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仕事をやめて貴族になった話

夫が仕事をやめた。
もう一生生活のために働くことはないらしい。

本当にやめちゃったんだ…と思った。
これって現実かな?

もともと夫は働くのが嫌いではあった。
というより細胞レベルで労働を拒否しているような状態だったので、働いていた時はそれはそれは大変だったのだ。

まず平日の朝はめちゃめちゃ機嫌が悪い。
目覚ましのバイブが震えてもしばらくは起きてこないし、苦虫を噛み潰したような顔をして携帯で何かをチェックする。

そして不機嫌な雰囲気を全身に纏い「話しかけるなよ?」という無言のメッセージを発しながら起きてくるのだ。

反抗期の少年が圧をかけてきてるのかなっていつも思ってた。

いったん仕事部屋へ入ればジェントルマンな雰囲気でオンライン会議をこなしているので、もしかしたら仕事関連の方々は夫が嬉々として働いていると思っていたかもしれない。

眉間に皺を刻ませながら叩いているだろうキーボードの音はいかにもイラついているそれなのに。

昼過ぎにようやく部屋から出てきたと思えば、ソファに座る私を見て

「いいよねえ、あなたは。ポカーンと半径5メートルのことだけ考えてれば生きていけるんだから。俺もあなたみたいな身分になりたいよ」

って、私怒っていいよねと思うようなことを平気で吐き捨てたりしていた。

で、案の定、言葉の限りを尽くした罵り合いになったりするのである。こういうやりとりを何度繰り返しただろう。

この頃の夫の口癖は「俺もう、やめていい?」だ。明らかにソワソワしながら早口で言うのだ。

「外出先でオシッコしたくなっても近くにトイレがなければなんとか我慢できるじゃん? でも家に着いてトイレの近くに来た途端急に我慢が限界まで来て、ズボン下ろすのもギリギリでやっと滑り込んで用を足すってことあるでしょ? いま俺、そんな感じ」

うん、なんの話かな。
と私も思った。

つまりはこうである。
夫は新卒当時からアーリーリタイア(今でいうFIRE)をするべく資産を増やしてきた。

アラフォーにして目標額を超えたため、会社をやめようと思えばいつでもやめられる状態に。

でもリタイアはもうちょっと資産を増やしてからでもいいかなと思って仕事を続けていたのだ。
お金が増える分には困らないし。

が、トイレが我慢できなくなってきたのである。

リタイアしたくて(トイレに行きたくて)ウズウズしている中、目の前には求めていた自由の世界(トイレ)へ続くドアがある。ドアノブに手をかければすぐ開くのに、この状況でなぜリタイアしないでいられる? と。

働かないと生活できないなら何も疑問を持たずに働いていたと思う。でも今、働いても働かなくても全然生活水準変わんないよね? なのになんで俺いまこんな大変な思いして働いてるのよ?

…という思いがピークに達したらしい。

あっという間に会社をやめた。
周りからの驚きと動揺を背に、それはもう清々しいほどにサクッと。

会社をやめた次の日の朝のことを、鮮明に覚えている。

顔が違う。表情が違う。人相が違う。
大きな目がさらに大きくなって肌艶良く、
顔が内側から光っていたのだ。

瞳にキラキラマークが付くほど目を輝かせ、そこだけ重力が月なのかなって思うほど軽やかな足取りでキッチンに来たと思ったら

「おはよう!」

なんて言ってくるのである。
キミはそんなに素敵な声が出せたのかい?
プラスオーラの振り撒き方がすごい。

「ねーねー、俺さー、なにしよ!
もうワクワクが止まらないんだけど!」

常に満面の笑みである。

「○○ちゃん(子ども)とずっと遊んでるんだー! もっと本も読めるし、映画も観れるし、絵本描いてもいいよねー。教育系のNPOもやるでしょー、サブスリーも達成したいし(マラソンで3時間以内に走ること)、あ、彫金やってみたいんだったわ、やりたいこと多すぎてどうしよ! まあ大丈夫、俺、時間リッチだから。順番にやるわ」

夫がこんなに清々しい朝を迎えるのってたぶん結婚して以来初めてだと思う。



でも最初、私は夫がリタイアするのはもったいないと思っていた。

仕事自体は夫が得意な分野だったし伸びてる業界だった。超絶ホワイトな企業だったし赴任した海外でも楽しい日々を過ごさせてもらい(私が)、今後も(私が行きたい)各国に赴任する可能性が高かった。

…なんて私の事情はさておき。
収入や環境、待遇、周りの人達、経験できること、どの角度で考えても「もったいない」という感想しか浮かばなかったし、やめることを知った職場の人たちの反応も私と同じだった。

でもいくら仕事を評価されても、年収が上がっても、出世しても、周りに感謝されても、夫は全然嬉しそうじゃなかったのだ。

や、本当に全然嬉しそうじゃなかった。
むしろ気分はどん底だった。

毎日プレッシャーに押しつぶされそうになりながら「会社の利益のため」に働いていることが、頻繁に各国へ出張して家族がいないなか重い任務を果たしてくることが(コロナでこれはなくなった)。

満足に睡眠を取れないことが、満足に子供と遊べないことが、趣味の時間やボーッとする時間、何をするにも時間が足りないことが、お金を生み出すために「自分が」労働することが。

一言で言えば「自由ではない状態」が嫌で嫌で嫌で、早くリタイアすることばっかり考えてた。
仕事が楽しいと思ったことはない、と言い切る。

なんてことをチラッと人に言っても
「んー、そうなの?」って言われることが多い。
「そんなに嫌なの?」って。

わかる。わかるよ。

だってこれ、働き盛りの人にとって全然珍しくない働き方だし、実際夫の友達も私の周りの人たちも似たような働き方をしている。少しの不満はあろうとも、むしろ「忙しいこと」「会社や世の中から求められていること」「それによってたくさん稼いでいること」は一般的には嬉しいことなのではなかったか。だから夫の決断は理解に苦しむらしい。

「出張が嫌なの? まあ大変ではあるけどねえ」「けどそれはリモートになったし、解決したんじゃない?」「え? 10時間寝ないとダメなの? 寝過ぎでしょ笑」「子どもともっと遊びたい?でも働いてるのは学費とか子どもの将来のためでもあるしさあ」「俺なんて働いてないと暇で暇で仕方ないけどね」「やめてなにすんの?」

という周りの反応も、夫には全く響くことなく。

「働きたい人は働けばいいじゃん。俺はヤダ」
で済まされた。

「働きたくない」って思いはキッパリハッキリ、常にブレることなく。



やめてからこっち、夫が何をしているかといえば、圧倒的に子どもと遊んでいる。

やめる前から「(気持ちとしての)本業は子育て」と言っていたくらいなので、やめたらどんな感じなんだろうと思っていたけど、見事なまでに毎日子どもと遊んでいる。

早起きの子どもに叩き起こされて幼稚園に行くまでの時間、戦いごっこや幼児用ドリルの付き合い、庭で蟻やダンゴムシの観察をしたり花の蜜を吸ったり。子どもが幼稚園から帰ってきたら(お友達と遊んだり習い事のある日以外は)近くの公園まで出かける、公園から帰ってきたら一緒にお風呂に入って毎日なにやら新しい遊びでキャーキャーやっている。

子どもが休みの土日は朝から晩まで遊び倒す。お弁当持って公園行ったり、商店街の八百屋さんで子供が自分のお財布からお金を出してオレンジを買うのに付き合ったり、おやつの時間にカキ氷屋さんに行ったり。

「あー楽しかったー!」って言いながらふたりで帰ってくる。

そしてまた段ボールでロボットのお面を作ったりhouseの曲で踊りまくったりLEGOでカッコいい何かを作ったりしている。

寝る前に夫は言うのである。

「いやあーーいいね!! 働かないって最高だね。けどさすがに今日は疲れたわ。まあいっか。平日に休めばいいし」

発想が完全にサラリーマンと逆である。

本を読んだり映画を見たり長めにランニングしたりして、疲れたらたっぷり昼寝。
夜はもちろん8時間以上寝る生活。

遊んでもいい、もし働きたければ働いてもいい、なんにせよ彼は今、自由だ。

夫が言った。
「ねえ、俺って今、現代の貴族じゃない?」

貴族。

「だって寝たいだけ寝て、お金の心配しないで遊んでるだけじゃん」

たしかに今の夫は働かなくてもある程度お金がそこに「ある」。自分はたまに相場をチェックするだけだ。あとはただやりたいことだけ、子どもと遊んだり絵を描いたり本を読んだりスポーツをしたりして文化活動に没頭していれはいいだけである。

まさに現代の貴族…なのかもしれない。
ユニクロを着た貴族である。



夫は、働かないために働いていた。人の役に立つためでも賞賛されるためでもなく、ましてや楽しいからでもやりがいがあるからでもなく、ただ自分の自由を得るために。
それこそ全力で、働かないために働いていた。

そして自由を得た今、目にキラキラマークをつけながら子どもと遊んで笑っている。しかもそれ以上に、子どもがキャーキャー嬉しそうだ。

私はふたりが楽しそうにキャイキャイ遊んでいる姿が眩しくて、動画ばかり撮っているのである。

貴族って、案外いいかもしれないと思いながら。


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