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「見返りを求めない」って本当は…

タクシーを待っていた時、突然外国人男性に話しかけられました。
いや、マレーシアでは私も外国人なんですけど。

「英語は話せますか?」と切り出した男性は、こう続けました。

+++

このあと●時から病院で診察の予約を取っている。
タクシーを呼んだのだが、タクシー料金が20マレーシアリンギットかかる。

でも、自分には10マレーシアリンギットしかない。
10マレーシアリンギットをくれないだろうか?

※1マレーシアリンギット
=32円くらいです。

+++

そう言って彼は、自分の手に巻かれた包帯をベロンとして私に怪我を見せました。
いや、証明のために見せてくれたんだろうけど・・・見ていて痛そうで、10ポイントのダメージを食らう。



そんな死闘(?)を繰り広げているタイミングで、私が呼んでいたタクシー到着。待たせることができない場所だったので、とにかくすぐにこの場を去らなくてはなりません。


さあ、どうする?アイ●ル?



結局のところ自分が「納得するかどうか」なんじゃないか。


判断する時間がほとんどない中でしたけども、結局その方にお金をお渡しすることにしました。

渡し逃げ(笑)みたいな感じになったんですけれど、「お大事に」とだけ言ってタクシーに乗りました。
もらい逃げじゃない、渡し逃げ。



これだけ言うとすごくカッコいい感じですが、タクシーが動き出したあと、ちょっと悶々とする時間もありまして。

「本当にあの対応で良かったんだろうか?」
「日本だったらどうするんだっけ?」
「もし、彼が嘘をついていたら?」

頭の中で少しだけ彼を疑ったわけです。


でも・・・こうも思いました。

彼が本当にそういう境遇なら助けたいと思った。
しかも10リンギット(約320円)で人助けになるのなら・・・(本音)。

だからお金を渡した。
決して彼に脅されたわけでもなく、自分で選んでお金を渡した。

そうだよな、自分が後悔したくなくてお金を渡したんだから、後のことをぐちゃぐちゃ悩んでも仕方ないよね!って。

もし仮に騙されていたとしても、「後悔しないように行動した自分がやっぱり素敵!」でいいじゃないか、って。




私は常々

自分にコントロールできることと、そうではないことを分けるのって大事

だと思っています。


今回のことであれば

彼にお金を渡すかどうかを決めて行動するまで
=私がコントロールできること

受け取ったお金を彼がどう使うか
=私がコントロールできないこと、です。


仮に、彼が私をだましていようと、その段階では私には分からないわけで。

中には「そういう無防備な態度が犯罪を助長するんだ!」と、思う方もいらっしゃるかもしれないですが、善人と悪人を一瞬で見極める術なんて、なかなかないんですよね。



自分にコントロールできないことまで、なんとかしようとすると、多分

『悩みの種』

になってしまう。


色んな気持ちはあるけれども「うん、自分がそうしたいと思ったのだから、ここまででいいんだ」と、割り切ることにしました。


・・・とはいえ、その後も何回か「いや、でもなぁ・・・」と思い出しましたけど(笑)

金額が小さかったから「これで良し」と言えた部分もあるのかもしれない。すぐに割り切れるほど、人の心は簡単ではないですね。


見返りを求めない、って聞くと、まるで「真心」や「純粋な愛」のように
聞こえるけれど

本当は

自分でコントロールできることと、できないことを線引きする

ということなのかなと、私は思います。
とっても現実的で恐縮です。


想いを相手に渡した後、相手がどう受け取るかは相手次第。


そこで「自分が渡したのだから相手も返してくれるだろう」と考えると、苦しくなっちゃうんですよね、多分。




これは親子でも、夫婦でも、友人でも恋人でもきっと同じで。

自分がそうしてあげたくて
自分が後悔したくなくて
自分が自分を好きでいたくて

やった・言った

のであれば、やった・言った時点で、本来の目的は達成されたことになるはず。

そこに色んな期待がごちゃ混ぜになるから

「私はこんなにやっているのに!」

と、裏切られた気持ちになるのかもしれません。



「お金を払って習い事に通わせているのに、なんでちゃんとやらないの!」「欲しいって言ったから買ったのに『違うのが良かった』って何よ!!」

子どもに喜んでもらいたいという「想い」が裏切られたように感じるから、「悲しい」という気持ちがこじれて「怒り」に変わってしまうのかもな、なんて思いました。

そうであれば。

完璧に割り切るのは、難しいことだけれど、「行動できた私がとても素敵だったなぁ。私、最高!!」で、終わらせるのも大事なんだと思います。


まだ起きてもいないことをあれこれ想像して、

もう変えられないことを「ああすればよかった」と妄想して、

くよくよ悩む時間は、意外とないのだから。
(しかも相手が「赤の他人」の場合は特に!)

それでは、また!

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