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書くという行動

noteを書き始めて今日で3か月経った。
なんとか毎日投稿した。
わけのわからないこと、どうでもいい事もいっぱい書いた。

結局今日もなんだかわからないボヤっとした気持ちを書くことにはなりそうだ。
よく、毎日続けたらこんな良い事ありました!とか、見るような気がするけれど、私は正直そこまではっきりとは言えない。
こういうのは色んなところで感じる。
具体的にわかりやすく何かの効果について語る人をいつもスゴイなぁと思って眺める。
私はそこまではわからないなーということは多い。


先日、ストレングスファインダーの資質について語るイベントに出た際に感じたことがあった。
「慎重さ」という資質を持つ人は、物事に対するリスク管理の比重が高く、何かチャレンジしたい時も準備に準備を重ねて、準備が整うと行動を起こせるという。だから失敗はしづらい。
その代わり、準備に準備をして、結局石橋を叩いて壊して終わってしまうこともあるという。

私にはこの慎重さという資質はない。ないというか大変下位資質でほとんど使われない。

でも私自身は自分が慎重な人間だと思っていたから、この資質が下位と出た時は意外だった。
慎重さという資質は準備をする資質、きちんと備えるための行動を起こす資質と聞いた時に、ようやく腑に落ちた。
私は準備のための行動はなかなか起こさない。

その代わり頭の中で考え続ける。
まずはとにかく「ちょっと考えさせて欲しい」と思うのだ。
この考えるというのが、恐らく曲者で、実際は考えているというよりは、ただグルグルしてなんとなく思考を漂うということの方が多い。
そうやってずーっと生きてきた。
だから行動力がない、なかなか何かに足を踏み出せないことを嘆いていた。

でも慎重さんの話を聞いた時に、思ったのだ。
慎重さんは、物事を起こす前にまず準備する。準備という何かをする。
私にとって考える、頭の中でああだこうだすることは、その準備なのだ。
そして、今まではその準備がグルグルし続けただけのあまり上手な方法ではなかっただけで、この準備を上手にすれば、きちんと前に進めるのではないかと。

「内省さんは書くと良いですよ。アウトプットするのが良いですよ。」
ずっと言われ続けてきた。
頭の中の思考量が多いから、とりあえず外に出すことですっきりしてくる。
深めている思考を人と共有するとより良い。
そんな風に捉えてきた。
それはそれで、そうだろうなぁとは思っている。

私は自分が前に進みたい。自分がやりたいことを見つけたいと思っている。
そのための何かになればと、こうしてアウトプットすることを始めてみた。
いや、それだけではないかもしれない。
「アウトプットは大切」と、これは内省さんに限らず言われることだ。
そのアウトプットすることがどういいのか知りたいというのもある。
もちろん良いのだろうと思っているけど、自分が身体で感じてみたい。

私は無駄にグルグルとただそれが心地よくて、自分の世界を漂っているのだが、その思考をこうして書き出すことは、その世界から外に出るまず第一歩の行動とも考えられる。
それは慎重さんの準備と同じことになるのではないかと思うとちょっと嬉しくなった。

「行動することが大切」
これもずーっと聞き続け、言われ続け、自分の弱点を突かれるようで、この言葉には何とも言えない心が反応する。
でもこの書くことが私にとってその行動の第一歩になっているのなら、私のモチベーションはまた上がってくる。
一歩踏み出すとその先というのは自然と進んでいくように感じる。

はっきりと「これがいいんです」とはやっぱり言う事はまだ出来ないけれど、書き始めてみて、何かいい気がするという感覚はずっとあった。
「なんかいい」では弱いんだよなぁと初めの頃、これで続けられるのかと弱気になっていた。そんなこともこれまでに書いていた。

今辿り着いたところは、行動を起こせないと言っていた私はこうして「書く」という行動を起こしている。
その一歩は次に進む弾みをつけている。
その弾みというものを、ここのところ、実感できることが色々起こっているのは私自身が一番よく知っている。

クッキリとまでは言えないけれど、前のボンヤリよりはずっと視界が開けてきたように感じる。
いつか、くっきりはっきりなんて日が来るのだろうか。
でもそっちに向かって進んでいるのは確かなようだ。

書いてみるって面白いな。
今はただそう思う。




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