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トラつばと「朝ドラ一人勝ちの法則」より。

連ドラを含めて、映画も舞台も小説も漫画も全ての創作物は、ゼロから1を創るのではなく、1を2に、2を3に……と磨いていくこと。
連ドラが不振と言われる理由は、
①若者のテレビ離れ
②ドラマはながら見に適さない
③そもそも面白くない
の3つが挙げられる。

前置きゼロでどんどん真面目な話をしていきます。

ネットを当たり前に使う若者たちは、毎週の決まった時間に毎週テレビの前にいるわけじゃない。見たい作品があれば、配信で好きな時に観る。
テレビの前にいる人の周りには、もちろんテレビ以外の物がある。必ずしもテレビに噛り付いてはいられない。よって内容はきちんと頭に入ってこない。そのせいで面白くないと思われてしまったりする。では、1時間テレビを観る耐性がないのか?
答えはノーである。

2時間を超える映画もヒットする。上映中はスマホが見られないので集中できるというのは、ずっと変わっていないことのはずだ。ドラマだって、面白ければリアルタイムでヒットする。SNSのおかげで観ながら実況のように投稿する人が現れ、話題になる。「虎に翼」なら #トラつば絵 があるし「光る君へ」なら #光る君絵 があるので、絵描きさんの恩恵は特にひしひしと感じる。でもこういったタグはNHKに限ったことではなく、文字で実況のような投稿をする人は大勢いる。ちなみに、感想絵の一番最初は「あまちゃん」の #あま絵 だったらしい。

1週間あたりで計算すると、
民放は(CMを除けば)45分×1話。
NHKの場合CMがないので、45分×1話。
※面倒なので3/4時間にします。
朝ドラは15分×5話で、つまり5/4時間。
全編通すと、
3/4×10=30/4=7時間半
5/4×26=130/4=32時間半
ギョッとする量だ……

朝ドラを26週としたのはトラつばに合わせたからです。
朝っぱらから暗いヒロインの姿を観るのはつらい、だから主人公は前向きな人が良い。
朝ドラに限らない話へと、私の目線で拡げます。
月曜からいきなり重苦しい話はつらい。1週間頑張れるような、それなりにハッピーな物語。逆に日曜は現実逃避できるような、没頭できる作品がいい。金土は「金曜ロードショー」や「土曜プレミアム」が存在するように余裕をもって鑑賞できるので、割となんでもいける。もし重たい日曜劇場が月曜劇場だったら重たすぎて観てられないし、暗い金曜ドラマが月曜ドラマだったら週の初めから暗い物語を観ることになってしまい少々つらい。火水木は軽いノリで観られるわかりやすい脚本だと有難い。

ざっと連ドラ4本分に値する朝ドラには人間ドラマの要素も必要である。仕事や恋愛といった一つの要素に頼るには長いからだ。
多くは女性の一代記で、彼女が前向きな人柄であっても、時代の荒波には逆らえない。明律大のみんなも戦争によって大きな喪失を経験している。その他、よねさんや航一さんのように既に重すぎるものを抱えている人、謎めいた美佐江と美雪、……とにかくキャラが濃い。変人だらけ。
私的ハイライトは美佐江の誰も自分を知らないっていうところから航一さんとついに!の週、えーっと、第19週「悪女の賢者ぶり?」です。片岡凛さんはただの面白い人じゃなかった。梅子さんが崩壊したところはホラーかと思った。ヒャンちゃんが帰っちゃうのと涼子様が諦めざるを得なくなるあたりから戦争の影が近寄ってきて、トラちゃんが弁護士を辞めたらいよいよ「朝イチ」の冒頭がどんより、たぶん。(私はいつも録画で視聴。)
あとから再び登場して竹もとに集まってたから、乗り越えてハッピーに終わるのが朝っぽい。

人は、自分の人生が面白かった若い頃に観た映画やドラマを、面白がる傾向にある。その頃に触れた作品は、その人の哲学になる。
ウウッ……返す言葉もない……ということは大当たりしているってことやん。つまり、視聴者層によって、面白がられる作品の内容は変わる。10代の頃に何を観た層に向けた作品なのかによって変わる(実年齢とズレてる場合を加味して言い方を変えてます笑)。
トラちゃんくらいの戦争世代はもうかなり減っているけど、ある程度の歳になれば喪失も知っているだろう、よって中盤では苦しむヒロインの姿があってちょうどいい。ヒロインにとって大切な人が作者に殺されるくらい、というのは朝ドラに限られる気がするけど……そのくらい苦しんでいいらしい。

他にも朝ドラにはヒットする法則があるとのこと。これに則っていれば面白がられるということだが、いつも似たような物語になりかねないと心配してしまう。しかし、習慣的に観ている人に向けた枠に関しては心配御無用である。
ガラリと変えれば固定の視聴者は離れて新たな視聴者が生まれる。でもその新たな視聴者が次の作品も観るかどうかは別問題である。よって、毎回同じような話にすれば毎回ヒットするというわけ。

では、ドラマにおいて変化したものは何か。90年代と比べてみる。

テクノロジーは進化している。他局では、見るからにめんどくさそうな編集が多用されるようになっていた。演技に関しても進化しているらしい。私は知っている範囲が狭すぎるのでわかりませんが……私の初朝ドラは「半分、青い。」です💦💦

著者による答えは「芸能プロダクションの発言力」である。
ホントかどうかは知らないけど、プロデューサーですら困っていて、起用された脚本家は参加する俳優がすでに決まっている状態で書かなければならないので、書きたい物語を書くということができない。

人間が一度に把握できる人間の数は8だと言われている。8人は視聴者が物語に入り込むためにちょうどいい。初めの方なら、女子部5人と花岡さんと花江ちゃんと優三さんだったか。人に限らないなら、短期記憶に収まる何の関連もない言葉はだいたい7くらいらしい。案外少ない。そういえば、期間が長いと終わる頃には最初の方を忘れてる。
脚本家が書きたい物語を書く。物語としての質が高いこと。ドラマにおいて、これが肝要である。これからは、制作会社のクリエイティブと真に能力で判定される俳優個人が重んじられるスタイルが良い。そうすればドラマは脚本家の手によって面白い作品が書かれ、自由を手に入れられる。
どうすれば面白いドラマを書ける?

仮に俳優が違う人でも”逃げ恥”はヒットしただろうと著者は言う。脚本の野木亜紀子さんが自由に書いたこと、主要な登場人物が8人であること、アメリカのヒットドラマのオマージュであること、これらの要因をアシストしたプロデューサーの力。逃げ恥のヒットは野木亜紀子さんのおかげである。ここから言えるのは、ある連ドラがヒットするかという意味ではその時代に即しているかどうか等のあらゆる面が絡むとしても、
脚本、脚本、脚本。
勝手にものすごく短くしました。

なんとびっくり。京都府立図書館にて、たまたま「ことば、ことば、ことば」と背表紙に書かれた本が目に飛び込んできてパラパラと見てみたら、「ハムレット」は関係なかった。題がコレなのに関係なかった。パラパラ見ただけだからどっかで出てきてるかもしれないけど。笑

オマージュは、パクリとは違う。
「映画作りにおけるクリエイティブとは、どれだけ過去の作品を知っているかと同義語である。」
このように言われるくらい、映画でもドラマでもヒット作にはオマージュふんだんに盛り込まれている。
前に出てきた「若い頃に観た映画やドラマを面白がる」というのは、もっとキツく言い表せる。
人は若い頃、特に10代で影響を受けたものに、死ぬまで縛られる。
えッと言いそうになるけど何も言えない🤦‍♀️
過去作をオマージュしつつ現在に合うように、舞台設定に合うように、内容をバージョンアップすること。実は、これが真のクリエイティブである。
「キャラクターが勝手に動いて、勝手に喋り出すんです。」
と言う脚本家がいるのは、元ネタをどう変えるかさえ決めれば9割は完成したようなモンだということを表している。脚本には既に”設計図”があって、脚本家は図に沿って書けばいい。
それはパクリやん⁉
脚本とは作品においての設計図(「俳優の教科書」参照)、作品の設計図にさらに設計図という元ネタが存在するとなればそれはパクリである。
いえいえ、それで良いんです。
はっきり書いてあります、優れた連ドラはたいていパクリだと。


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