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選択的夫婦別姓について

 2020年11月23日。

 今日は、選択的夫婦別姓について私の意見を書いてみます。

 先日、Twitter上で話題となった「選択的夫婦別姓」の是非。

 私は賛成です。姓、名字は自分を象る最も大切なもののひとつである「名前」の半分ですから、生まれながらに与えられた姓を変えたくないと望む人も少なくはないでしょう。私も、自分がいつか名字を変える未来は考えたことがありませんし、違和感しかありません。望む人がいて、仮にこの案が実現したとしても誰かが害を被るわけでもないのですから、早く実現すればいいのにというのが私の率直な意見です。

 別に何も、「夫婦は別姓でなければならない」と言っているわけではないのです。ただ、数十年と親しんできた名字を変えたくないという人は変えないという「選択」をしてもいいと言っているだけです。「選択」ですから。「強制」ではありません。あくまで「選択」です。

 反対派意見に「ケジメのない家族ができる」「家族の絆が生まれない」「離婚率が上がる」といった理由が挙がっているのが何とも言えない不快感を覚えます。絆が生まれないなんて、では母方の祖父母と名字が違っては絆はないのでしょうか?私は従弟妹たちとも違いますがケジメのない家族なのでしょうか?コロナが襲来するまでは毎月のようにお互いの誕生日を祝うために集まって食事をし、年末年始を全員で集まって祝い、なんでもない日でもたまに集まってはパーティをするような家族ですが、それでも、名字が違うから絆はないと言われているのでしょうか?

 SNS上で「女性は愛する男性の姓を名乗ることに喜びを感じる人も多いのではないか」と言っている男性もいました。まず女性が名字を変える前提であるのももやっとしますし、ツイートの最初の方に自分で「夫婦別姓に七割が賛成」というデータを挙げているのに、多くの女性が~というのでとても矛盾した捉え方をお持ちなんだなあと首を捻りました。

 法務省のホームページによると、現在の夫婦同姓制度は明治三十一年の民法(旧法)成立時に「夫婦は,家を同じくすることにより,同じ氏を称することとされる(夫婦同氏制)。」と定められました。それ以前は義務ではなかったようです。特に、明治九年の太政官指令では「妻の氏は「所生ノ氏」(=実家の氏)を用いることとされる(夫婦別氏制)。」と発布されました。

 つまり、反対派の反対理由を総括すると、明治以前の家族には絆がなかったらしいのです。驚きですね。

 と、少し厭味ったらしくなってしまいましたが、言いたいのは、変えたい人は従来通り変えたらいい。変えたくない人は変えなくてもいい。それだけのこと。何故それが、「ケジメが云々」「女性は云々」になるのでしょう……ということです。

 もちろん、事実婚の場合など様々なケースがあります。だから、各個人が生きやすい方法をそのケースによって認められるようになるのが最も良い方法だと思います。これは他のいろいろなことにも言えます。もっと柔軟な社会になっていくべきだと私は思っています。

 このアイディアをちょっと……と渋る人はきっと、これまでの価値観をひっくり返されるのが気に食わないのでしょうか。従来のやり方でないと自分が生きてきた時代を否定されたように感じるのでしょうか。そんなことはありません。これまでの時代があったからこそ今があるのですから。でも、いつまでも昔ながらの、伝統の、従来の、と頑なに拘っていたら、旧態依然とした国ができるだけです。変わるべき時に変わっていく必要があると私は思います。そして今がその時だと思うのです。

*データや情報等に誤りや訂正等ございましたら教えていただけると嬉しいです。

*情報にアップデートがありましたらまた書こうと思います。

Mai

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