鏡を覗くように、自分の姿が見えた時のこと
6月に連休を取り、久しぶりに両親と数日を過ごした
時間の中で、気が付いた事について書いておこうと思います。
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時おり訪れる、両親のバチバチした空気に遭遇するにつけ、娘としては何だかなあ…という思いがあり。(どうかバチバチしないでほしいと。ストレスでボケたりしないか心配。)
なぜたった数日の中で、何度も雲行きが怪しくなるのだ!!と。
平穏のみを願って帰ってきたのですが。
帰って来てから、はたと気が付いたことがあります。
親に対して感じる「なんだかなぁ~」の部分。
それを一番引き継いでいるのって、実は私だなと。
(姉達には見られない気質)
親に対して感じていた「なんだかなぁ~」の部分は、私の自覚している悪い部分と酷似している。
あんな所も、こんな所も、
思う節がある…ぐぬぬ…。
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大人になったら、
家族に指摘されることもほぼ無くなる上に、
仕事では大人の付き合いで、
性格的に駄目な所を指摘されるシチュエーションなど少なくなることの方が多いと思います。
もちろん人それぞれですが。
たとえ指摘してくれる他者がいたとしても、
本人が認めて“自覚する”というタイミングを経なければ、嫌な気分が残るだけで決して変化などしようがありません。
(自分のことは棚にあげまして。)
自覚がなければ、変える事など出来ない。
だって、そもそも“認識していないもの”を変えようなんて思うはずないもの。
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今回、両親と過ごす幾日かのあいだ
私は自分の見つめなきゃならない気質を親を通して、鏡を覗き込むようにして見てきたようでした。
他者を見て、こういうところ自分もあるかも知れない…
そう頭をよぎった時は、自分を変えられる糸口のはしっこに触れたことになります。認めるのは苦々しいものですが。
どんなことも まずは、自覚するところから。
少しずつ 少しずつ。それが成熟につながると信じて。ではまた。
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