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“未熟な親” でいる勇気


「やっぱり私は親になってはいけなかったんだ・・・」


自分の言動が
親に似てると感じるたび、
その自己嫌悪が襲ってきました



私たちは、未熟で、いいんだと思う







親になっていい人、
ならないほうがいい人、
という区別は存在するのでしょうか?

虐待しても本当に何も感じない人が存在することは、
残念ながら事実です。


でも、たとえ、
もう嫌だと投げ出しそうになっても、
殴りたくなってしまっても、
否定的な言葉をかけてしまっても、
怒鳴ってしまっても、

それですぐに「親になってはいけない」という烙印を押すのは、
ちょっと待って!!と思います。


少なくとも、いま、
この記事を読んでくれているあなたには、
「あなたならそりゃ、もちろんいいでしょ!」と思います。

だって、この文章を読んでいるということは、
たとえ”今”の自分に不安があるとしても、
“変えていきたい意思”を
お持ちだと思うから







子育てが苦しすぎて
子どもを保護してもらった時期があります。

その決断は、当時の私にとっては、
自分に ”ダメ親の烙印を押す” ような感覚だったので、ずいぶんと抵抗しました


-どうして離れるのが苦しいの?
-依存しているだけなんじゃないの?
-ダメな親だと思われたくないだけじゃないの?
-子どもを利用してるんじゃないの?
-本当に自分で育てたいの?



色んな問を自分にしながら、
気付いたことのひとつが、

【 毒親と未熟な親は違うんだ 】

ということでした






「毒親になりたくない!子どもを傷つける親にだけはなりたくない!!」

私はその思いが強すぎたが故に、
自分の未熟さを直視できずにいました

未熟な親=毒親
だと思っていたんです

(※もちろん、暴力で解決しようとすることは未熟であるからなんだけども)




でも、私たちは
子が産まれた瞬間に親になるわけでも、
血がつながっていれば親になるわけでもなく、
“子育てを通して” 親に “なって” いきます。



未熟であることは当たり前、

そして、

未熟であることと
子どもを傷つけることは、
必ずしもイコールではない

のだと思いました




みんな最初は未熟な親。

だけれども、

◇自分の未熟さを認めながら、
 子どもと共に成長していけるか

◆自分の未熟さを認めず、
 自身の問題を子どもに背負わせるか

そんな分かれ道が、
私たちの前にはある
のだと思います。






認めるって難しい、
変わるって難しい、

でも、その先にあなたの行きたい世界があるのなら、
チャレンジしてみる価値はあると思います




読んでくれてありがとうございました^^

みんなで子育て
がんばりましょう🍀


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