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解き放て、鮮やかに
人はそれぞれ本当に唯一無二だ。
それなのに、特に日本は調和を大切に教育される。
「和から乱れてはだめ」「通常●●だ」「KY」「例がない」
そんなことを小学生くらいから刷り込まれ始める。
自分を貫く。自分を持つ。そんなことが悪のようにされる風潮すらある。
自分もそういうことを知らず知らずに刷り込まれて来たように思う。
しかし、AB型だからなのか何なのかわからないけど「変」と言われることに少しの喜びを覚える感じが昔からあった。
和を乱すことはしないが、少し「変」とくくられることで存在する「自分」を感じていたのかなと今振り返って思う。
高校受験で一番行きたかった高校に行けなかったことをきっかけに「もっと面白いことをしたい」と思い、留学することにした。
今から23年も前になるが、16歳で米国留学した時にアメリカで見た景色。
「テーブルに足のせてくつろいでいいんだ!」「学校のカフェテリアでいちゃついていいんだ!」「ノートはペンで書いてもいいんだ!」「左ききの人ってこんなに多いんだ!」等、いろんな驚きがあった。
アメリカで人種差別も経験したし、吉本のギャグが恋しかったし、公共交通機関が無くて行きたいところにホストファザーが車出してくれるOKがなきゃいけなかったけど、それ以上の自由を感じてテンションが上がった。
日本に帰って来てからもまたなぜか海外に行きたい。アメリカで出会ったヨーロッパの子のギャグのセンスの方が高かったから関西人としてはヨーロッパに行きたい!と思い、大学は留学できる提携校が多いところを選び、ヨーロッパ留学を選びデンマークにたどりついた。やっぱり海外では自由を感じた。
自分が外国人であることでもともと「枠」からはみ出た存在でいることが、なんか楽だった。
留学中同じ寮には世界各国の留学生が住んでいた。思い出せる限りでもイタリア人・スペイン人・フランス人・ポーランド人・インド人・タイ人・セネガル人・南アフリカ人・中国人・バングラディッシュ人・ベトナム人・インドネシア人・香港人もちろんデンマーク人
同じキッチンを共有したり、パーティーをしたり一緒に遊んだり。イタリア人のANNAが出かける時にバスでおもむろに前髪を切って、自分の鞄にその切った前髪を入れる。「今の長さが美しくなくて許せないから切ったのよ!」と笑いながら私のいろんな常識を壊してくれた。
海外は自由だから大好き!そんな事を感じて日本で就職するときも海外と関わることを選び続けてきた。
航空会社に入った後、デンマーク留学時代にふんわり感じたファッションデザイナーになりたいという途方もない夢を現実的に近しいところで叶える為、アパレル業界に転職し、そこでも海外に関わることをした。海外工場選定、生産品質管理、輸出入業務、、国内外営業、国内外店舗出店などなどアパレルの色んなフェーズを経験した。
子どもができ、以前のnoteにしたためたような経験で女性で会社員として働く不利を痛烈に感じる経験をし、大好きで自由を感じられる海外と関われる仕事は子育てしながら会社員では思いっきりできないのかも!と思っていたら運よく独立に至ることが出来た。
そこからはアパレル業界からは離れて海外営業として海外と関わってきた。
そして新興国に営業活動をする中、ケニア人のウェルドン君と出会った。日本の商品をケニアにもっていくことを目的に活動をしている中、コロナになり、ケニアと日本を結ぶ何か意味のあることをコロナ禍でできないだろうかと思い、クラウドファンディングで集めた寄付からケニアの難民やスラムなどの女性を支援している団体に布マスクの生産を発注し、ウェルドン君の出身地、地方のボメット郡の小中学校にマスクを配布するプロジェクトをした。
そのプロジェクトがきっかけで、難民やスラム出身、DV被害者などの女性を支援している現地NGOと出会った。そういった社会的に不利な立場の女性にシェルターを提供し、安心できる居場所を提供し、独立できるように技術支援をする取り組みをしている。その中に縫製の技術支援がある。
代表のケニア人女性と話すと「いくら技術支援をしても技術を発揮できる場所が無く、仕事が無い。また明日の生活の為に体を売り子どもが出来たりして更なる貧困に陥る場合もある」と聞いた。
もし日本で販売できる商品が作れるならばと、シャツのサンプルの依頼をした。そこでできてきたサンプルは衝撃だった。
海外工場の生産管理をして来た経験から、いくら仕様書を書いて細かく指示してもできていなかったりしたシャツのデザインの柄合わせ(しかもアフリカ柄の凄いデザイン)、逆配色での襟裏の布地を貼るなど、何の指示もしていないのに素敵なサンプルが上がって来たからだ。
「素晴らしい技術があるのに、機会の差での損失だ」強く憤りを感じた。
そしてKipekee(キペケ)スワヒリ語で「唯一無二」と言うブランドを立ち上げることにした。
これは自分でいったん閉ざした「ファッションデザイナーになりたい」と言う小さな夢ともリンクする。社会から断絶され絶望の「枠」の中にいて子どもを産んで身動きがとれず、アイデンティティが「ママ」になり社会から選別され何もできなくて苦しい思いをしていた自分へも伝えたいメッセージでもある。
「解き放て、鮮やかに」
唯一無二である自分の個性や才能を、
「枠」を外して世界と言う舞台で思う存分発揮しよう。
そのチャンスの扉は、どこの誰にでも開かれている。
社会的に不利な境遇にある人々にもその扉は開かれていて、
彼らの魅力をもっと表現できたら世界はどれほど豊かになるだろう。
Kipekee(キペケ)はケニアの難民やスラムDV被害者など社会的に不利な立場の女性の自立支援をしている団体や最貧国の一つと言われる西アフリカ シエラレオネで活動するNPO法人アラジと協力しアパレルや雑貨の生産と販売を行っています。この活動をどんどん広げていき世界と世界を繋ぐことで生産者の才能を開花し生活に彩を生み、世界の購買者に彼らの生み出す鮮やかで素晴らしい商品で個性豊かなファッションを楽しんでもらうことでそれぞれが「唯一無二」の世界観を楽しめる架け橋になりたいと思っています。
私は今年40歳になります。数字を見ても、小学4年と5歳の双子がいるママと言う点を見ても本当何を今さらやっているの?って思われるかもしれません。可能性を捨てるのはすぐできると思います。ママになってから数年社会的に失われてしまっていた自分のアイデンティティをとり戻しこれから行けるところまで行きたいと思うのです。
Kipekee(キペケ)は8月3日から現在福岡の六本松 蔦屋書店2Fの下り階段横のイベントスペースで8月18日までPOP UPイベントを行っています。(11時~19時)
またKipekee(キペケ)がセレクトし日本初上陸のケニアにいる難民女性支援団体RefuSHEのアイテムを予約販売しています。https://greenfunding.jp/lab/projects/5041
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