって進路を決定した場合、本人は相当な葛藤で苦しむ(かもしれない)
・言い続けた言葉は呪いになる
の2つをまとめにしたいと思います。まとめになっているの微妙ですが…。



【書いてみて】

 ただの医学生の葛藤録になってしまいました。こんなやつもいるんだ、くらいに流していただけたら幸いです。
 長文になった上に駄文になってしまい、申し訳ないです。
 最後まで目を通してくださった方がいたら、本当にありがとうございます。



「どうして医者を目指そうと思ったの?」
今のわたしは、この質問にこう答えています。
「親族の勧めで」
積極性のかけらもない回答。いつかこの回答を、前向きにできますように。

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