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「時計じかけのオレンジ」

スタンリー・キューブリック監督の
「時計じかけのオレンジ」(1971)

見る人によってかなり好き嫌いが分かれますが、私は今まで見た映画の中でかなり上位で好きな映画なので、感想を書いてみようと思いました。

はじめてこの映画を見たときは単純にストーリーの面白さや、ずっとドラッグに溺れているような不思議な色彩や世界観がすごく印象的でしたが、いまいち理解できないところも多かったです。

その後同じ監督の作品である「2001年宇宙の旅」と「フルメタル・ジャケット」を見て、キューブリック監督が「人間は本来暴力的だ」と考えているとわかりました。そのうえでもう一度「時計じかけのオレンジ」について考えてみると、見方が変わって面白かったです。

1 アレックスの「暴力性」と「理性の欠如」

「2001年宇宙の旅」では、猿人が謎の黒板「モノリス」に触れたことで道具を使って同族を殺すことを覚えます。これが人間の原点であり、このことから「人間は本質的に暴力性がある」とわかります。

でも私たち人間は日常的に暴力でぶつかり合ったりはしていません。
これは人間が生きるうえで後天的に身につける「理性」が働くからではないでしょうか。
つまり人間はみんな「暴力性」を持っており、それを「理性」で抑え、コントロールして生きている。
この「理性」の脆さを突きつけたのが、「時計じかけのオレンジ」という映画だと思います。

主人公のアレックスはまさに「暴力的」です。
自然と身についていくはずの「理性」の部分がなぜか発達しないまま思春期を迎えています。
アレックスは自分の「暴力性」をコントロールする術も知らなければ、抑えようとする気持ちもまったくありません。
いわば「赤ちゃんのまま」なのです。

勉強ができたり、芸術に感動したりできるので「知性」は高いのでしょうが、「理性」がありません。
アレックスを見ていると「知性」と「理性」は別物なんだなーと改めて思いました。

アレックスは「暴力」と「知性」しかない赤ちゃんなので、物事に対する見通しがもてず、行動や思考がすべて浅はかで幼いです。

先のことを見通す力がないからこそ、
自分に歯向かう仲間には「暴力」で抑えれば元通りになると思っているし、
怪しい療法にも「刑期が短くなる」と聞けば内容も聞かずすぐに飛びついてしまうし、
家に帰れば家族が迎え入れてくれると思っているし、
自分を利用してくる政治家にもわけもわからず笑顔で握手してしまう。

ですから、アレックスは俗に言う「サイコパス」とは違う気がします。
サイコパスは「理性」をもっていて悪い方を自ら選択する人だと思うので…

でもアレックスぐらいの年齢になってから、「理性」を一から身に付けさせようとしてももう手遅れでしょう。
両親のあのよそよそしい態度を見ると、家庭で心と心を通わせるような交流ができず赤ちゃんのまま大きくなってしまったのかな…と勝手に想像してしまいます。

物語の中盤アレックスはルドヴィゴ療法により強制的に「暴力性」を封じられてしまいます。
このときルドヴィゴ療法反対派の牧師さんが「善は選択することで善となる。人間が選択できなくなった時、その人間は“人間ではなくなる”」と抗議します。
この「選択する力」こそが「理性」です。

「理性」を身につけさせようとするのではなく、「暴力」を抑えつけて更生させようとしたのが「時計じかけのオレンジ」で、すでに身についている「理性」を奪って「暴力」だけの人間兵器を作ろうとしたのが「フルメタル・ジャケット」なのではないかな、と思います。
「フルメタル・ジャケット」では鬼教官のしごきによって、新兵が判断力を失い、戦争によって兵士たちが幼児化していく過程が描かれていました。
兵士たちは物事を見通す力も自分で選択する力も奪われ、戦争は人間を人間でなくさせる、というなかなかえぐい内容の反戦映画でした。
自分で選択する力を奪う、という点でこの2つの映画は共通していると思います。

2 人間の「暴力性」と「理性の脆さ」

さて物語の後半に待ち受けているのは、「更生した」アレックスへの復讐です。

前半にぼこぼこにされていた人たちが、アレックスの暴力性が封じられたとわかると一斉に暴力的になり、それはもう徹底的にやり返します。集団で寄ってたかってやりたい放題です。

キューブリック監督はきっと「人間の理性なんてたかがこんなもん」と言っているのだと思います。

「自分は理性があるから大丈夫」と思っていても、絶対に相手にやり返されない、という絶対的な保証があれば?相手が極悪人だったら?周りの人がやってたら?それでも暴力が生まれないって言えるの?
…という強烈なメッセージですよね。

さらにキューブリック監督のえぐいところは、この理性の脆さを観客自身にも突きつけているところです。
前半のアレックスの暴力シーンがあまりにも残酷で非道に描かれているので、後半にアレックスがどれだけひどい目にあっても「まあ仕方ない」と思ったり、中には爽快感さえ覚えたりする人もいると思います。
あえて主人公に共感・同情できないようにしてあるので、この映画を見た人は自分の中の「暴力性」がもろに出てきてしまうのです。恐ろしい!

現代のSNSでの誹謗中傷とか炎上とか、まさにこれだなーと思います。
やり返されないという安心感、相手が悪いという正義感、みんなやってるじゃんという気持ち…これだけのことでだれかに対してものすごい暴力を浴びせる人たちを見ると、キューブリック監督の言ってることって本当だなーと思ってしまいます。

50年も前の映画なのに現代の問題にまで繋がっているなんて、監督のすごさを感じる一方で、人間ってずっと変わってないんだなーと思ったりもします。


結局元に戻ってしまったアレックスのように、人間はこれからもずっと同じことを繰り返すし、解決策を見つけることもできずにいるんだよ、というメッセージを私はこの映画から感じ取りました。
実際に50年経った今でも同じことを繰り返しているわけですし。

ただこの映画は難解なので、見返すたびに新しい発見がありそうですし、見る人によって感想も全くちがうと思います。
ぜひいろんな人の意見や感想を聞いてみたい作品です!


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