「理解してほしい」はおこがましい?
前にうけたカウンセリングに対して思ったこと。ツイートするには暗いし、自分しか見えてないだろ自己中!とか言われても仕方なさそうなので、こちらへ。
ツイートがもとなので、文書としてのまとまりはあまりありません。ごめんなさい。
「気分の浮き沈みは、普通の人もあるものだよ。だから、そんなに心配しなくても大丈夫」
カウンセリングの先生に、そう言われた。
動悸、集中力の欠如、胃の違和感、食欲不振、不眠または過眠、人と話すのも億劫(ちゃんと話せるか不安)、でも助けも求められない(相手に迷惑をかけてしまうとの自責の念)、ちょっとした気持ちの動きで すぐに涙が出る
わたしは気分が落ち込むと、上記のようなことが起こる。これが、そこそこ定期的に起っても適切に対処できるなんて、普通の人すごいな。そう思った。
たぶん、この先生の言葉に対して、正解の反応は
「そうか!気分の上下なんて、みんなあるんだ!わたしだけじゃないんだ!なーんだ、良かった〜笑」
なんだと思う。きっとそうである。でも、わたしは
「わたしは普通の人がなんともないことでつまづいてるのか」
と、また“普通”にすら当てはまれない自分に失望するのだった。
たしかに、苦しいときの状況をうまくすべて伝えられたか?といえば、そうではない。カウンセリングを行ったのが、一番苦しい時期を越えていたのもある。それと、カウンセラーの先生とか心療内科の先生とかに、直面した時
「自分はこうこうこういうことや、かくかくしかじかがあって、こんなに苦しいんです!!!」
なんて言えなくないだろうか?
「自己主張激しい」と思われそうで口に出せない。
「苦しいのはみんな同じだよ」なんて言われたら、ぐうの音も出ない。
ちゃんと伝わらなかった時の無力感が激しいから、言葉に変換できない。
こんなに、わたしばかり苦しい苦しいなんて言って、自分しか見れてないわたしは、甘えてるんじゃない?なんて思われた元も子もない。
そう思うと「辛い」「苦しい」をわかってもらえるように伝えるのは難しい。
しかも、苦しかった時のことなんて、苦しかったときに事細かに記録してない限り、そんな詳細には伝えられなくないだろうか。どうがんばっても、一番辛いときに、ぴったりカウンセリングができるわけではないのだし。
カウンセラーの先生と話したあと、「結局わかってもらえなかった」と、勝手に残念に思ってしまうのであった。先生は傾聴も共感もしてくれた。でも、「普通」で片付けられてしまった、と。
せっかく時間をとってもらったのに、何一つ変われないどころか、勝手に失望してしまったことがとてつもなく申し訳なかった。
客観的に判断すれば、わたしは心配し過ぎの感情が豊かすぎるくらいだけれど「普通」の人で、「普通」の人からみたら、取るに足らないことで、勝手に悩んで勝手に苦しんでいるのかもしれない。
それでも、たしかに苦しいし辛いのだ。でも、わかってもらえなかった。
「ほしい言葉をかけてもらえなかったからと、勝手に失望するな」と言われれば、正論すぎて何も返せない。「自分勝手すぎる」と言われれば、はいそうですと頷くしかできない。そんなこと、理解はしているのだ。
わかってもらおう、なんて、甘えてる?
「理解してくれない」なんて、おこがましい?
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