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他人との壁なんて本当はないんだろうなと娘に学ぶ

朝、保育園に送りに行く地下鉄の駅のベンチにいつも座っている足の不自由なおじさんがいる。改札や車両で見かけることもあるから、毎日どこかに出かける前に、ゆっくり座って休みながら行くのが日課なのだろう。
当時1歳の娘が保育園に通い初め、1ヶ月くらいで、毎日いるそのおじさんにバイバイをするようになった。私も挨拶するようになった。それから今まで2年間。どんどん言葉を覚え、よく歌うようになった娘も、お腹の大きくなる私も、今度は新しく産まれた赤ちゃんも、毎朝おじさんは「いってらっしゃい、気をつけて」と見送り続けてくれた。エレベーター内で人と一緒になると私の服の中に隠れたり、立ったまま寝たふりをしたりとスーパーシャイな娘も、おじさんには(特に男性には本当に慣れないのに)きちんとあいさつができるようだ。きっと彼女の中では友達なんだね。最近座っていないので心配していたら、改札で合った時に「もう座れなくなったみたい」と残念そうに言っていた。なぜ。意味不明すぎる。駅員に直訴したい。

子どもは他人との壁をあっと言う間になくしてくれる。道で子連れの方とすれ違えば会釈もするようになった。ペットを連れている人にも。(子どもが動物に絶対興味を示すからだ)ベビーカーに乗るとエレベーターを使う機会も増えるから、エレベーターの中で子どもをきっかけとした会話だってある。地下鉄でも、車椅子ベビーカー用スペースのある車両にきまって乗るから、そういう車両には毎朝同じような時間に必ずその車両に乗ったりする人も多いので、子連れの人や、車椅子の人と友達になったりもする。
今挙げた全部、一人で通勤していたらたぶんお話することもなかった。「他人」とは書いたけれど、今この場に居合わせているという立派な共通点があるのにね。大人になるとそんなことを忘れてしまう。

先日、よく晴れた日、エレベーターの中できれいな袴を着た大学卒業生らしき娘さんと居合わせた。「とてもきれいです、卒業式ができて良かったですね」と声をかけようとしてなぜか飲み込んでしまった。私はやっぱりまだまだだ。

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