雲平線(走り書き)

あのときわたしは、雲の上にいた。ピンクや紫や金色に光る、雲の海。何度眠って起きても、雲海が目の前に広がっていて、広すぎて、感じることが追いつかなくて、圧倒されていた。

朝ごはんに食べるパンも、インスタントコーヒーも、消えない腕の傷跡も、そういう昔のことをしょっちゅう思い出してしまう自分も、部屋にこもってばかりなこと、働こうにも働けないこと、よく泣くこと、それらから離れるように歌を歌うこと、そんな歌は部屋で消えてしまって、ぐるんぐるんと元気よく動く社会、資本主義、効率、能力、コストパフォーマンス、結果、自己責任、そういうの全部全部、地上にある渦のように見えた。それらは黒くぐにゃりと波打っていて、悲喜こもごも、カオス、なのに遠く遠くから見ると、なんだかちょっとなつかしい気もした。

最中(さなか)にいるときは、あんなに痛かった。身体中がぎゅうぎゅうに締めつけられて、重たい気持ちで目の前が暗く、息苦しく、吐くように泣いて、なんとか自分の中をからっぽにして、そうして次の波に備えた。わたしにできることは、ここにとどまることで、それだけが精いっぱいで、ごめんなさいって、がんばれなくてごめんなさいって、ほんとうはもっと違う風にしたいのにって、闘ってた。

わたしは長いこと病院で、苦しみを訴えた。先生は、話をよく聞いてくれた。とても親身に聴いてくれ、いたわり、だいじょうぶ、と言った。あなたはおかしいところなど、なにひとつないのですよ、と言った。わたしは来る日も来る日も、傷だらけだった。先生は、言葉の包帯で、手当をし続けた。苦しいのなら、少し休むためのお薬を出しましょう。そのうち元気になるからね。そうしてわたしは、また次の傷を作ったりあざを作ったりして、病院へ行った。古い傷から、何度も何度も血を流した。

診察室で、わたしは泣き叫んだ。もう死んでしまう、と泣き叫んだ。
先生は、指を机にトントンとした。居場所を作ることが、どうしてこんなにも難しいのか、ともの悲しそうな指だった。家が、安心して眠るための場所でないとは、どういうことか。安心を処方したい、ただそれだけなのに、と途方に暮れた。診療所の、小さな部屋をひとつあけ、ここで少し休んで待っていて、他のお客さんが終わるまで、といった。わたしは、家にあった薬全部を鞄に詰めて持ってきていて、片っ端から錠剤を手の平に盛って、流し込んでいった。全部を飲み干そうとしたが、半分くらいでもう嫌になった。

人は、小さい。できることは、少ない。

先生は、家族を呼んだ。休息が必要、と話した。家族はやっと事態を飲み込んだ。わたしは、何度も、休みたいと話していたが、なぜかわたしの声は家族に届かないようだった。そういうものなのかもしれない。病院で倒れないと、届かない声。透明な、小さい、弱い、声。弱き者の、死にかけている者の、力ない者の、声。

大切な音というのは、かすかだった。先生は、耳がよかった。先生は、聴診器を当てて、すべての人の鼓動を正確に聞き取った。それから、気を見た。気のその色、明るいか暗いか、流れ、澱み、詰まり、荒れていたり、弱かったり、表情や目の様子や態度や声の強さやそういうの全てから醸し出される気について、かなり正確に読み取れた。

それから、その人の湖を見た。心の奥にある、湖があって、何が映っているかを聴いた。どんなものに揺れて、どんなことで傷つくのか、その人の成り立ち、思想、癖、思い込み、美しさを読み取っていった。それは、一冊一冊の本を読んでいるようで、ちっとも苦ではなかった。

先生は、そこにいた。見て、聴いて、対話をし、そうして処方をする。必要であれば薬、それから次会う約束を。

苦しい時間はただ続いた。もう何年経ったかわからなかった。苦しさは色んな局面を見せ、色んな苦しさがあって、それらがうねり、爆発した。誰かのことを思いやるとか、役に立つとか、そういうことはあまりできなかった。生き延びるのに必死で、その中でたくさんのことを考えた。考えたものは、わたしの中に、孤独に溜まっていく。広がる宇宙のように、エネルギーに満ち溢れ、さみしく、暗かった。

先生は、ただずっとそこにいた。手当をして、わたしに色々なことを教えてくれた。わたしは、教えられたがった。わたしは、先生に何度も会いに行き、話をした。病がつないだ、病がわたしの人生に与えた人だった。

わたしは話した。過去のことを、洗いざらい話した。言葉にするたび、見のよだつような情景に飲み込まれて、思い出すくらいなら死んだほうがましだと思えるような類のことだった。そうして、誰にも分ってもらえないような苦しみだった。

わたしの奥深くの傷を、先生が言葉もなく、ただ撫でた。抱きしめてあげられたらね、と先生がいうので、抱きしめて、とわたしは言った。わたしたちは、もはやどこにもいなくなった。ここではないどこかで、ひとつの流れ星を見た。

雲海を陽が照らし、宇宙の、星の、きれいな色が全部集まった、そんな光の中で、わたしはよくわかったような気持ちになった。嵐のような日々は、遠くから見れば、広い河のようで、そこでの全てを感じるための身体であったことを。そうして、雨風を起こす雲の上は、こんなにも穏やかな世界であることを。すべては、ここへたどり着くための旅であったことを。地平線でも、水平線でもなく、雲平線を知る、そのことを。

遠くから見た世界は、いつだって美しい。そう思い、わたしは雲平線の見えるここから、地上へと、身を投げた。


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